頭痛基本 [今日話したこと]
水も子供も低い方に流れる [子育て日記]
水は低い方に流れる子供たちの感情もそういうところもあるので子供のうちに家にできる事として、低い場所を与えなければ良いのではないかと常々考えてきた。
小学生になり少しずつ社会に出るようになってきて多くの楽しいもの楽なものが目の前にさらされることになる。そんな時それらをコントロールする力が重要になるのではないか?そこを育てる方こそが大切なのではないか?
時間は無限にあるわけではないので、労力の後の達成感的楽しさを示すことにシフトしていくことが親の務めではないかと考えていることがあながち間違いではないと思うが「遅い」と言われるだろうか?
予防医学陰謀説 [医療]
予防医学は難しい.
大規模なRCTを行って結論が出ているとはいうものの、例えばリスクが少ない人が血圧を下げる薬を飲む場合と、血圧が少し高いことを気にしながら生活した人との比較した試験はおそらくない。そして大きな差は出ないだろう。100人が同じ人同じ生活をしたとして10人が心筋梗塞になるという確率と治療を継続すれば8人になることが人生にとって有意と言えるだろうか?人生の浮き沈みに比べればとても少ないもののように思える。
しかし科学的に証明されているのにそれを行わなかったために低い確率の中で心筋梗塞になった時に後悔するぞ!いう“脅し”がどうしても含まれてしまう。そして予防投与によって得られるかもしれない安心感は完全ではない。その脅しにより医学会は高血圧市場という大きなマーケットを確保しているというのは捻くれた自分の邪推だろうか?
蔦屋家電二子玉大好き!
医師患者関係はなぜ必要か? [今日話したこと]
医師患者関係はなぜ必要か?臨床推論は医師として一生勉強していくもの。ココで身につけて欲しいのは対患者に対するコミュニケーションスキルであり、外来の基本的習慣であるがこれは今のうちに身につけることで一生使うことが出来る。そのために今最も大切なことは、医師患者関係を築くことの意味を理解すること。
研修医Sの意見として出たのは、、
患者が話しやすくなる文鑑別を上げるための情報が増える
また、話を聞くこと自体が治療になる場合がある。
→ただ患者が話しやすくなるでは、診療に関係のない話も増えてしまうキケンがある。
しかし信頼関係が築けていれば、話題をコントロールしやすくなる。
外来の問題点はなんだと思う?の質問に
救急に来なくて良いようなヒトが多く訪れているが、人患者の考えと医師の考えの相違がある。
→このことは患者が軽症であるもしくはありたいというある意味でのアンカリングにつながる
ウィリアムオスラーの記した代表的な書籍が「平静の心」であることは医療でのトラブルや誤診は知識が原因でないことを物語っている。
子ども同士の喧嘩 [子育て日記]
子ども同士の喧嘩
最初は、juggernaut しない方針でやってきた。そして次に無関心放置ではいけないと思い、どちらともの感情を受け止める吐口になる。という方法をとってきた。そろそろ2人ともかなり思考力が発達してきたので、感情だけの問題でもなくなってきており、また感情を理論に置き換えることもできるのではないかと、今度は「ファシリテイト」に挑戦したいと考えている。
ランニングのために衝動買い
保険診療は名医は作るが良医は育てない [医療]
保険診療について
例えば診断に関する保険点数であるが、基本的に初診料もしくは再診料と検査料+文書料などではあるが、これは日本の医療体制に都合がよくできていると思う。いや卵が先か鶏が先かはわからない。例えば検査前にとったった情報の量もしくは診察時間で診察料を段階的に変えることが決められたとして、日本の医療得意のやったことにすればということがはびこるかもしれないし、相対的に問診身体所見の保険点数が上がったとしても、最近の経済的に切迫した病院はその両方やるようにというかもしれない。
今の医療者がどのような診療しているか私自身は垣間見ることしかできないが、良識のある医師は検査前の情報によって出来る限り患者に負担の少ない診断しようと試みるだろう。ただし、それによって起こるリスクをカバーするようなシステムは今の日本にはない気がする。訴訟があればそれぞれ個別に判断されているように思う。(検査結果が客観的ということにしてそれにしたがって診療を行うことはシンプルで受け入れられやすいだろう)
良識あると表現したが、言い換えればそういう教育、そういうイニシャライズをされてきた人ということになる。
そういう意味つまり、結局医師の良心や個別のやり方に委ねられた(高齢化社会に向かう)日本の医療を救うのは経済てきにも患者的にも医療教育であると主張したいのである。(言い続けてきたのである。)
それにはジェネラリストとかスペシャリストとかは全く別の次元の話でスペシャリストにこそできる限り患者に負担のないような診断の仕方を学んでほしいと思うのである。それは多少のジェネラル的なこともメインの疾患を見ているスペシャリストがカバーできるということも含まれている。
https://r.gnavi.co.jp/hwaydgpv0000/
バターチキンカレーここまでクセなく作れるのか。
ナンここまで普通に作れるのか!
今できることは? [子育て日記]
娘は散々アイスを欲しがった後、あまり美味しくなかったからか大盛りすぎるとアイスを責めている。それを父は選んだ君が食べられる量が予想出来なかったのでは?なんでも上手くいかなかったら自分以外のせいにするの?と説教している。最終的にはそんな人生を歩むのか!?などと自分の普段からの不安を表出させたりしている。子供と過ごすということはどれだけ子供の頭の中を理解できるか?ということだろうか?でも子供達は自分がわからないことを表現できない。おそらく父親の言ったことはまったく意味をなしていないし、将来思い出したりもしないだろう。ではどうすれば、自己中心的なところからいろいろな立場で考えられる人間になっていってくれるのだろうか?少なくとも、今親がそのことに焦らないことだけが今自分達に出来ることのような気がする。
老夫婦らしい
新興住宅が好き [つれづれ]
新興住宅地が好きだ、なぜなら政治とはこうあるべきだと思うから。合理的に区画された道路や、あるべき所にある施設。住んでるヒトがいかに安全に便利に暮らせるかが考えられている。ただ、考えられていないことはヒトの流れが作るかもしれないコミュニティかもしれない。
逆に東京都庁に続く動く歩道は地下を通っているが、途中の地上へは1つもエスカレーターもエレベーターもない。こんな政治はいらないと思う。
また、古い町並みが良いというヒトもいるが、よく見るとヒトの土地に対する欲が絡み合ってあまり自分的には好きになれない。それはまるで今の日本が民主主義の名の下にヒトの安全を本気で守る政策をできないことに似ていると考えるのは自分だけだろうか?
お年寄りや身体の不自由なヒトは?
頭痛PBL for HMEP student [今日話したこと]
望み [感想]
話の内容など知らず、俳優、監督で選んで観に行ってきた。
少し強引な設定、さて、自分ならどう考える?最終的には自分はどう生きる?という映画だった。
最初は自分の子の親だったらどうかと親目線になり、究極の「究極の選択」へと物語が移り、少し自分が遠いて客観的な見方になっていたが、最終的には亡くなったひとの残された人への影響を見せつけられて、再び今度は親目線ではない自分自身を重ね合わせることになった。
そういう状況を作り出すための少し不自然な設定を差し引いても考えさせられる映画だった。
それにしても、夫の堤さんは石田さんに一度も触れなかった。これは堤監督がこのドラマを家族愛物語ではなく、望みと信頼の葛藤のサスペンスととらえているということだろうか?