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開業医 VS 勤務医 [医療]

ことお金に関しては開業医の 方が優位と言われているが、実際はどうなのだろうか?

どうやら2009年までは中医協の役員に医師会の人が多く入っていた様だが、最近は病院勤務の 人が多いと聞いている。(実際は大学の教授が多いのだが)もう10年以上たつが、少しずつ病院勤務医の待遇が開業医に比べてよくなってきたということであろうか?

私自身医師の仕事が個人の人生の中で何が最も負担になるかと言えば、やはり時間外勤務であると考えている。以前は患者にとってなんの利益のない様な時間外勤務が無償で半ば強制的に課されていてそれが最も苦痛だった。 病院の文化にもよるのだろうが、いずれにしても患者は24時間休まないものであるし、主治医制というのも変わっていない(変われない)ところもまだまだ多いと思う。(実際主治医制はこと患者側、特に高齢者にとってはよい面の方が多いと思うのだが)主治医制をなんとかしない限り、働き方改革などは患者にマイナスにしかならないと考えている。

果たして開業医にとって患者は24時間休まないかといえば、そこは開業医の先生自身が決めることができるのではないだろうか?訪問医療をすることで、いつでも呼び出されるような体制を取れば収入は増えるだろうが、勤務医の主治医制をはるかに超える負担になりかねない。となるとグループ診療ということになる。

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自分自身は勤務医であることが最も安楽である。様々に変わる医療報酬制度にいちいち対応することもなく、ただただ患者の利益を考えればいいというほど楽なことはないと考えている。妻子が出来た今は自分の生活との駆け引きだけを心配すればよいのである。そういう意味では年をとってから 妻子を持ったことを自分の人生のラッキーな部分と受け止めているが、いつまで勤務医を続けられるかという不安があるのも事実である。


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受験勉強と医療の関係 [医療]

  • 英語に限らないかもしれないが、テストを作る場合、特に入学試験などの場合ヒトによって差がつくような問題を選ぶことになる。そう言うわけで英語は言語であるが、出題は例外が多くなる。例えば、「事件についてのエビデンスをかきあつめました。」を訳せよ。という問題は少なからずWe have scraped together evidences about the incident.と答えるヒトがいるかもしれない。間違いではあるが、実際の会話の中では大きな誤解は起きないであろう。このように例外を集めた「試験に出る」系の参考書を一生懸命勉強したひとはテストでも良い点が取れるのではないだろうか?そしてそのような勉強法しかやっていなかったひとは英語で会話が流暢にできるようになるだろうか?言語とは特に会話は考えなくても発生するほどまでに体に染み込ませることで初めて上達したと言えるものである。しかしその最も大切な能力をテストで測定することが出来ないということである。では医療に関してはどうだろうか?いつも思うのだが、専門的な技術に秀でたヒトも含めて、一番基本的なマニュアルを完全に体の中に染みつけるように自分のものにしているヒトがどれほどいるだろうか?そして基本的なマニュアルは「そんなものは初歩のもので研修医が手にするもの。」ように言われるのだ。そして普段から医療者が遭遇するような疾患をいかに診断治療することより、珍しい症例つまり例外が重宝され、学会などで発表されている。珍しければ珍しいほど価値があるかのような空気をこの仕事をしながらずっと感じて来たし、自分も確かに、心おどるところはある。しかしながらその“文化”が少し極端すぎるのではないかとずっと考えてきた。それは総合医のなかでも同じように存在し、臨床カンファレンスやドクターGなどというものに表出されているのである。ではどうしたらよいのか?各施設はもっともっと日頃の診療をシェアした方がよいと思う。実際現在、他施設との交流は間違いなく“めずらし症例”でないとなりたたないのであるが。特に日常診療の他施設とのシェアは評価をうみ、日常診療が改善されていくのではないだろうか?
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上級医同士は否定し合わないの法律 [医療]

上級医同士は否定し合わないの法律

日本の医療は西洋医学をベースにに発達して来たわけだが、必ずしもグローバルスタンダードにのっとって行使されているとは限らない。むしろ、職人的な個人の経験に基づく医療が優先され、そして対する異論からも守られている様に思える。

そもそも日本人はディスカッションというものが苦手という定説があるが、そのディスカッションの拠り所にするものを相対する人と人の間に置くか、それとも外に置くかであるが、儒教的もしくは、キャリア至上主義的な力関係で物事が決定される場面を多く見てきた。

最悪「鶴の一声」的な序列によって決められる事柄などはディスカッションで生まれたものとは言えないであろう。

これはやはり日本の医療が大学医局という単位をベースに成り立っていることが原因ではないだろうか?わたしが見てきた医局はすくなくとも表面上教授の言うことが絶対であり、また教授のみならず、下級医は上級医の言っていることにさからなったりしない。

自分は一時期大学の医局というものに属していたことがあったが、その時もう異質な存在となっており、上級医の言うことと別のことをすると、「もう教えない」と言われた。土曜日に患者を受け入れたことでそんなことをする必要はないと諭されたり、他科のヒトに意見をしたら酷く叱られたこともあった。また、学会での発表は何度も書き直しを要求された挙句、最後はまったく自分の意見は入っていないものが完成した。

つまり、意志決定に公平なディスカッションで決まらない中で、その意見のよりどころが自分自身にしかないのであれば、同じ立場の人通しの意見の食い違いが表にでることは致命的となりうる。ということは用意に想像がつく。

自分も毎朝前夜入院の患者を話し合うERカンファレンスの中で自分が尊敬する泌尿器科の先生が尿管結石について全例CTを撮れと研修医たちに言ったのを、否定したらそれいらい二度とカンファレンスに来てくれなかったという経験もある。また、同じ理由で、総合医を自分の下の立場と思っている専門医が総合医とディスカッションする訳がないのも理解できるであろう。ましてはエビデンスをベースにしなくても、医局の方法さえ踏襲することによりやっていけている専門医とは全く議論する土俵も方法もない訳なのだ。


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病院にわざわざ付属のクリニックがあったのはなぜ? [医療]

病院にわざわざ付属のクリニックがあるのはなぜ?

厚労省と医療者の間はまさに人参を与えるヒトと馬の関係が存在する。お役人は医療者を動かすのにお金を使う方法がもっとも効果的と思っているようであるし(実際そうなのであるが)医療者は医療者でそれにまんまと振り回されている。そのよい例が紹介料ボーナスである(資料)

国はドンドンと膨れ上がる日本の医療費をなんとか抑えるという命題がある。(そもそも高齢化を防げなかったところに端を発しているのではあるが)医療者は医療者で以前は薬価差益で左うちわだったものが規制され、生き残りに必死である。そして開業医は医師会の力が強いためか勤務医の異常なほどの勤務体系と開業医の裕福さが対照的になり対照的になるほど勤務医が開業していき、より勤務医の仕事が過酷になっていた。国はそういったバランスを補正するとともに、医療財政を切り詰めるという目的で、総合病院に直接患者がかかれない仕組みを模索した。

ひとつは資格をとった病院には紹介状なしでかかれなくしたが、それは失敗に終わり( 理由  )また、(    )年頃にクリニックから紹介された場合に補助金を出すというものだった、それは後ほど廃止されるため紹介状ボーナスと呼ばれたが、施設によっては、付属のクリニックをつくり勤務医をそこで働かせて、手続き上別の施設の実質は自施設からの紹介という形をとる病院が多発した。結局ボーナスは一時的なものであるからクリニックを別にした施設は再び統合して使いにくいままに使用せざるを得なくなったり、取り壊さざるを得なくなったり、結局は長い目でみることができなかったもののの典型的な結末となったのである。

余談ではあるが、いまは総合病院に初診で来院したひとは初診料とは別に7000円(選定療養費2016年より)などという保険外(自費)の料金が発生する。これも逆を言えばお金さえはらえば診てくれるってことになり、裕福なものが教育だけでなく健康獲得すらも優位となるということになり(自分が想像する)日本の保健医療の(概念)に反するのではないかと思う。そしてそのまま通えば、その後はその金額は必要なし、緊急時に断られる確率も減るということである。それを総合病院の医師は拒否することはできないし、する気もない。(このあたりは患者はなぜ大病院にかかりたがるのか?の問に通じる。)

大病院はむずかしい患者をしっかり診るところ、開業医はそうでもないひとを日常診るところなのではあるが、もちろんその中間の病院もあり、選定療養費の金額やそれをいただく基準がそのレベルを反映しているようである。ではその大病院を開業医は同じコンセンサスで動いているのだろうか?そのコンセンサスの基盤となるスタンダードはあるのだろうか?医師たちはそのスタンダードを学んでいるのだろうか?開業医は開業するためのトレーニングを受けているのだろうか?開業医の武器はおのずと病歴や身体所見となるのだが、それらのトレーニングを受けているのだろうか?そして勤務はその価値を理解しているのだろうか?そのつながりが患者から見えない限り、患者は施設の整っている病院でかかりたいと思うのは当然であろう。スタンダードの構築、教育。資格、協調そのあたりがしっかりしない限り、日本は病院のみの診療しか支持されないのではないだろうか?



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