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受験勉強と医療の関係 [医療]

  • 英語に限らないかもしれないが、テストを作る場合、特に入学試験などの場合ヒトによって差がつくような問題を選ぶことになる。そう言うわけで英語は言語であるが、出題は例外が多くなる。例えば、「事件についてのエビデンスをかきあつめました。」を訳せよ。という問題は少なからずWe have scraped together evidences about the incident.と答えるヒトがいるかもしれない。間違いではあるが、実際の会話の中では大きな誤解は起きないであろう。このように例外を集めた「試験に出る」系の参考書を一生懸命勉強したひとはテストでも良い点が取れるのではないだろうか?そしてそのような勉強法しかやっていなかったひとは英語で会話が流暢にできるようになるだろうか?言語とは特に会話は考えなくても発生するほどまでに体に染み込ませることで初めて上達したと言えるものである。しかしその最も大切な能力をテストで測定することが出来ないということである。では医療に関してはどうだろうか?いつも思うのだが、専門的な技術に秀でたヒトも含めて、一番基本的なマニュアルを完全に体の中に染みつけるように自分のものにしているヒトがどれほどいるだろうか?そして基本的なマニュアルは「そんなものは初歩のもので研修医が手にするもの。」ように言われるのだ。そして普段から医療者が遭遇するような疾患をいかに診断治療することより、珍しい症例つまり例外が重宝され、学会などで発表されている。珍しければ珍しいほど価値があるかのような空気をこの仕事をしながらずっと感じて来たし、自分も確かに、心おどるところはある。しかしながらその“文化”が少し極端すぎるのではないかとずっと考えてきた。それは総合医のなかでも同じように存在し、臨床カンファレンスやドクターGなどというものに表出されているのである。ではどうしたらよいのか?各施設はもっともっと日頃の診療をシェアした方がよいと思う。実際現在、他施設との交流は間違いなく“めずらし症例”でないとなりたたないのであるが。特に日常診療の他施設とのシェアは評価をうみ、日常診療が改善されていくのではないだろうか?
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