バイス [感想]
バイスという映画を観た。なんとも自分(達)は世界の情勢を知らずに生きてきたんだろう、とかんがえさせられずにはいられなかった。この皮肉一杯の映画は最初に断ったように、事実をできるだけ近づける努力が見られる。
確かに911のあと、オサマビンラディンを倒したのに争いが終わらなかったことに何らかの違和感が感じていたように思う。大量虐殺兵器が云々とやたら言っていたが、フセインは悪者で十把一絡げの一味くらいにしか思っていなかったし、それこそ湾岸戦争とイラク戦争の芋づる式に起こったものくらいにしか認識していなかった。
ましてやアルカイダの発端はソ連のアフガニスタン侵攻であったり。パキスタンのイスラム強硬派がCIAによってアフガンに送られ、オサマビンラディンがアフガニスタンでソ連と戦うイスラムのヒト達の名簿を作っていたことが後のタリバンを作る元になった。
オサマビンラディンがアメリカを憎んだきっかけがサウジアラビア王が自国の防護をアメリカに頼んだこと。そしてこの映画の焦点であるディックチェイニーが自分の会社の利益のためにフセインを滅ぼすたえに多くの犠牲を出し、パパブッシュがフセインを倒さなかった理由である、周囲のイスラム勢力を抑えることが出来なかったためにISが誕生し、そのISが世界中でテロを起こし多くの命が失われたこと。これはどうやら事実らしいということである。
こんな映画を世に送り出し、NETFLIXで配信できるということろはまだギリギリアメリカも正義とやらを保っているといえるのかもしれない。
今日専攻医に話したこと [臨床]
本日のパラダイムシフト [医療]
本当のインサイドアウト
正しいことがよいとは限らない。こんなシンプルなパラダイムシフト が、自分の大きなターニングポイントになるとは思わなかった。それを証明するようなできごとがあった。それは「出来事」ではないのだが、間違いなく何かを変えているのだ。
次女の冬休みは、長女より1週間早く訪れていた。妻は昼間次女の相手をしないといけないことを何度も愚痴ってくるのだ。それもタイミング的には先週の土日風邪っぴきで土日仕事の自分に帰宅後夜まで子供たちを自分に預けた直後なのだ。
昼そんなに時間があるわけではないといつも言っているではないか、逆に普段は1人の時間が結構あるということなのではないのか?と突っ込みたくなるところだし、こんな事言おうものならそれこそ「逆ぎれ」されるのは目に見えている。
つまり、自分は正しい、妻は正しくない。これをなんとかしないといけないけれども、当面は無理。ということなのだが。
妻が反応的、感情的な生き方をまず認めてみることにした自分は。
「子供部屋の掃除、一緒にやってみたら? やれっていったも絶対1人ではやらないよ。一緒にやったらめっちゃ楽しむはず。何かみたいネトフリでもあるの?自分はあさ早く起きて観るようにしているけど、そうやって昼に寝るようにしたら、次女もヒマヒマ行ってこないかもよ。」とか「ドライブだったらいいんじゃない?助手席に乗せるアイテムあるから、めっちゃ喜ぶよ。」と言ってみた。
翌日次女が「今日のママとっても優しかった!」と満足そう。何をどうしたかは知らないが冬休み第一日とは全く雰囲気が違っていたようで。自分は心のなかでほくそ笑んだのだった。
小さな大事件 [つれづれ]
考えてみると、自分は自分の生き方と言うものは、自分が正しいことが
自分が正しいかどうかが大きなウェイトを占めていたように思う
そしてそれが正義だと思っていたように思う。自分の考える正しい考える行動や言動以外の人の行動を認めないわけではないが、少なくとも自分が間違っていると思えるなことをしないことが、自分の人生の根幹にあったように思う。もしかすると、前妻は正しく自分が間違っていたから別れざるを得なかったのかもしれない。そして今の妻は間違いだらけでだからこそ自分が生きていけるのかもしれない。自分は今の妻が間違っている事は問題ないと考えていたが、そのことが子供たちに及ぶのだけは避けたいと思うようになり、妻の間違いを直したいと思うようになった。もちろん、その間違いというのも自分の価値観の上でのことであるのは言うまでもないが、一般的にも間違いとは言わなくても、正しくない事はたくさんある例をあげれば、キリがないが、自分は子育てとは奉仕の喜びと考えているのだが、
例えば妻は何かにつけて、子供よりも自分を優先することが多い。その母親も近くに住んでいながら、子供たちを長期預かって、自分たち夫婦が遠くに出かけさせてくれることが1度もなかった、妻が1人でコンサートに行くのに、託児所に預けないといけないことが何度もあった。妻の姉は、その母親と一緒に住んでいるのに、なぜか母親の用事のたびに自分の妻が呼び出される。そんな習慣を引き継いでいるのか、騒ぐのならば私が寝ている横の部屋でさわげと言う。子供には居間にものを置くなと言うが、自分は今のテーブルの上にここ何年間も自分の私物を置きっぱなしにしていた。私がどんなに近くのスペースを作っても。そこもまたものでいっぱいになり、机の上に私物が置かれることになる。トイレは汚い所であるということがが感情的にしみついており、子供が地面に座ることことやカバンを置く事はヒステリー的に嫌がるのである。子供がご飯を上手に食べたり、正しい姿勢で食べることよりも、子供が服を寄越さないことのほうがずっと重要のように注意する。風呂場の髪の毛を嫌だという理由でなかなか片付けず、ずっと私が片付けていた。自分に正直と言えば、そうなのかもしれないが、ある意味すべてのことが何かの反応によって決まっているように思える。その根幹になる理由をもたないそして、それだけに、その主張は強く他を否定する。また否定しないと主張を通らないと経験がそうさせているのかもしれない。結局は感情に支配されているのである。おそらく私に対しての家でトイレの後に手を洗わないこととか、朝起きてすぐに歯をみがかない(自分は食後がいいと思っているのだが)には不満に思っていて、そういうことをその不満が、子供への感情的な怒りに通じてるように見える。というわけで、彼女がいろんなことを間違っているおかげで、私は自分が正しいことを確認しながら生きていけているのであるが、先に述べたように、それが子供に伝播していると感じたときに、私は強い憤りを感じてしまう。
つい先日、大きな事件があった小さな事件なのになぜ大きな事件になったかはあったかを考えることで、今回の発見になったわけである。嫁は居間の自分が気に入っている側しか掃除せず、片側を散らかし放題であったが、はげしくたまったゴミを掃き出しては、こちらも掃除するようにアピールをつづけていたところ、片側に自分が本を置いていることを、娘に愚痴った上に、それを注意しないのは逆ギレされるからだと話していたことを娘から聞いてしまったのだ。居間には子供の学校のプリントは自分だけの筆記用具、そのほかいろんなものを整理されずに置いておきながら、少しの本が置いてあることを注意する資格などないことを重々しっているからしないところを逆ギレということばで子供を悪い方の味方に引き込もうとしたことは許せないと思い、今まで自分が妻に対して少しずつ直してもらってきたとおもってきたことがすべて振り出しに戻されたされた気分になり。この人を選んだのは間違いではないかとさえ思った。
それで三日間考えたわけだが、やはりどうやら自分は自分が正しいことがものすごく大切な人間な人間でそれを認められないことが耐えられないのであることに気づき、また夫婦はいつも話し合って決めるべきだろうと、自分は妻に言っていたのだが、妻はそれをいつも無視して、自分がいいと思うことを子供たちにしつけていたところがあったのだが、私が正しい理論武装でいつも構えているためにとてもこの人をやり込めることができるわけがないと、戦い(話し合い)を避けていたのではないかということにも気づきだ。
つまり少しずつ私の考えに(特に教育方針)に傾倒してきていることに私は少し満足感を感じていたが、それもこれも彼女の内側からの賛同ではなく、自分の発することの反応としての変化にすぎなかったのである。つまり、理論として正しいことが必ずしもよしではない。そのことを理解しなければ、彼女と本当に話し合う事はできないということなのだ。自分は妻の今の姿は、環境によって就職されたものであり、いつか変わってくれる(本来の自分に戻ってくれる)のではないかなどという幻想をいだくことで、耐え忍んできたことがたくさんあるが、本当の意味で妻の中にあるものがほとんどが反応であることを理解しない限り。つまり正しい事とか間違っているという理屈では説明できないことを理解し、自分の正しいがいかに妻にプレッシャーを与え続けてきたということを理解しないと、
夫婦が本当の会話をできないように思うし、結局父の「正しい事」は子供に伝わらないのだ。この人を妻に選んだのはある意味自分のエゴでもあるし、そのエゴのおかげで子供にまで悪い影響を与えるわけにはいかない。自分が正しいということで簡潔してはならない。inside outは十分にその人を理解し認めたことから始まる。こんなことに気づかされた小さな大事件であった。
社会主義が反映しなかった理由とうちの事情 [子育て日記]
シリアの内戦 [社会問題]
イラクで始まったIS自称イスラム国家はイラクの政府が崩壊したことによって、イスラム過激派がそこに入り込んで作ったものらしい。
イラクの政府が崩壊したのは端を発する9.11なのだが、それはアルカイダのオサマビンラディンをかくまってたアフガニスタンを攻撃したついでのような形で、イラクのフセイン大統領が大量破壊兵器を持っているのではないかという推測(臆測)で、フセイン大統領を倒し政府自体を崩壊させてしまった。実のところはわからないが、アメリカは(ジョージブッシュ大統領は)石油が目当てだったのではないかと言われている。そうして自称イスラム国が生まれたのだが、彼らは隣のシリアにも勢力を広げた。それをヌスラ戦線と言う。自称イスラム国の統治者バグダディは、シリアにも勢力を広げようとするのだが、もともとイラクとシリアはサイクス・ピコ協定で分け分けられたものであるので、別々の組織を置く必要はなく、自称イスラム国(アルカイダの支部)で収めればいいと考えていたのだが。アルカイダが、それを許さなかったために、パグダディは逆にアルカイダから独立してヌスラ戦線を攻撃するということになった。
こうして、自称イスラム国は、イラクとシリアに本拠地に据えることになった。アメリカはオバマ政権となり、ジョージブッシュの失敗への加味もあるだろうか。アメリカへの命を大切にするような策をとっていた。イラクから撤退する代わりに、イラク軍を鍛えて、多くの最新兵器を与えたというが、イラク軍はもともと徴兵で集められたものであり、結局自称イスラエル軍に武器をうばわれることになる。
シリアではアサド大統領が政権を担っているが、冷戦後もロシアよりの国である。ロシアは海軍の港などもあるシリアつまりアサド政権を援助した。それに対してアサド政権の反対する者たちで作られた軍隊をアメリカが支持することになった。これらの対立と自称イスラム国、それにクルド人も含めて、シリアは三つ巴4つ共への紛争の地域となった。シーアのアサド政権と反アサド政権があるわけだが、反アサド政権はアルカイダのヌスラ戦線、自由シリア軍、それから、自称イスラム国が戦っているわけであるが、周囲の国々は何を戦うべきかということで、世界中でテロを起こしている自称イスラム国をつぶすべきではないかということになったのは、当然の成り行きかもしれない。というわけで、冷戦後の冷戦は終わりを告げて、みんなで自称イスラム国を攻撃することとなったわけだが、自称イスラム国の人たちは軍隊は、民間の人たちに紛れて生活しているので、なかなか攻撃しにくくて、また地下壕を築いて移動しているらしいので、自称イスラム国の力はなかなか衰えないのであった。
サウジアラビアは、スンニ派い イランはシーア派 アサド政権はシーア派 自称イスラム国はスンニ派
イランの革命防衛軍は、シーア派であるアサド政権よりなので、アメリカの依頼のもとに(ウラン濃縮を認めるということで)シリアでの自称イスラエル国への攻撃すこ参加した。それに対してサウジアラビアがもともとイランと対立していたわけなので、イランのアメリカよりになってもらうと困るということになる。