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どうする?オレ [臨床]

91歳コロナで入院 肺炎像なく、中等度Ⅰとしてべクルリー3日で対応当初食事が摂れていなかった。来院時CRPは4.83と少し高値であったが、コロナ+の細菌感染は起こっていないと判断した。(根拠は発熱翌日来院でコロナ陽性であり酸素低下なく、関節痛もなく、元気であるということだが、尿の一般検査くらいはしておいてもよかったかもしれない)

普段なら取らない#3の採血ではCRPは6.63と少し上昇白血球は4400だが特に当てにはしていない。Netroが76%と上昇しているから炎症高値と考えて良いと言うドクターもいるが、その根拠も知らない。

フェリチン1209はコロナ感染を支持する。と思う。

本人の受け答えはしっかりしており、そのためか看護師が騒ぐこともない。

相変わらず食事は摂れていないが、#6の採血ではCR Pが11.04さすがにこれはきつい。尿検査でも白血球が50-99G染色では大腸菌と思われるGNRが多数いる。ご本人のに重症感は全くなく普通に話をされており、加えてコロナ病棟であることから、血液培養の指示はスキップして、CTRXを2g/day 開始した。(ちなみに発熱したのは#4の夜から土日にかけてで私が気づいたのは#6の月曜だった。

食欲は#9抗生剤開始して3日目で食欲亢進解熱もして9-10割食べるようになった。、#10 CTRX#4にESBLと判明 CMZに変更したところその夜から発熱

#11には再び食欲も落ちてきた。診察に行くと以前から少し痛がっていた右膝を非常に痛がる。薬剤熱、Txfailure  偽痛風の3つの鑑別となった。外来が終わって、もう一人の患者がまたややこしくて診ていたためこの患者を診始めたのは15時をすぎており、色々アクションを起こすのは少し気が引ける時間帯になっていた。 全身状態はあまり変わっておらず、偽痛風および薬剤熱疑いでメロぺネムに変更してNSAIDsを開始するという決断となったが、メロぺネムが足らず、1gq12でないと使えないという。GFRも計算によっては30程度となるが50-100はq8であり、採血結果では110と計算上出ている。ここで中途半端かもしれない量にしたら、経過が良くならなかった時にメロぺネムを捨てることができない。(そこで量が足らなかったかもという疑惑が残るからだ)よって全身状態が良いのであれば、発熱は偽痛風としてもう少し粘り、ダメな時のメロペンをしっかり投与するという決断とした。

#12 (土曜日)膝に痛みは訴えないが看護師いわく尿がとても汚いと、、やはりTxfailureだった?しかし、だとすると排尿器官の解剖学的、機能的な異常があるということか?という疑問が生じ残尿測定などすると同時に泌尿器コンサルト(土曜にコンサルトするほど切迫していない)グラム染色見直しということになった。


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冷静と何かのあいだ [子育て日記]

娘の弁当は、ほとんど手付かずで戻して、母親が怒っていたのだが、それに対して自分が自分がとった行動は、「don’t let her down」を繰り返す事だった。英語名だったら、なんとなくマイルドになるかなと思ったのだが、響いてない感じだったので、次にお前は1人で生きているわけではないだろ?みんなの支えがあって生きていられるんだよ的なことをのたまったんだが、どちらかと言えば、妻への自分のアピールだったかもしれない。思いなおして最後に娘を呼んでハグしながらママはお前のこと大好き大好きと思いながら作ったんだよと言った。自分の中でこの3つ目が正解だったのだけれども、その間に娘への落胆やこうあるべきと言う理想論、妻へのなぐさみ、そして

アピールなどが少しの怒りとともに放出されたような気がする。最初から3番目にたどり着けるような自分になれたらなんて最近思う。


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考えてみると [つれづれ]

今になって考えてみると小学校のころは何らかの自分のプライドのために生きていたようだ。

そして徐々に「結果」を意識するようになり、それでも結果がでなかったことで、プライドと相談して何らかの言い訳を頼りに生きてきた節もある。

たとえば水泳で大成しなかったのは始めたのが12才と遅かったからだというもの。小学低学年から始めた人たちにどうしてもおいつけなかった。しかしこれは今やっと考えられるのは、そう思っていたことが大成しなかったことの主な原因で、素質云々は今となってはわからない。しかし白血病を潜り抜けてもなお復活する彼女を見ているとやはり生まれながらに備わったものは大きいと認めざるを得ないのかもしれない。

学歴に関しては、国家試験を3ヶ月の勉強で軽々突破できたことから、全く頭が悪いわけでもないのだろうが、あの時は自分があの時の教育、受験というものに従うことが自分の時間を無駄に奪うと考えていたことは確かだし、自分が自分を磨く方法でも、記憶一辺倒に見える受験さえものる超えられると考えていた。実際数学の先生たちも自分のことを認めてくれたことが自分のプライドを支え続けた。なにも考えず、1年間棒に振ったかもしれないような勉強を周囲の環境にあわせてやっていたら、また結果は違っていたのかもしれないが、そうであったならば自分は医学の道へは進んでおらず、今の結構気に入っている人生を歩むことはなかったのだろうし、もう一つあったかもしれないような人生を想像したりもしない。

さて、高校を卒業して自分とは違う人間を初めて発見してから、自分の人とは?愛とは?の旅が始まったわけだが、それはあまりにも遠く、存在自体も危ぶまれるものであり、おおかた自分は目をつぶり、頭を真っ白にして、ただの人生を仕返しのように謳歌した。そして時々そのあるかないかわからないものを追い求めようとして傷つき、疲れて諦めるというくり返しを続けてきた。

また、それ以外の人生は自分の正義を貫くことであった。正義という言葉が正しいかどうかわからないが、自分が正しいと信じることである。それは、自分が正しくないと信じることは認めないというものだった。自分が正しいと感じられることが自分の人生の糧なのであった。自分は性欲以外のものであれば、実際かなり正しかった。そしてそれを主張し続ける位置に居続けることができた。それは幸せなことだったと思う。

今の妻を選んだのも、おそらく自分が正しいことを証明してくれる存在だったからである。

そして、ある日自分は正しい、妻は間違っている、から解き放たれるのである。考えてみれば自分は今まで自分と意見のあった人としかうまく付き合うことができなかった。それでよいのかもしれないが、妻の場合はそうはいかなかった。こどもたちはいつかわかってもらえるかといえば大間違いで、実際妻は彼女の元の家庭の間違った部分を多く引き継いでいるからこそ、間違っているのだ。

自分が正しいと思っていることを指摘されて怒ることを「逆ギレ」と子供に告げられた瞬間文字通り自分はキレてしまった。そんな自分に違和感を感じ、なぜそんなに気持ちになったのかを考えて、自分が自分の正しさのために生きてきたという事実を手繰り寄せたのだった。それまでは妻の間違いは自分を慰めてくれるもの、安心させてくれるものだと考えていたのだが、どうやら、この結婚が相手を認めないところから始まっていたことにおどろき、逆にそれは正しくないのではないかと考えた。いつも子供たちに言っているように、いろんな見方がある、相手になって見てごらん。を当の自分が自分のひとりよがりの正義に依存して強引な考え方を押し付けようとしていたのだ。妻がちょっと注意したことでいつもキレるはやはりこの「おまえ間違っているだろ!」の圧迫があったからだと初めて気づいたのだった。


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勉強すれば出くわす [つれづれ]

「勉強すれば出くわす」は本当だった。最近中東問題に入れ込んでいるが、2日前にイスラエルを旅行した若者が外来に来た。イスラエルの首都をエルサレムと言ってはならないことや、カザ地区の内戦はまだ危険な状態であること、食べ物が宗派に寄って違うから大変だったことなど、そんな話しがほんの2週間前ならできなかっただろう。本当にボーッと生きていると世の中の起こっていること起こっていたことを知らないままに過ごしてしまうことを実感する今日この頃、日本の中に自然に降ってくる情報ではかなり修飾され、選択されたものなのだから。

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イスラム [社会問題]

イスラム教の話

世界の3大宗教は、全て同じ神を信じるものであれば、順番としてはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の順番に作られた。

それぞれ同じ神をヤハウェ ゴッド アッラーと呼んでいる。

旧約聖書は古い約束と言う意味でユダヤ教のものであり、新約聖書はキリスト教のものであり、コーランはその後に記されたものである。ちなみにコーランの教えである豚を食べてはいけないというのは、その頃豚の食肉を通して疫病がはやっていたからであり、ムハンマドは特にその理由を記していないらしい。

逆にお酒を飲んでいけない理由はお酒を飲むと神様のことを忘れるからということであったので、忘れなければ飲んで良いということで飲んでいる人がいるらしい。ムハンマドの生誕地がメッカ。のちに移り住んで神の教えを広める拠点となったのがメディナ。そしてもう一つの聖地がエルサレムねある。



ムハンマドの弟子つまり血縁がない人たちがリーダーとなり得るスンニ派とと姪のアリーから派生した

ムハンマドの血縁者をリーダーシーア派があるが、シーア派の方がコーランの教えにより厳しいようである。その中でも最も厳しく、コーランの経典に従うべきと考えるのがイスラム原理主義と呼ばれる人たちである。この世の終わりを待たずに、イスラムのために死ぬ事はすぐ天国に行けると言う考えを持っている人がイスラム過激派と呼ばれ、自殺をしてはいけないのに自爆テロをする人たちである。

彼らの目的はイスラム教を広めることであるが

キリスト教徒がイスラムを怖がることによってイスラムを排除しようとする。そんな人たちとに立ち向かおうと言う心を呼び起こそうというのが彼らの考えらしい。


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