ピタゴラスイッチのじゃんけん装置 [子育て日記]
ピタゴラスイッチのじゃんけん装置は有名だろうか?
次女と一緒に玉がどこに転がるかを予想して宛てるクイズを診ていたのだが、結構難しい出題で、パパはしっかりと正解しガッツポーズしていると、「私も同じだよ。」という。残念ながら次女は正解がでるまで答えを提示していない。ずるくないよ、パパが見てなかっただけだよ。という。残念ながら見ていたのである。
そのあたり、負けじと主張したパパは大人げないでしょうか?それとも小さな嘘から犯罪は始まるのでここで摘み取っておくできでしょうか?
おそらく子育て本にはわかってもわかってないふりをしてあげないと、自分が正しかったという記憶にすり替えられてしまうので、主張は逆効果ですよ。などと書いてあるのだろうか?それならばなんどもなんども、ずるしたことを繰り返したらよいのだろうか?そうすると、子供は自分はズルい子だと思うようになってそのままズルい大人になってしまいますよ。と言われるのだろう。
しょうがないので、「きみはずるくないもんね、ちゃんと正解するもんね、」皮肉でもいいからこう言うことにしようか。
※当直明けの景色
20寸先は? [つれづれ]
自分が子供のころは公害、そして人口増加それからオートメーションドーナツ化現象が学校で教えられたことだった。
そして今、少子化都市集中と逆の問題が起こってきている。公害に関しては驚くほど改善されてこれは凄いことだと思うが、温暖化という別の問題にすり替わっったってというウワサもある。
人口問題はどうだろうか?教育だけが引き起こした問題ではないかもしれないにしても、教育を考えたヒトがこうなることを予想できなかったということは確かだ。
そう考えると逆に何かできなかったのか?と思ってしまう。女性の社会進出ばかりいって、子供を持った時のフォローは間に合っていたのか?とか、家族を持つことの価値観をもっと広げられなかったのか?とか?そういう意味で次の20年を考えないといけないかもしれない。
※大和に立派なものができている。
子供のカースト [つれづれ]
子供のころ時々喧嘩した、特に3、4年生の時は、いわゆるガキ大将とそういうことがよくあったように思う。5年生になって分校に移ったので、彼らと2年間顔を合わせることはなかったのだが、中学になって再会したときには、どいつも立派ないわゆる不良になっていた。でも不思議なもので自分と喧嘩した印のついた不良はペコペコするのだ。印のついていないヒトには何度か凄まれたが、子供のころの力関係は文字通り力の関係はずっと続くもので、彼らはそういう価値観でヒトを測って生活しているのだというところを今になって思い返している。そんなこともあって、逆ツッパリ的真面目な自分は、彼らの分け隔てなく友達になれたのかもしれない。小学校の時喧嘩したひとの1人はその後もトンダところであっても声をかけてきたのも思いだした。一度は居酒屋で彼は働いていたし2度目は自分達の町から遠く離れた岡崎の図書館で勉強していたら自動販売機の中身を補充しにきていた。
※アスラン意外と子供達に大人気
昨日の夢 [つれづれ]
昨夜の夢,ある駅から電車に乗った。いったん鞄(今持っている最新のヤツ)をシートに置いたあとホームに降りたら、電車のドアが閉まって動き出した。ドアを叩いて、叫んでもダメで、その後も松岡選手のように仰向けになって叫んででいた。(そのとき素の自分はこんな表現をするんだと少し感心した。)
その後の電車がどこに停まるのかどうしても思い出せず、その後来た電車の車掌(顔は覚えていないが美しい女の人というイメージは残っている)に訴えると親切に対応してくれた。自分は大久保駅で降りてバスに乗る予定と言っている。(これは中学のころスイミングスクールに通った道のりである)その時点で家に帰っていて、その車掌さんにあのかばんがどうなったかの電話をするのだが、寝ていたのか返事がはっきりしない。途中男のヒトがでて、何度も説明するのだが、なかなか通じない。とそのあたりで夢は終わるのだが、その時の自分は内心電話番号ゲットしていてラッキーと思っていた。これでわかったことは何かを置き忘れるという恐怖がいつも自分にあるのだろうということと、ゲイではないという安堵感だった。
あさがおが朝に咲く理由 [つれづれ]
あさがおはなぜ朝咲くのか?という質問を子供にされた。一生懸命考えて、アサガオの蜜を吸いにくる虫が朝活動する習性があるから?と答えた。
正解は、「朝顔は夜になってから数時間で花を咲かせるから。」?うーんあさがおが朝咲く理由、昼でなくて朝であるための理由があるから朝咲くのではないだろうか?体内時計があるのはそれを実現するためのHow toであろう?ネットでいくら調べても同じような回答が並んでいる。
考えてみると、自分は幼少時からこの手の問題に悩ませれ続けてきたように思う。なぜ?の根源にたどり着けなくて、堂々とした表面的解答に納得出来なくて、フリーズしまうことが多かった。受験勉強ですらそうだったから、今のような状態になった気もするが、もしかしたら、元々望んでいた研究者が向いていたかもしれないなどと子供の頃の自分を思い起こしてみた。
※ピークアウトはいつ?
環境は自分がつくる [つれづれ]
おもしろいものでその人の立ち位置でその人の発言は信頼性が上がったり下がったりする。当たり前のことなのかもしれないが、こと仕事上のことになると、もっと客観的論理的に個人個人が判断してもよいのではないかと思うこともある。
自分は今2つの病院で勤めているがその病院での自分の位置を研修医からの態度ですら感じることができる。そしてそれは病院の人事を構成するシステムも関与してくる。ひとつは大学病院人事で自分1人がフリー。しかももともとの知り合いなど1人もいない。もう一方は日本の病院としては非常に珍しい大学人事とは無関係の人間で構成されたところ。
おそらく自分はこれから自分を支持してくれる人を一人一人作っていかないことには仕事すらやりにくくなっていくだろう。それは単なるコミュニケーションとしてではなくて、仕事で示していくしかないだろう。
全く正反対の環境を今楽しんでいる。
情報という名の権力 [つれづれ]
そもそも、資本主義は表面上の価値を重んずるものであり、だからこそ宣伝へ労力と財政が、つぎこまれるんだろう。世の中のめだつお金の動きは、宣伝に費やされ、それはドンドンと実質から遠ざかっていくような気がするし、人々のモノを見る目も衰えていく。
承こうやって世の中は、フワフワとした実質から遊離したものによって構成され、まるでそれが軸でもあるかのように、うごいていく。政治も経済もそしてエンタメもすべてが誘導と思い込みでできているかのように思えてくる。
そもそもモノの実質をみることができるヒトなどそんなにいないのかもしれない。そうすると一握りのかしこいひとが実質を追うのではなく、情報をうまく操って、世の中を操っているのだろうか?つまり情報はある種の権力ということになるが。。
人類の進歩? [つれづれ]
起人間の意識が変わるといえば、神が死んだことが大きいかもしれない。そしてこれからの意識変化でもしかすると大きいかもしれないと個人的に思うことは、AIに身を任せることができるか?ということがある。
承例えばテスラの事故。autopilotでの事故は結構あるようだが、運転手が罪に問われているようだが、このあたりの意識はどうなっていくのだろうか?被害者もautopilotのおかげで結果的に失われる人命は少なくなっているのだから、と諦めがつくものだろうか?彼らはいったい誰を恨めばよいのだろうか?そんな不条理な状態を作るくらいなら、人間の過失による事故の方がまだよい。まだまだ人類はそういう感覚なのではないだろうか?
転しかしこれは人間の作ったワクチンで死ぬくらいなら、自然から発生さいたウィルスや細菌で死んだ方がましという理論に少し似ていて、こちらはかなり克服しつつあるのではないだろうか?
結こんな風に個よりマスを考えて受け入れていく事も1つの人類の1つの進歩かもしれない。
子供のいない夫婦は [つれづれ]
子どもがいない夫婦は、なぜか仲がいいと感じたことはないだろうか?これはエンリッヒフロムのいう恋いは生まれるものだが愛は作り上げるものという理論の1つの結果であろうか?実際同じような経験を他ですることがある。
たとえば、病院での仕事看護師と医師の仕事は完全には分けられていない。基本病院に看護師は定数いなければならないのだが医師は簡単には集まらないこともある。ということも関係しているが、わざとではないかというくらい仕事内容がきっちりと決められていないところもある。そして不思議なことに分けられていないところの方が関係がよいように感じるのだ。
自分自身はなんでいちいち、やってくれるの?いやお願いします決まりですから。いやしていることもあるよね。的な会話は時間の無駄ではないかと思うのだが。
そういう困難があるからこそ関係を良好にたもつ必要があり、コミュニケーションを図ろうとするのかもしれない。効率悪いように思うが、そちらの方が組織としてよい方向に向くなんてことがあるようだ。
※砧公園早朝ラン
わたしに回すとこわいよの巻
もともと当院の循環器と内分泌科にかかっている60代の女性が昨日,脈拍が高いと指摘されたということで来院。来院時は脈は正常。循環器の先生はレントゲンと心電図をとって、今落ち着いているから大丈夫。内分泌の先生も今落ち着いているから大丈夫。ということとで総合内科で診ることになった。
本人曰く2日前から労作時呼吸困難がある。じっとしていると問題ない。そして座位のままでも頸静脈の拡張がはっきりとわかる。もともとTR がひどかったり、もしかするとMRでも心臓が代償不全になってなくてもJVDはありえるかも?とは思ったが、採血するとBNPが少しだけ上昇している。
それをみた循環器ドクターが心エコーを施行して心機能低下あり、循環器科に入院することになった。
データーを頼りの診療は大抵のことは事足りるし、そうでなければ多くのことをこなせないのかもしれないが、それは大抵のことであった、患者自身を診ないとわからないことも当然ある。そういう文化は消えていくだろうか?
ミカサ・アッカーマン