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親切に見える不親切 [つれづれ]

最近自分はの渋沢栄一の論語と算盤をすこしずつ読んでいる。少しずつ読んでいる訳は読む度に子供達にそれを伝えているからだ。子供達も大河「青天を衝け」をみていたし、「えいいち」が言っていることと言えば聞く内容にも具体性が増すのではないかと考えたからだ。


 


昨日は「親切に見える不親切」という項目を拾ったのだが、渋沢さん的にはどんなに正しい事をしていても行いによってはわるくとられてしまうこともあるし、その逆もあるということなのだが、6才の下の子にはこんなたとえ話をした。〜4人で公園でジュースを飲んでいた。君以外の3人がジュースを地面に捨てて去ろうとした。どうする?〜そして注意したら「うるさいもうおまえとは遊ばない」と言われるかもよ?


姉には〜グループのなかでひとりをはみごにすることになった。その子は決して悪くないのに、そんなときどうする?〜なにが正しいと思う?という問いに彼女はかなりかなり考えた挙げ句にリーダーに一緒に遊んであげようと提言するといったが、その思考時間が異常に長かったことがすこし気になった。それで君自身がはみごにされるかもしれないよ、と言いつつ。それでも正しい事をするヒトを父は好き。ということと、言い方1つでうまくとらえられることあるということ。父は結構そうやってつっぱって生きてきたけど、大人になってからは社会的地位がそれを支えてくれたということ、それを得るためには勉強しなくちゃいけないということまで話した。


勉強まで結びつけたのはやり過ぎだったかもしれないし、特にしたの子には何も響かなかったけれど、姉には少し考えるきっかけをつくったかもしれない。実は一番ひびいたのは妻にではないかと思っている。


今日はみんなに嫌われて、排除されそうになりながらも正しい事をずっと言っていた先生が今やその病院でトップになっているという話しでもしようか。


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※東京北医療センターを訪問


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団体は、、、 [つれづれ]

団体はやはり怖い。

ある日、クリニックの先生からひどい認知症の人の入院を頼まれた。

入院4日目に外来中に病棟より電話がかかってきて、「暴れてどうにもなりませんなんとかしてください」と強い口調。指示を出すと、そんなのできません。いくつかの提案にやっと乗ってくれたのはよいが、外来合間にみに行ったところ、患者のもとに自分が着くやいなや45人いた看護師は全員どこかへ行ってしまった。投薬で落ち着いた患者と自分は普通に会話をしたのだが、その後の病棟の雰囲気は険悪で、そこにいる看護師20人ほどを全員から敵視されている感じだった。1人の代表が自分の提案をことごとく文句をつけて大きな声でなじるように吐き捨て、周囲の者達はニヤニヤしてみている。

 

確かに自分が入院させて主治医になっている患者だが、なにも彼女の認知症は自分のせいではない。でも1人の統率者のおかげで看護師がうけたネガティブな感情は患者本人やそれを送ってきた主治医や家族などから主治医に変換させることに成功しているようだった。

一昔前の自分なら患者どころか彼ら看護師のその意思統率のやり方を憎み、そのリーダーを憎み、自分の冤罪を主張していただろう。

しかし、敵同士であることが決定づけられてしまった今、何をどう叫んでも、この状況を変えることはできない。

虎穴にいらずんばとはいうが、懐になんとか飛び込み、向こう側に入っていかない限りなんの主張もすべて逆効果、患者自身へも悪影響が及ぶことはオクバセナガラ学んできたつもり。結局自分は翌朝は早めに(先導者が少ないうちに)病棟行き、直立で大きな声で「〇〇さんのことでごめいわくおかけしております!」で始める作戦を考えた。

ニヤニヤは普通のわらいに変わり、初めてこの患者さんについてのディスカッションができた。自分はあなた側ですよ、患者さんの面倒なところなんとかしないといけないよねー。すみませんねーと半分しか思っていないことから潜り込むことに成功したと思い、我ながらと大人になったじぶんを褒めてあげたい今日の自分であった。

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心筋梗塞でプライマリ医に求められる力 [今日話したこと]

心筋梗塞を勉強するにあたって最も大切なのはまずプライマリーケア医が判断を迫られるのは診断をつけるところではあるが。もっとも大切な事は実際心筋梗塞になっている人を見落とさないことで、典型的なものはもちろんなので、病歴を聞いただけでそれがそれらしいものかそれらしくないものかを判断できる力まず必要である。その中でそれらしくないものをどう引っ掛けるかと言うところも必要になってくる場合もある。

例えば総合診療外来だったりすると、看護師により典型的な病歴のものは既に除外されており、非典型的なものを見る力の方がむしろ要求されたりする。

 

もう一つの大切な能力は心筋梗塞が起こりやすいかどうかの判断である。つまり不安定狭心症となっており、入院してヘパリンを流さないといけないのかどうなのかと言う所の判断が最も難しい。どこまで確率の低そうなものまでを引っかけるかはその病院の循環器医の体制や考え方によるかもしれない。 

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○○才になった我が娘へ [○○才になった]

○才になった長女へ

2022年の10月に長女に宛てる予定の内容その時生きていれば変更すればよいので今のうちに書いておくことにする。

以前「由似へ」というくらもちふさこさんだったかのマンガの真似であり、いつか見た映画では膀胱癌になった父がビデオを撮っていた。

最近ではバイオレットエバーグリーンでもこの手法を踏襲していた。

 

9才三年生といえば結構父も物心ついている頃になる。好きな子もいたし、勉強もよくできたし、クラスの代表で祝辞を読んだりもした。

小学校は普通の公立だったし、京都の公立は特にあのころは共産主義的な考えで出る杭を打つという空気が漂っていた。でも父の先生は(島崎先生といったのだが、)テストの平均点をならべて自分がどれくらいの順位にいるかを公表はせずとも各自に伝える先生だった。父は国語のみが2位で他はすべてほとんど100点だった。いつも答えが枠からはみ出していたのを覚えている。いつ勉強したとかあまり記憶にないし、家での勉強で記憶にあるのは父(じーじ)に時々隣につかれることがとても辛かったことくらいだろうか、バーバにも勉強をしないということのみ怒られたな。とにかく勉強しなさいという家だったよ。今は時代が変わって日本全体が勉強を無理強いしない方がよいという価値観になっているし、父もできれば楽しく成績がよくなればなんて思うから、よく「全集中」などといってみんなで一緒に勉強したよね。○○には勉強という意識すらなかったかもしれないけれど、そしてパパも子供のころ親に散々催促されて勉強して四年生になったころには全国で42番などという成績をとったりしていたよ。でも5年生ころになって、他の人たちにどんどん追い抜かれて、同じように勉強しているのにどうして追い抜かれたのかわからなかった。わからないまま、アマチュア無線の免許などを取ったりしていたんだよ。きっと他の家庭では5年生頃から親も子も必死になって受験というものにとりくんだんだと思う。パパは百科事典をずーっと眺めていた。小学校では一番だったけど、そんな自分が中学受験などあまり意味がなかったようだけど、いわゆるいい学校にだけは行きたくて受験したりしていたんだな。今考えて自分が公立の普通の中学に行ったことをむしろよかったと思っているし、今の自分があるのは公立に行った自分が積み重なってできたものだと思うから。後悔のようなものはないのだが、○○のことを考えるに、まだまだ、ちょっとして優越感に浸れるような学校に通うという選択肢がまだまだ残されているとしたら、1,2年の犠牲は払う価値があるかもしれないとも思う。もちろんそれは本人が決めることなのだけど、パパがあんな風に勉強を楽しんでいただけでは、望みはかなわないということだけは教えておきたいと思う。実際誰もそれを教えてくれないし、ただ勉強しろと言われてもやる意味を自分で見つけない限りはやっても力になっていかないと思う。パパとしては、世の中の中で見晴らしのよい道をあるいてほしいなんて思うからそういう少し虚栄心的な欲望も生きやすくしてくれる要素なんじゃないかと思う。

でもかといって、それこそが生きる意味や価値だとは思わないし、もっと大切なものを犠牲にするくらいなら、一般的な陽など当たらなくてよいのではと思っている。パパはラッキーなことにじーじがお金持ちだったから、私立の医学部に入れた。だから案外のんきに暮らしてきたのに、結構陽が当たる(というか楽な)道を歩くことができた。それにくらべてパパはそんなにお金があるわけではないから、そういういわゆる世間の評価を簡単に受けられるようになるためには君自身の考えと、実行にかかっていると思うわけだ。先の事はわからない。でも日本で暮らす限り、いくつもの枝分かれがあってそれを選ぶことによって通じる道があり、別れてしまったものはやはり別の世界だということだけはわかる。その先を見据えて、そのために何をしないといけないかそれをよくよく考えてほしい。

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27年前の今日だった。 [つれづれ]

関西大震災はどうやら27年前の今日だった。自分はまだ研修医で、いわれるがままに現地に出向いたことが強く記憶に残っている。自分が行った時は震災からすでに7日ほど経っていて、悲惨な風景はもうなく、壮絶な痕跡のみが残っていた。当時なんとなく選ばれた人が救助に行く雰囲気があり、自分などは「なんで研修医のおまえなんかが」的な空気もあった。たまたまそういう意図をくみ取らない偉いさんが選んだからなのに。自分達は結構楽しんでいたようにも思う。何かをしてあげていることの喜びだったように思うが当時の指導医に「おまえは医者であって薬屋さんじゃないだろ」と叱られていたことに非常な軽蔑を感じた。彼はあの中村医師と同世代だろうに。。その日彼が瓦礫の写真を撮っていたのも許せなかった。また病院のお寿司まで用意して送り出す雰囲気にも、普段の診療での不満があったのだろう。こんなことだけ特別にお金や物資や朝早くでてくる偉いさんに非常に嫌悪感を抱いた。

 

今考えてみても結構ネガティブな記憶が多く残っているのだが、そう考えると自分は結構ネガティブやろう名のだろうなんて思う。

 

そんなことはさておいても、現場で一番印象に残っていることは被災者に人たちの強さだった。人間は極限まで追い込まれるとこれほどまでに強くなれるのだということを見せつけられた。あるひとは自分のとなりにいた子供が一瞬でいなくなった。とまるで今朝食べたご飯の話しをするように僕に話した。「生きる」ということはこういうことなんだと感じた。

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人類の歴史で [つれづれ]

人類というものが誕生してからいったい何が変わっただろうか?


生まれて生きて、交わって老いて死ぬそも基本だけは何百年も変わっていないのだろう。


そしていがみ合うこともいまだに人類は成熟していないようにみえる。


果たして原始の時代にも争いはあったのだろうか?地球の中で人間だけがアンバランスに増え過ぎてしまったために争い合う宿命が遺伝子に組み込まれてしまったのだろうか?それとも知恵ができた分、欲を知るようになり、それが争いを産んでいるのだろうか?


そういう目でみてみると産業革命もおおきな変化のようにみえて大して人類の根本を変えてはいないように思えてくる。ましてやインターネットや携帯電話などもである。


強いて言うならば、人類創成からのもっとも大きな変化は。神を信じないヒトが多くなったことくらいだろうか?


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ビリーアイリッシュの歌を中流しながら [つれづれ]

ビリーアイリッシュの歌を食事中流しながら、「この人は子供だけで作った音楽が世界一になったんだよ。」みたいな話しを子供達にしていた。「どして?」の質問に「誰の真似もしなかったからじゃないかな?」と答えた。

 

きっと彼女たちは自分たがよいと思うものを作っただけなのだろうと思う。それが「いい」ものとして人々の心を打ったということだろうか?

 

音楽の世界でもなんでも認められたヒトが「よいもの」になるキライを時々目にする。例えば、1900年当初の印象波の画家はみんムーランルージュに集まっている。誰の真似でもないルソーすらもそうらしい。あのころの印象派の流行は芸術としての「よいもの」とは無関係なはずなのに?

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にしてもでは何をもって「よいもの」と言えるのかを本当の答えを持っているヒトがいるのだろうか?

それこそ発信側も受信側も十人十色なのだが、それでも多くのヒトに認められるものがあり、必要なことなのだろうか?

自分のなかでは少なくとも明らかに誰かの真似をしているものに芸術性を感じないというのは五感で鑑賞していないことの表れのひとつなのだろうか?


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なんて日だ! [つれづれ]

今の病院になって1日息つく暇がないなんてことはなかった。


今日は当直を除いてはもっとも充実していたと言えよう。


1)昨日入院させようとした、社会的入院のヒトがベッドがなくて今日に


2)Covid入院もともと担当だった医師が実はお休みで急遽担当に


3)普通に歩いてきた元気は89才のおばちゃんが胆管炎で消化器科へコンサルト


4)Covidで入院した人が心電図をとったらブロックで循環器にコンサルト


5)午前最後に来た人が胸水massiveで入院に


6)外来おわったと思った瞬間。関連のクリニックの先生から名指しで入院依頼しかも来院は16時30分


しかし結局時間通りに帰宅できたのでまったく問題はない。


重症が一人入っていれば、生活自体が一変する。それとは全く違う世界なのだ。


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※通勤前まで余裕だった。


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こどもは楽しいことしかやらない。 [子育て日記]

今自分は仕事が終わってできるだけ早く帰ることに集中している。我が家でそろって問題を解く「全集中」に参加するためだ。

 

子供は楽しいことしかやらない。というのが前提ならば、みんなで競争したり、発表しあったりすることが子供にはとても楽しいようだ。○○やっときなさいでやる子なんているのだろうか?またそんな子がいたらめっちゃ楽だな。と思うのだが、そこはやはり、「楽しいことしかやらない。」ひとりで勉強する楽しさを親が見つけてあげられないのであれば、一緒にやることが楽しいのならば、自分は早く帰ろうと思う。

 

というわけで今日は自分のランニングの時間を帰宅に当てることで時間をかせいでみたのだ。

 

 

 

しかし昔のアニメがスポ根が主流だったころなどは、楽しく勉強などという概念すらなかったような気がする。それは子供でもおなじことで、厳しく自分を制した子供が栄光をつかんだし、それが正しいといわれいた時代なのだ。

いつの時代にもいろんな子供がいるし、いろんな教育がある。「子供は楽しいことしかやらない」は時代を超えた恒久的なものではないのだろうか?それとも時代がそれを前面に押し出しているだけなのだろうか?いずれにしてもうちの子はたのしいことしか集中しない。集中せずにやっても意味がないと思う。

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またもや発想の転換 [つれづれ]

今日勉強会のあと、apple pencileが突然消えるという惨事に襲われた。

 

本当に突然消えたのである。テーブルの上も椅子の下にもない。途中で仕事に立った研修医が間違えて持ってったという結論になったのだが、後で聞いてみてもnegativeであった。

 

外来の合間に勉強会のテーブルにもどるとちゃんとiPadと接続する。しかもテーブル周りで電波が強いのだ。

20分ほどさがし回ったろうか、この辺りにあるはずなのにどうしても見つからない。時々通る通行人が手伝ってくれてもシンプルな場所なので同じ場所を何度も繰り返すのみなのだ。

さっき疑った研修医も一緒に探してくれたが、誰かがネットで磁石で変なところにくっついた報告を見せてくれた。

「それだ!」とばかりに椅子をひっくり返してみた結果が写真のごとく。

今日気づいたのだがものを探すときって、こんなところにこんな風に佇んでいる姿を想像してそれを見つけようとするのだが、いわゆるスキーマ的なものを利用して見つけやすくしているのだろうか今回がそれが邪魔をして、ちがった風景を思い描きながらだとすぐに見つかった。画像診断にも通じるところがある。

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