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親切に見える不親切 [つれづれ]

最近自分はの渋沢栄一の論語と算盤をすこしずつ読んでいる。少しずつ読んでいる訳は読む度に子供達にそれを伝えているからだ。子供達も大河「青天を衝け」をみていたし、「えいいち」が言っていることと言えば聞く内容にも具体性が増すのではないかと考えたからだ。


 


昨日は「親切に見える不親切」という項目を拾ったのだが、渋沢さん的にはどんなに正しい事をしていても行いによってはわるくとられてしまうこともあるし、その逆もあるということなのだが、6才の下の子にはこんなたとえ話をした。〜4人で公園でジュースを飲んでいた。君以外の3人がジュースを地面に捨てて去ろうとした。どうする?〜そして注意したら「うるさいもうおまえとは遊ばない」と言われるかもよ?


姉には〜グループのなかでひとりをはみごにすることになった。その子は決して悪くないのに、そんなときどうする?〜なにが正しいと思う?という問いに彼女はかなりかなり考えた挙げ句にリーダーに一緒に遊んであげようと提言するといったが、その思考時間が異常に長かったことがすこし気になった。それで君自身がはみごにされるかもしれないよ、と言いつつ。それでも正しい事をするヒトを父は好き。ということと、言い方1つでうまくとらえられることあるということ。父は結構そうやってつっぱって生きてきたけど、大人になってからは社会的地位がそれを支えてくれたということ、それを得るためには勉強しなくちゃいけないということまで話した。


勉強まで結びつけたのはやり過ぎだったかもしれないし、特にしたの子には何も響かなかったけれど、姉には少し考えるきっかけをつくったかもしれない。実は一番ひびいたのは妻にではないかと思っている。


今日はみんなに嫌われて、排除されそうになりながらも正しい事をずっと言っていた先生が今やその病院でトップになっているという話しでもしようか。


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※東京北医療センターを訪問


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