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上級医同士は否定し合わないの法律 [医療]

上級医同士は否定し合わないの法律

日本の医療は西洋医学をベースにに発達して来たわけだが、必ずしもグローバルスタンダードにのっとって行使されているとは限らない。むしろ、職人的な個人の経験に基づく医療が優先され、そして対する異論からも守られている様に思える。

そもそも日本人はディスカッションというものが苦手という定説があるが、そのディスカッションの拠り所にするものを相対する人と人の間に置くか、それとも外に置くかであるが、儒教的もしくは、キャリア至上主義的な力関係で物事が決定される場面を多く見てきた。

最悪「鶴の一声」的な序列によって決められる事柄などはディスカッションで生まれたものとは言えないであろう。

これはやはり日本の医療が大学医局という単位をベースに成り立っていることが原因ではないだろうか?わたしが見てきた医局はすくなくとも表面上教授の言うことが絶対であり、また教授のみならず、下級医は上級医の言っていることにさからなったりしない。

自分は一時期大学の医局というものに属していたことがあったが、その時もう異質な存在となっており、上級医の言うことと別のことをすると、「もう教えない」と言われた。土曜日に患者を受け入れたことでそんなことをする必要はないと諭されたり、他科のヒトに意見をしたら酷く叱られたこともあった。また、学会での発表は何度も書き直しを要求された挙句、最後はまったく自分の意見は入っていないものが完成した。

つまり、意志決定に公平なディスカッションで決まらない中で、その意見のよりどころが自分自身にしかないのであれば、同じ立場の人通しの意見の食い違いが表にでることは致命的となりうる。ということは用意に想像がつく。

自分も毎朝前夜入院の患者を話し合うERカンファレンスの中で自分が尊敬する泌尿器科の先生が尿管結石について全例CTを撮れと研修医たちに言ったのを、否定したらそれいらい二度とカンファレンスに来てくれなかったという経験もある。また、同じ理由で、総合医を自分の下の立場と思っている専門医が総合医とディスカッションする訳がないのも理解できるであろう。ましてはエビデンスをベースにしなくても、医局の方法さえ踏襲することによりやっていけている専門医とは全く議論する土俵も方法もない訳なのだ。


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