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競争って必要? Do we need competition? [つれづれ]

今朝仕事が休みだったので早起きして今年のM1グランプリをみた。挑戦者たちのパッションたるやすさまじいものがあり、審査基準的なものも審査員の固定のためか(いいのかわるいのか)定まってきて、この番組が日本の漫才のレベルを押し上げているのは確かだと感じた。


 


そう考えると、自分達の仕事は小さな到達点はあるが、ヒトと競うこともないし、何かの基準に達したと目に見えるものもない。


 


そういう意味では○○ができるようになったと手応えのある「手技」に人気が集まるのもうなずけるというものだ。


 


では競争すること、基準を決めることがレベルを上げることになるのだろうか?レベルが上がるのだろうがもう一方の仁術的なものの重要性が軽視されることもよろしくない。


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※駅に電車がとまっていても踏切が開くことがある。


 


360度評価をしてもその評価基準自体がスタンダライズされていなくて信頼性が低ければ評価自体の価値がなくなってしまう。

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医師患者関係の重要性 [医療]

今日、外来研修のルーチン質問として「医師と患者のコミニケーションは重要か?」を投けかけた。

医師の仕事は正しい診断をして、正しい治療をすること。患者となかよくなることでうまくいかなかった時の保険になると思っていないか?

という「いじわる」が含まれている。

 

1年目女性研修医は「医師の健康に対する定義と、患者の要望の間をうめるため必要なのではないか?」という意見。なかなか思慮深い。

それでは、なぜ医師と患者の間にそのような開きが生まれるのだろうか?

私は一つは教育,もうひとつはシステムだと考える。

 

日本の医療教育は、国家試験に代表れるように、定型的なものを見つける教育のように思う。

これに対して臨床の中からうまれた総合診療は、「あいまいさ」を受けれることを余儀なくされるだけでなく.受け入れる方法がひとつの総合診療の大切なスキルとなる。

また形のないものから報酬がうまれない日本の健康保健システムにも問題があり、そんなシステムしか使われない(病歴と身体所見を重視しない)教育にも、問題がある。

また、病歴と身体所見を重視しない風調は、形のあるものには価値をみいだせない未成熟な日本人の気質に依存するだけでなく、医療費もしくは医師を「不慮」から守る決まり事を作ることなく、すべてを医師判断にゆだねことにも関連していると思われ、それが連鎖的に医療費の高騰に結びついている。

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たまには映画館で


 

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男女平等とは [つれづれ]

フェニズムの問題を出すことはかなり危険なことかもしれないが、


男女は平等であるということに対しては全く異論はない


しかし差別と区別の間はクリアに分かれている訳ではない。


 


例えば、将来いいひとつかまえてよい生活をしたいという女性は明らかに逆たまをねらう男性より多い。逆にのしあがって社会を変えてやるとか何かに大成したいと考えるのは男性の方が多いのではないだろうか?そもそも同じ人数なのだから、人数が多い方が競争率が高くなりレベルも高くなる。だからどこかの政党のようにこれみよがしに、男女を同じ数にするというのも合理的とは言えないのではないかと思う。


 


本当いうと奥さんに働いてもらって自分は子育てに没頭したいと思う時もあるがそれこそ現実的とは言えない。どんな社会も誰かに不満があるのだが、男女平等一つとっても、複雑な思いが絡み合うものだ。


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peer pressureのない世界 [つれづれ]

小さい頃から、peer pressure のない世界に行きたいと思っていた。ところどころの世界でそれをコントロールするリーダーのようなヒトがいて、正しいやら正しくないやらで物事を統制し、それに背く意見を排除していた。もしくは排除することで意見を統制していた.

 

自分は排除されることは少なかった(と,思うが)そのリーダーからは団体の波に飲まれさせることができないめんどくさいヤツだとさぞかし思われていただろう。

 

そんな中でも,なんとなく生きてきて、そんな集団心理すらも理解しようと努力したために、各々リーダーにとってめんどくさいながらも,泳がしておいてよい存在だったかような気もする.

 

また、逆に個性がぶつかり合うことを抱えずに生きてきた分、もう今更対峙するのもめんどくさい。

個と付き合えばよいのではないかと思う。個をまず理解し、そしたら理解されるかもしれない。残りの人生はそれでいいのではないか。そんなこと思う今日この頃。

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grateful for having a family, [つれづれ]

高校性のころよく歌など作っていた「有言実行」という歌の歌詞に人生わずか60年♫というふしがある。信長の舞などからとったのだろうが、なんと高校のころの感覚では自分はあと3年しか生きないことになっている。当の自分はまだまだこれからだと考えているのでに、、

 

 

コヴィさんは、原則として終わりを思い描くことから始める。といったが、なかなかそれが想像出来ない。むしろ自分が死んだ後のことを思い描いたりする。このブログ自体さえ、自分が死んだあと娘達が読んでくれるかもしれないというモチベーションが結構な割合で占めているのだ。

 

そんなことで自分がいずれもしくは明日死ぬことへの恐怖を紛らわすと共に、家族を持ったことへの感謝と、もしかするとこれは家族への自分の所有的な意識なのではないかとうたがってみたりする。

 

きっと言葉ではなく、なにかが娘や関わった人たちに残る。そのことが自分の今の生きる糧なのだろうと思う。

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病院が行うべき最重要事項 [つれづれ]

患者中心とよく言われる。自分もそれこそが正しいとつっぱってきた。しかし実際自分のすべてを患者のために犠牲したわけではない。

 

気が遠くなるほどの無休の時間外労働もしたし、労働基準法どころか致死的なレベルの仕事量をこなしてきたしそれなりの充実感も味わうことができた。

 

しかし子供ができて自分の守るべきものができてくると、そうは言っていられなくなってくる。

 

結局、医療の需要は無限にあるわけで、医療者と患者とのせめぎ合いの部分は必ずある。それに対してのシステムができないので、医療者は自分で自分を守らなければならない。そこでそれぞれの性格、哲学、生活がでる。それはそれでおもしろいが、自分はこれからの時代はそれではいけないと考えている。それは病院のトップがお金の計算とともにやらなければいけない最重要事項であろう。

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空回りは逆効果? [子育て日記]

自分は自分の欠点を引き継いで欲しくなくて、そうでない自分を演じ、ことあるごとに子供を導こうとしてきた。

 

特に身の回りの整理整頓、などはその代表なのであり、手を替え品を替えきちんとしたことができる子供になって欲し工夫をしてきた。最近はお掃除当番制で、その日の当番はリーダーとなって部屋を綺麗にするというやつだ。そうやって、自分がやらないとにならないとにならないと動機は生まれてこないという考え方。

 

しかし逆に大人がしっかりしていないと子供がちゃんとしたりする話しもある。誰かが言っていたが、人間関係はパズルのピースのように補い合うように作られるから、自分のできないところを隠したりしない方がよい。

 

つまり自分は幼少期だから親の価値観の押しつけを、望みと言うもう少しよい言葉に置き換えて空回りしていた可能性がある。それは教育とは言わないのだろうか?

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2021-12-23

徳?損?

起名医は後医という言葉があるが、それだけではない。

承以前大腿ヘルニアのある人が心窩部痛で来院。帰宅後腹痛がひどくなり、腸閉塞になってしまった時の外科のプレゼンが鼠蹊部の腫瘤には気づいていたみたいなのですがなぜか、、、クスクスで、反省しながらも傷ついた。その数日後他の内科医が同様軽度の症状に来院した人にCTをとったらヘルニアあり、外科入院を指定されたようだが、ヘルニアはあるんだけど、、とめいわくそうな苦笑い。

転完全なプライマリと勤務医ならば、それは肉体的(仕事的)な徳と精神的(優越感)な徳のどちらを取るかということになる。おそらく自分の立場はヘタをすると両方得られないことになる。

 

結というわけで専門を自由に選べる日本で病院総合医になろうなどという人は非常に稀な存在ということになる。

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怒るポイント [子育て日記]

妻と自分は子供に対して怒る視点が全く違う。全く共通点がない。というのも珍しい夫婦ではないだろうか。


 


妻は子供が不潔なことをしたり、地べたに座ったり、何かこぼしたり、自分からみてほとんどがそんなことのように思う。それに対して自分は子供が嘘をついたり、約束を破ったり、何かを誤魔化したり、ということが引き金になる。


 


いったいこの状況を子供たちはどう感じてどう自分のものにしていけるのだろうか?真の部分と表面のことである違いをわかってくれるだろうか?妻の潔癖的なところは母親や姉から引き継いだもの。 どこからが過剰だとかいうことはなにが線を引くかわからないのだ。そしてまた僕の嘘潔癖のようなものネガティブに捉えられる可能性がある。


姉は父より、妹は母よりとなって将来噛み合わなくなってくるのではないかと心配になることもある。


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How to make sure she don't forget. [子育て日記]

小学校と家庭をつなぐ連絡帳というものがあるのだが、それをかならずみせてもらうことにした。というのは算数の宿題が長いあいだ行われていなくて、先生からのメールで発覚するという事件がおこったからだ。  

 

それから学校で行ったことを一つ一つ聞いてあげて、学校で習ったことや様子を父である自分の共有しようという、いわば母親がもしかすると普通に行っていることを計画したのだ。  

 

昨日いつものようにノートを見ながらふりかえりそれをipad に書き込んだ。国語のドリルが宿題にでているね。と話していたがそれをやり遂げるのを見届けはしなかった。翌朝案の定忘れていて、それをやっていたために遅れそうになった。ここまではよかったのだが、昨日の今日その連絡帳を学校に忘れてきたのだ。

 

こんなことが頻回に起こるのだが、昨日の今日はまずい。よく、出来ない事には目をつぶって、よいところ伸ばすようにと言われるが、社会に適応できないとあきらめろということだろうか。そんな自己肯定感ってどうなのだろう?というわけで、今日はみんなでお勉強は中止となり、忘れない工夫を考えていただくことにした。

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