SSブログ

閾値を超えるもの [医療]

疾患の中にはわざわざS)→O)→いくつかの鑑別→検査という手順をふまない。いや踏んでいられない疾患がある。特に緊急性のある疾患はその検査前確率が低くても無視することはできない。だから、検査前確率がある”閾値”を越えたら、あとはとことんrule in もしくはrule outの決着がつくまで付き合うのだ。その閾値の取り方が最も重要となる。0.1%でも否定出来ないなどと言っていればすべて理論が壊れてしまう。もっと常識的なところでその閾値を設定するべきでそれはエビデンスからピッタリと決められるものでもなく、100あれば100種類の症例のなかで、ひとつひとつその時の主治医が自分のポリシーで決めるものだと考えている。大切なのはそのポリシー(自分の中の決まり事である)実はこれが明確に書いてある書などない。なぜならその疾患だけでなくその患者の状態、できうる検査、患者自身の哲学までもがその閾値に影響するからである。

典型的な例は、心筋梗塞、大動脈解離、くも膜下出血、虫垂炎、細菌性髄膜炎あたりであろうか。たとえば虫垂炎などは治療に抗菌薬というaltanativeがあり、その分複雑になるかもしれないが、概ね閾値を超えたと自分が決めたからには自分が自分に許されるまで結論を出す。

それ以外のピットフォールも最低限命に関わるものだけを考えればよい。

th_IMG_9810.jpg

 


nice!(1)  コメント(0) 

つゆ子とらい子 第3話 [つれづれ]

第1話

ある小学校のクラスでAチームBチームの別れてドッジボール大会が開かれることになりました。最初に10人対10人にグループ分けをしたのですが、らい子もAチームに移りたいと思いました。しかし前に移った3人もう含めて14対6になってしまうため、つゆ子はらい子の鞄を川に流し、出場できなくさせることで136にしました。

 

第2話

 

鞄の中のものが流されて、ドッジボール大会ばかりでなく学校にも行けなくなってしまいました。

らい子のお母さんは連合先生に訴えましたが、つゆ子は先生の言うことも聞きません。

Aチームのリーダーであるアメ子はつゆ子のお母さんに話して食事を出さないようにしてもらいました。

つゆ子はひもじい思いをしながらも、らい子がAチームに行くことをどうしても許そうとしませんでした。

第3話

つゆ子は流した鞄をらい子がとりにいかないように、川の下流までいって彼女の鞄をとってきました。

そして、学校の証明書を自分が持っているからドッジボール大会は出て欲しいとらい子に詰め寄りました。あめ子も十分勝てると思っていたのでそれに賛成しました。

らい子は学校に行けないのも困るので渋々了承することにしました。

ドッジボール大会の日になりました。13対7でつゆ子チームは不利でしたがつゆ子はとても強いと思われていたのでいい勝負かつゆ子チームが勝利すると信じられていました。

ゲームの始めはつゆ子チームが押しており、あめ子チームは防戦一方でした。ところが途中でつゆ子チームの人たちが疲れ始めました。そして勝たなくてもよいと思うようになってきました。らい子はむしろあめ子チームに有利なようにボールをわざとゆるくなげました。チームの中で一生懸命戦っているのはつゆ子のみになり、つゆ子は怒りみんなにいいました「なんでがんばらないの?」Bチームのみんなは顔を見合わせて、もうつゆ子にはついていけいないというように肩をすぼめました。

結果はBチームつゆ子の敗退となり、Aチームの勝利これからつゆ子以外はAチームの人たちと勝利を祝いました。

ちと西側一方的過ぎる展開だが、つゆ子の気持ちまで言及する年ではないと考えた。

th_IMG_9808.jpg

 


nice!(1)  コメント(0) 

戦犯とは [つれづれ]

どうやら,ヒトラー、ムッソリーニと、うちの昭和天皇の顔が並んで提示されたらしい。自分達日本人にとって天皇は特別なものと、遠く奈良時代から決まっているので多くの日本人が、怒りを感じたようである。かくゆう自分も今まで並列の考えたことがなかったので違和感としかいいようがない。


ではその当時の最高責任者である昭和天皇が戦犯を逃れたのはどうしてなのだろうか?日本人の強い意志がそれを許さなかったからだろうか?それともアメリカはココを否定すれば日本の感情的に自分達の傘下に置くことは出来ないと考えたのだろうか?例えば基地を日本に置くという重要な課題のためにそこは譲歩したのだろうか?


それとも自分達が教わっているように、天皇にそのころ戦争を止める術はなく、しかたなく従ったむしろ被害者なのだろうか?歴史は常に誰かの都合で修飾されるものなので、本当のことはわからないが、天皇が命をかけてまで戦争をやめさせていないということだけは事実であろう。たとえそれが不可能なことだったとしても。もっと根本的なことを考えれば、あのころはみんな戦争をしていたのだ。戦争をした誰もが多かれ少なかれ罪を犯していることに違いはない。東条さんだけがわるいわけではない。ただ、誰かが悪かったことにする権利が戦勝国にあったというだけのこと。自分達はいろんなことを取っ払って、事実のみをみる訓練が必要かもしれない。


th_IMG_9790 2.jpg


※ピーターラビット展


nice!(1)  コメント(0) 

2022-04-24

100分で名著で「戦争は女の顔をしていない」の話しを聞いた。たしかに、まるで男だけが戦争をしてドイツに勝ち、作ってきたものを自分達は「歴史」と呼んでいる事に対して、100万人も動員されたといわれるソ連の女性軍人のひとりひとりの証言は感情をゆさぶるものだし、闇に葬られるべきことでもない。男達がなぞった戦争の行く末は、このような悲惨な出来事の積み重ねによって成り立っていることが本当は最も重要なことのはずなのだ。歴史書には感情が描かれていない。いや描こうとしていない。それは事実であるし、それを男達のもの。そして感情の物語は女達のもの。的な証言があったが、そこだけはそんな単純に割り切れないとおもった。当然男達のなかにも悲惨な出来事が存在し、人々を動かしている人も案外感情に支配されていたりする。ウクライナがロシアに頃ほど抵抗をするのも、強い感情の表れであろう。そしてその感情のために多くの人の個人の悲惨な物語が隠されていることをこの「戦争は。。。」になぞって想う。果たして戦争に正義などない。どちらに賛成するかがあるのみである。

th_IMG_9779.jpg

 


nice!(1)  コメント(0) 

中心静脈栄養 [医療]

今の組織に来るまで、自分はCVを入れたまま退院させたことは一度もなかった。というより、そういう概念自体がなかった。なので嚥下ができなくなった人はそれを評価し、出来る限りのリハビリをしてそれでも食べられない時は、どうするのか家族と何度も話し合ったものだった。

ずっと以前は経鼻経管を入れたまま返すということもあったようだが、2000年代に入ってからは胃瘻が簡単に作れるようになり、以降していった。しかしこれ以上の幸せがないと胃瘻を抜くこともできず、ただ、栄養をいれ、生かされている人をみて反省した我々は出来る限り胃瘻を作らない方向に変わっていった。それが2010年代のころである。以前胃瘻を作らないような説明をよくしていたが、この頃からは、胃瘻は嫌という人がほとんどになっていた。テレビの影響もあり、施設が胃瘻をみる人の枠を(制度として)作らされたということも関係があると思う。

食べることが出来なくなった人の残りの人生をどう考えるか、その人の家族がどう感じるのかを考える。それは救急病院の仕事ではないと思う。ではその他の病院はそういうことをどこまで真剣に取り組んでいるのだろうか?少なくとも救急病院に搬送されてくる人達がそういう相談を受けていないのは事実のようである。

日本の医療が成熟するとは先進医療とやらがドンドン進むことだけではないと思う。いかに最期を迎えるか、コロナ時代に面会ができなくなりより問題を複雑に深刻にさせているが、そこになかなか足を踏み入れられていないようである。

th_IMG_9777.jpg

 


nice!(1)  コメント(0) 

葛根湯医者 [医療]

葛根湯医者という落語があるのをご存じだろうか?なんでもかんでも葛根湯の医者が最後は屋根から落ちた人にも処方するというオチである。

 

今日まさしくそのような人が受診「以前から調子が悪くなると葛根湯を処方してもらっている、今日は喉が痛いので処方して欲しい。という主訴。自分は「むっ」としながらもカルテをひもとくと、なるほど、ちょくちょく来院してはいろんな先生から処方してもらっている。これは患者を責められない。むしろこっちがわるい。だいたい患者の医療に対する意見などほとんどが医療側からすり込んだものだ。

 

案の定「初めて会った医者に処方を具体的に依頼するのは失礼」を皮切りに、「診断して薬を選び、それがどういう結果になったかを副作用も含めて診るのが医者の仕事」「薬にはマイナス面とプラスの面がある。かならずプラスがマイナスを上回らなければ処方しない」などと説明するとひどく納得された。これからは7年前にその風習をはじめた医師のもとに行くがよい。

 


nice!(1)  コメント(1) 

子供の敏感さ [子育て日記]

子供の直感とはおそろしい。長女に対していつもと同じようにしているつもりなのに、ただこちらの心の中がポジティブというだけで動きや態度が全然違うのだ。そういえば10代のころスイミングスクールでコーチのバイトをしていたとき、彼女とデートをしていても、知らない子供達に話しかけられて大変だった。小児科に回っている時は、やはりしらない子供とよく遊んだものだったが、それ以外の自分の状況で同様の事態は決して起こらなかった。今は自分の子供とこんなに長く付き合っていたとしてもだ。


まったく、子供は大人の自分への感情に敏感なものなのだ。


th_IMG_9775.jpg


さくら、ツツジ、蒲公英


nice!(1)  コメント(0) 

発達心理学 [子育て日記]

今日は時間があったので本屋へいって、児童心理学の本を読みあさった。いわゆる発達障害ではないか?という疑問も持っているのはよくないと考え、ADHAだとかLDとかなどの項目を読んでも決して自分の娘にはあてはまらなかった。振り返ってみると長女は赤ちゃんのことからなぜかお父さんっ子だった。妻はそのことに公に不満をもらし、次ぎのこはママッコにすると宣言し、実際その通りになった。長女は本当に大切な事すら忘れてしまう性格だが自分達に決して反抗的な態度や、感情的な態度はとらない、とらないのに明らかに表に出てしまっている、守らなければならない約束を守ることができない。その矛盾、違和感をずっと感じていた。ここ3年くらい、長女の”しつけ”を主に父親が担当してきた感があるが、最終的にどんなに怒っても、泣いても、彼女がひどく傷ついたり、落ち込んだりすることがなかったように感じていた。それもまた違和感であった。そして、逆に無関心を装うと、出来ていたりするのだが、そのことが自分の躾がまちがっていたのではないかと思わせる証拠となっていたのだが、今日児童心理の本を読んでおもったのが、(よく考えたら以前にも同様の結論に達していたことがあった)彼女の約束が守れないは彼女なりの”おねしょ”なのではないだろうか?怒られることで妹より注目されることを無意識のうちに操作?しているのかもしれない。もちろん彼女も褒められたいという気持ちは大きくもっているのだが、それ以上に注目されたいという気持ちが強いのかもしれない。あまりにもできない親の注意を無視するところで、父は子供との信頼関係が築けないと考え、距離を置き始めていたが、それがなおさら彼女なりの”訴え”を強くしていたのかもしれない。あの変な食べ方でさえ、、、うらぎらた感から距離を置きたくなる感情を隠すのは難しいかもしれないが、それ以外のところで彼女をよく見つめることそれを示すことが大切なのかもしれない。

th_IMG_9764.jpg



nice!(1)  コメント(0) 

将来とは? [子育て日記]

うちの長女はどうやら、何か決まったことを忘れずにするという動作がどうやら出来ないようだ。スティショナリーを管理する。日記に日付を書く。提出物を先生に渡す。きたない食べ方、姿勢などその場で言った時のみすることができる、言ってからちょっと時間をおくともう忘れてしまう。いままで自分は自分がその点をキツくしつけようとしすぎたのが原因で出来なくなったのではないかと考えてきたが、ここ最近ほとんど厳しく言わずに、いろいろな方法で工夫してきたが、一行によくならない。これはもこれ以上はこの分野で期待しない、直そうとせず、むしろもう社会にでて誰かのしたで働けないという前提で観ていく方が何とかしようとするよりまだましなのではないかと思うようになってた。これは昨夜学校の先生がある提出物が出されていないことで、夜10時半にうちに電話してきたものの提出を忘れたことで、決心がついたのだった。

普段は大丈夫なのだが自分に余裕のないときはつい声が強くなってしまうということもう防げるし、それから発生する萎縮も、事項肯定の低下を防げるし、他のよい部分を見つけるきっかけをより多くつくることができるかもしれない。社会にでて、普通の仕事について働くことはできるだけさけ、芸術家や、小説家、最悪でも医者などはなんとかやっていけるかもしれないと考えることにした。

にしても嫁が「それでも旦那になぐられたりするかも」と言った時すかさず、「自分のようなのだったら大丈夫なんだけど」と言わなかったことが悔やまれる。(笑)

th_IMG_9746.jpg

ヨシタケシンスケ展


nice!(0)  コメント(0) 

スノーピアサー [感想]

スノーピアサー 何年か前に映画化されていたらしいが、観ていない。今回NETFLIXのシリーズではじまり、はまっている。最初は「列車じゃなきゃダメなの?別に動かずにどこかの地下のシェルターなどではだめなの?線路が劣化したら走れなくなるのでは?などと考えていたが、このドラマの「リーダーとは?」という問いに視点が向いていった。特にシリーズ1はメアリーが正しいのかさえ相対的であり、批判も間違いもある。主人公は正しいの原則にのっとって観るとメアリーは正しくないのだが、物語の中では彼女のリーダーとしての覚悟と才覚に自分達はひかれて、共感していくのだ。シーズン2からはわりと普通の物語になってしまったが、メアリーに完全に巻き込まれてしまった身としては話しが面白くインパクトを高めていくなれ見続けるしかない。という感じである。リーダーの難しさを知るひとは共感し慰められるかもしれない。

th_IMG_9763.jpg


nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。