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学校の成績 [子育て日記]

子供に特にいい成績をとってほしいとは思わないが、教養は身につけてほしいと思う。知らなくても生きていけるような歴史に興味を持ち、ロックンロールは聞いても美術館にも興味を持ってほしいと思う。学校でちょくちょく行われるテストがいつも満点というよりは復習をがっちりして、自分の身につけておいてほしい。


 


にしても自分自身は小学4年生までは抜群に成績がよかった。なぜそうなったかわからないが、自分がそうなることでそちら側の人間という自意識を持つようになったことも確かだ。途中で自分の中に生まれた別の価値観に従って生きたわけだが、小学校のころのプライドは、ずっと自分の中に残っていた気がする。それがよいことなのかどうなのかはわからないが、レベルの低い私立を出ても国立出身の人たちに気後れせずに付き合えるのそれが理由かもしれない。で、子供たちに自然とテストでいい点を取らせることができたなら、もしかするといいポジティブなイメージを本人に与えることができて、それがモチベーションに繋がるかも知れないなんて最近思うのだ。


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3日ぶりの新記録!FB投函効果か?


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意識障害そこはかとなく [臨床]

 

意識障害で来院したけれど、原因がわかりません。に対して、まず意識障害とは?

自分達が意識と呼んでいるものは実はかなり大雑把なものであることを認識しておくべきである。意識障害だからGCSとJCSで評価すればいいという単純なものでもない。

人間はまず感覚すなわち(みる聞く触られる)が機能しているかが問題となるが、JCSでいう300になった場合はこれが機能しているかoutputが欠落しているかどちらかわからないということである。

また聴覚が低下しているヒトであれば10と20で沢内ということである。また感覚を認知し、それを認識するところすなわち認知力と呼ばれているところに問題があるかどうかは大切なところである。実際は覚醒度がはっきりしていれば認知力に問題があってもこれは意識障害とはよんでおらず、認知症もしくは不穏もしくはせん妄ということになる。このあたりの区別はむずかしく大抵認知症のあるひとが不穏になったとして、リスパダールなどで対応される。

しかし、定義的にはフラシスは急性発症で変動があり、注意障害があり意識レベルの混乱または混乱した思考のいずれかを特徴とする意識障害とある。これまた複雑なようで実は大雑把な定義ということになるが、

おもしろいことにエッセンシャルでは意識障害の欄にせん妄の言葉がでてこない。

誰もが、このあたりを曖昧にしたままでいるような気がする。

そのため、せん妄には致死的な疾患が隠れている。という教えがあるにもかかわらず、入院直後などは特に不穏として対症的に対応されしかもそのほとんどが上手くいっているようだ。

前々回のCPCでは入院、そして手術後しばらくしてから不穏になったひとが肺塞栓であったことがあったが、こういうときはいわゆる”違和感”をもって対応すべきなのかもしれない。

ところで意識障害というからには呪文のようにAIUEOTIPSと唱えながら鑑別していくことが多いが、杓子定規に鑑別するのではなく、病歴を周囲の人からとれるのなら出来る限りとることでカミソリ的に診断に行き着くこともあるし、それさえないときは外傷がないかとか、服装、臭い、瞳孔などからヒントをつかむしかないかもしれない。もちろん既往歴は参考になるだろう。

原因がわかりません。と言われたときはたいていCBC 電解質 Bun Cre 血糖、頭部CT 心電図くらいまではすませていて特に問題がなかったということであろうが、たとえば、アシドーシスはなかったのか?(痙攣のあとアシドーシスになったり、腎不全だったり、ショックだったり)アンモニアを考慮するような病歴はあるだろうか?とか、アルコールを初めとする投薬などはどうであろうか?までは初心者がぬけている部分であろう。

もうすこしレベルがあがるとすれば、だれも見ていなかったはじめての痙攣とか。敗血症とか血糖がほぼ正常のDKAとかだろうか?

また落とせないのが髄膜脳炎だろう。ウェルニッケもそうだが感染は見落とすわけにはいかない。脳卒中でも範囲が広ければ意識障害で来院するということそこまでだと神経学的所見がとれないことも注意。

肺の疾患では肺塞栓やCO2ナルコーシスも大切。

火事の時に限らずCO中毒も考えるべきだろう。

しかし高齢のUTIがありそうな尿の所見で意識障害があるとき、LPをするかどうかは悩ましいところである。すると決めた後で入らなかったときどうするかもまた悩ましい。

慢性硬膜下血腫もわすれてはならないがまずCTはとるだろう。

SAHも意識障害で来院する。頭痛というワードは出てこないこともある。

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逆確証バイアス的な [つれづれ]

いまや情報社会となって久しいが、結構ネガティブな情報も入ってこざるを得ない世の中であることを認識していないといけない。


子供を持つ身としては、子供が突然連れ去られたり、とか事件に巻き込まれたりとか、そんな普通に暮らしていれば非常に確率の低いことまでもが、身近に感じられるニュースとして心配をあおる。それでもしかすると必要以上に防御的になってしまい、そのことが人間関係の薄いものにしていっているかもしれない。


もちろんコロナもあるが、子供が友達の家に泊まるとか想像出来ない世の中になっていくのだろうか?なんて思う。


人間はいずれ死ぬ。この真理を忘れてはいけないのではあるが、おびえて生活するのはまた別の観点のものであり、むしろはげみにするべきなのではあるが、子供のことになるとそうは思えないのは当然のこととは思うのだが、こればかりは少し萎縮した自分がいるのを否めない毎日となっている。


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天職? [つれづれ]

とっくの昔に今更なのだけど、子供の頃に目指したものになっていたらどうなっていただろうかな?なんて思わなくなくもない。でも、もしそうだったらあのまま大人になっていたのではないだろうか?そしてヒトとのつながりや関係を今ほど大切にしようというきっかけもできなかったように思う。正しいと思えることが明確な世界にいるから、そういう意味でシンプルにヒトと付き合えるような気がするし、最悪自分の意見が通らなかったとしても、何かのせいにして自分を慰めることができる。運命とかは信じないけれど運がよかったと思える自分はいわゆる”しあわせ”というヤツかもしれない。


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教育論 [子育て日記]

昨日長女が毎週のテストの元になるテキストをずっと忘れ続けているのでしまいに、駅から学校まで妻が取りに行かせるという事件があった。宿題の重要さを学んでほしい。ということだったが、自分はそんな方法ではまったく学ばないことを知っている。でも妻が今日こそ持って帰るよう言ったにもかかわらず、メールをすると「もうおそい!」強気の返事に反応したのもよくわかる。


 


先生から妻に電話があり、もっと長い目で見ましょうよ。などと説教されたらしいが、その方がよいことなどわかっているし、教科書に書いてあることなどやっちまった後に聞いても後の祭りなのだ。それよりも、今の時点の長女の、びっくりするくらい忘れたり、なくしたりすることが成長の過程として正常なのかそれが最も知りたいことであるし、多くの事例ではこのような状態がどうなっていくのかをを教えて頂けるとありがたい。抽象的な教育論はその時の反省をうながすのみでその後の生産には寄与しないのではないか?そんな風に思った。そしてそんな人にかぎって父親がもう一度電話をかけたりしたら、いいこと言ってやったのに、negativeにとられたのかな?なんて思われないか心配で電話できなかった。


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帰宅困難な患者 [医療]

帰宅困難な患者を帰宅させるとき、どこまでやって帰ったときの状態をどこまで良くするかということを、治療が終われば早く返すと言う事よりも優先するということは、自明の理だと考えていた。

ところがそうでもないようである。83歳でパーキンソンほぼターミナルに近いような状況ではあったが、まだコミニケーションは取れて自分の意思も伝えることができた。病院での全体の雰囲気は抹消が取れなければCV。帰宅が難しければ食事が取れなければCVポートを作って、そのまま返すというのが常識となっているように思えた。パーキンソンで経口薬がマックスに入っている人にもそういう波は押し寄せてきて、胃瘻を作ろうという自分に、最初からかなりの抵抗と圧力が感じるられ、何度説明しても時々同じ質問を感情入りでぶつけられ、そのたびになぜ胃瘻の方がよいかの説明をした。

入院87日で初めてちゃんとしたカンファレンスを開き4分割法を使って話し合った結果は基本的には平行線であったと思う。なんでもっと早くしなかったか早くをしなかった理由は胆嚢炎を繰り返していたからであって胃瘻を選択したからではない。しかしなぜ早くCVポートを作らなかったかの意見がおおまかを占めているのは今も変わりなかった。

 

会話ができて1ヵ月生きるのと、できなくなって3ヶ月家にいるのと前者の方が良いのではないか?と言うとそれは医療側の意見であって患者の意向を無視していると言われた。ではこの質問したらと言うと、それは誘導になるのではと言われた。こんなどちらがよいか自明の理を患者が望まないかもしれないから誘導してはいけない。というなかにもうこれ以上は病院いられらない、いてもらっても病院の利益にならないというシステムとゆがみと、ある意味急性期病院のおごりであると自分は考える。

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策に溺れる [子育て日記]

朝長女を送るとき、自主性を養うという盲目で、子供に親をコントロールさせてるようにしている。つまり子供が学校に行くために親が必要より早く出ないといけないので、頼んでもらうのだ。少なくとも何分に出ないといけないかは申請してもらうことにしている。


昨日30分にでることを31分に申請、そのため遅れて友達との待ち合わせに遅れそうになったが、終始むっつりしてた。以前には本気で怒っていたこともあった。どう考えていたかはわからないが、問いかけに返事もしないのは非常に不愉快である。もちろん「のに」もついての不愉快さなのだが。その翌日である今日はこともあろうに何時にでるかを促すと「ママに言った!」と強気発言。いままでの策が成功しているというのが自分のみたてちがいであったことと、子供が思考静止していることに怒り心頭となってしまった。「ママに言ったということはママに送ってもらうつもりだっったのだな。」と言い放ち、「いえパパおねがい」というのを出ないといけないらしい29分から15分待ち続けたが、泣くばかりで何もいわない。結局ロボットさんにこう言いなさいで送り出したが、終始無言「もう一度ゆっくり説明したが、とても理解したとは思えない。」夜になると、もう吹っ切っている。おそらくこの2年やってきたことは「何々分に出ます」と言えば自動的の送ってもらえるということのみで自主性とはほど遠いものであった上に今日叱ったことで、そのことにすら汚点がついてしまったということで振り出しにもどった今日であった。


 


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沖縄基地問題 [つれづれ]

はじめてお便りします。拝聴をはじめて一年半になりますが、いままでは同調できる内容ばかりでした。今回の沖縄に基地が必要かという問題に関しても、真っ向から反対するものではありません。しかし、基地反対論者は。。。を茶化して暗に批判するような言い方には違和感を覚えました。

 

わたしは、沖縄でなければならない理由が、地誌的なものであれ、歴史的なものであれ、不公平をおねがいしていることにはかわりないと考えております。沖縄には5年ほど住んでおりましたので、県民の基地依存、国依存の傾向も理解しているつもりではあります。おそらく基地が不公平であっても、ある方がないよりも県民にとってはプラスの部分の方が多いのだと感じております。(もちろん作られたプラスでしょうが)

 

だからといって、戦争肯定側の発言をするとき(日本にアメリカ基地が必要というのはまさしくそういうことですよね)現時点での最善だとしても、それが人類にの恥部であり、未熟さの証であることをわすれてはいけないのではないでしょうか? 辛抱さんのことですから、下手にでるようでは不公平を認めてしまうことになるからわざと強気にしているわけではないと思います。沖縄県民が基本的に被害者意識がぬけきれていない理由はただ、基地があるだけではないのではないでしょうか?

沖縄を第2の故郷とするひとりのナイチャーからの意見でした。

 

松下達彦 

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案の定無視されたが、今日は茶化した感じはなかった。

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戦争の結果とは? [つれづれ]

Net時代になって、もしかして初めての大きな戦争だろうか?少なくとも自分達日本人に届くのは初めてだと思うが、これまでは国がどうなったとかいうものが戦争の結論であったが、これからはそれぞれの個人の生の声が発信される分、ヒトがどうなったかが大きなウェイトを占めてくるのではないだろうか?そしてそれは本当は一番大切なことで、そのことを真剣に考えることが戦争をなくしていく1つのヒントではないかと思う。自分達が聴くべきはゼレンスキーさんの声ではなく、ウクライナ人の人たちの声でありロシア兵の声ではないだろうか?そして、自分達は多分ウクライナのロシア派のヒトの声は聴いていない。

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沖縄返還から50年 [つれづれ]

沖縄が返還されてちょうど50年となるらしい。自分がおぼろげに覚えていることに、不思議な安堵感を感じるのは、ややもすると日本が戦争をしていたというのは幻だったのではないかと思ってしまうほどの空気が今の日本にあるからかもしれない。

自分が生きている間に、沖縄返還、ベトナム戦争、冷戦終結、イラン・イラク戦争、911そしてウクライナ進出と、わずか50年ほどの間にせわしなく、歴史が書き加えられるような出来事がおこるものだと関心すらするが、人類が成熟に向けて前向きに進んだのはその中でひとつしかない。ところで日本の最後の戦争のとき16才だった人は今は94才、つまり、実際にいって命を落とした人たちの多くの人が亡くなっているということになる。そして今、沖縄基地問題や、第9条問題は急速に容認の方向に世間は向かっているように思える。日本にも力が必要な事はわかるし、中国の事があるからなおさらでもある。しかし、鬼の首とったように”たらどうする?論”を振りかざす人に特に言いたいが、そのことが、決して人類にとって前進ではないという前提を自分達は忘れてはいけないということの強調を、忘れてはいけないのではないだろうか?つまり今はしょうがないとしても、どこかで人類がうまく共存する方法を模索しつづける姿勢を前提に置くべきなのではないかと。「ならおまえ言ってみろ」と言われても中学生の時「丸腰の人をうったら今は世界がだまっていないじゃないの。」という自分の結論からなんの進歩もしていなのではあるのだが。。。

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本屋大賞という以上の本屋さんの思い入れ?

 



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