6人の嘘つきな大学生。 [感想]
と、作者の意図がずっと見え続けていることだ。読み終えてから知ったが推理小説として読めはそれは気にならないかもしれない。
でもそんなところも含めて非常に面白い展開に飽きさせられなかった。
うらと表でひっくり返るオセロのような動向と何層にも重なった玉ねぎのような層のむくような展開が交互に起こり、その中できっちりと伏線を回収していくのだ。
相当思慮深く物語りを練っているのがよくわかる、時々「それ言い切っちゃうの?」というときは論理が完璧でなかったりするのだが、最終的に作者が言いたい恒久的なことがキチンと浮き彫りされ、共感できた。
アンカリングと逆アンカリング [臨床]
時々、いかにもバッチリある疾患にはまる病歴がある。忙しければいそがしいほどアンカリングされてしまうので注意すべきだろう。例えば、時々右季肋部か心窩部の痛みが食後に起こり、右背部の痛みも時々伴う。などとくると胆石一辺倒になりかねない。ましてや健診で胆石をしてきされていたらなおさらだ。胸膜痛とまさしく胸膜炎を想定させるような主訴であるとむしろこれがじゃまになったりもするが、肺塞栓や、外傷、心膜炎なども鑑別になることを忘れてはいけないし、死ぬ胸痛のことは忘れてはいけない。狭心症は80%病歴で診断がつくわけだがいずれ死に関与する疾患であるからこちらは逆で病歴がそれらしかったら、検査で陰性でもけっしてここに逆アンカリングしておかなければならない。
正義? [つれづれ]
すべての人にそれぞれ正義があるということは、いままで生きてきた中での一つの大きな教訓でもあるが、それはひとが他の人にエンパシーを感じることによって知ることができるし、それによりよい人間関係を築く最も大切な事と自分は考えている。SING2を子供達と観に行ったが、子供向けの番組などは正義と悪がはっきりしていてそれがわかりやすいということなのだろうが、これからしばらくそういう布教つまり、ロシアが悪、西が正という考えが自分達を埋め尽くすのだろうか?どっちもどっちとは言わない。国際法をやぶった方がやはり悪いという事実は変えられないとは思うが、正義悪と線引きをしてなんらかの打開策が作れるのだろうか、これを雛形にして正解中でそれぞれの正義が別の悪をつくることにならないだろうか?そしてそれはなにも生み出さず、へたすると破壊を起こすことになる。恐ろし事のように感じるのは自分だけだろうか?
妻と次女の誕生日 [子育て日記]
妻と次女が連続の誕生日
今思えば、最初の方で子供の教育方針でつまずいた結婚生活だったけど今はあれがあったからよかったと思っているし、いるでしょう?愛などという言葉は使わないけれど、エンリッヒフロム曰く、愛は苦労し築きあげるもので、自然に存在するものではないと言っています。現実派の瑞恵としては自明の理でしょうが、、ともかく少なくとも子育てという共通目標があるうちは問題なくやっていけると思っています。その先のことは今のうちから考えておいてもよいかとも思っています。
7才の誕生日おめでとう!
女の人は子供を産むことが出来るけど、それはそれはたいへんなことなんだよ。そして育てるのはもっと大変。そのことを誕生日の日だけでも思い出してね。
今君がやっている学校の授業や、全集中は君がいろんなことが出来るようになるための土台になを作っているのです。その土台がしっかりしているといろんなことが自由にできるようになり、世界へ飛び立つことができるとパパは考えています。
パパが想像するような自分の娘とは少しタイプが違ってどちらかというとママよりかもしれないキミだけど、パパはそんなキミをちゃんと見ていきたいと思っています。
同志少女よ、敵を撃て [感想]
同志少女よ、敵を撃て
今の時期に意味のある作品ではないだろうか?
非常に詳細な情報収集と繊細な人の心の描写を兼ね備えた作品である。ここまで詳細に描くからこそ、戦争がどのような影響を人間に及ぼすのか。そしてその最も大切なところを通して、一言も戦争に対して否定的なことを述べず、もっとも力強く戦争の無意味さを表している。そして自分たちは今現実に起こっていることをこのような視点で思い巡らせる必要があるのではないだろうか?
旧友の家 [今日の出来事]
今日父親のところに泊まりに行ったついでに、亡くなった旧友の家に行ってきた。同じく旧友を介して奥さんと連絡をとり、岡山駅から駅で3つ目の妹尾というところを初めて訪れた。つくづく、亡くなって初めてかなり近い友だったと気づく。そんな自分を変えていきたいと思ったことと、自分の中で友の死をちゃんと受け入れる必要があると思ったこと。それから残った家族に何かしらのプラスを残してあげたいと思ったこと。今振り返るとこの3つがわざわざ足を伸ばした理由であった。しかし3つ目は逆に彼の遺したものを見せつけられるに終わった。じぶんがご家族に出来たことと言えば”わざわざ”行ったことのみであり、むしろひとが死ぬということの現実と意味を学ばせてもらったように思う。奥様は2、3度しか会ったことはなかったのだが、以前からの旧友の様に話は弾んだ。これも彼のなせる技なのだろうか?つまり彼女に乗り移った彼と話しをしていたのだろうか?いや、彼だからの彼女であり、空白の30年はむしろ意味がなかったのかもしれない。いずれにしても、残されたご家族のためなどという3分の1はおこがましいのみということは了解した。