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承認欲求 [医療]

やはり仕事をしていると、自分の中の承認欲求のようなものは、どうしても存在する。しかしそれぞれの価値観は違い、自分の中で価値のあることが認められないどころか否定されてしまうこともある。医療の仕事というものは際限がない。仕事はいくらでもあるのだ。そして必要だからとやっていたら、どんどんと自分の生活を圧迫していくのだ。つまり自分で自分の仕事の範囲、限界を決めなければいけない。もしくは決めていいものなのだ。これが集団心理になると、いくら守りに入っても、集団内のものはそれが自分達の医療者としての誇りを傷つけることかもしれないことに気づかず、よって傷つかないのだ。誰かの大きな声によって守られてしまうようなのだ。そこでそれに反したことが起こると、それを受け入れることができない。ありていに言えば(患者のために)わざわざ仕事増すヒトは敵。などとなるが(  )の部分は見えてか見えてなくてか。主張しても届かないものなのだ。しかしと言うわけで自分は認められないというのもINSIDEOUTを本当に理解していると言えないのかもしれない。


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馬の首星雲


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患者中心とは(4) [医療]

自分は週1回勤務先外の病院で1日外来をしている。そして昼ご飯を外に食べに行くことにしているのだが、いつものように10時を過ぎたころから患者が増え始める。健診でひっかかって再検査なんてヒトも多い。そんなとき自分は残念ながら昼ご飯を食べにいけるタイミングを測り始める謀り始める。といってもよいかもしれない。

10時30分から検査をだして11時30分に再見なら問題ないのだが、11時半からだと再診察が休憩時間のど真ん中になり、結局外来のブースでパンを食べる羽目になる。それが出来るのが外勤だと思っているのだが、なかなかうまくいかない。いわゆる、ライフワークバランスの1つなのであろうが、たとえば自分の病院だと今日は朝7時半から6時まで息つく暇なく食事も患者さんと患者さんの間で小さなサンドイッチを一つずつ口にするという1にちだったが、まったく苦に思わなかった。不思議なものだ。

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コロナ明けて [子育て日記]

コロナ感染はなかなかつらかった。未だに走ってみると1kmあたりでこれ以上走れない状態に陥ってしまう。胸が痛かったり背中が痛かったり気道の奥が苦しくなったり、、コロナ明けのレゴワールドはとても楽しかったようだった。また行きたいと言っているがよみうりランドでだめなのだろうか?もし名古屋なら父的には次はジブリのテーマパークだと思っているのだが。

先日は劇団四季に行ってきたが、なかなかどおして侮れない。ロンドンでみたオペラ座の怪人に勝るとも劣らぬクオリティではないか。子供達も喜んでいたし、なかなかのものだった。

その後が実は問題発生で、UFOキャッチャーを子供達に許したのだけど、うまくとれなくて落ち込んでしまって、まるで楽しかった一日が台無しに、、帰りの車はお葬式のようだった。なんかがっかりしてしまったけど、どこかで子供達のためになっているならよかったといっていいのかもしれない。どこかで見返りのようなもの(楽しんでくれて親も満足的な)を求めていることはいけないことなのだろうか?などと考えてしまった。

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患者中心とは? [つれづれ]

今日コロナ会議の中で、夜中に来たコロナ陽性だったヒトにラゲブリオを処方して帰すのは可能ですか?という質問をした。高齢で適応があれば可能という答えが返ってきたがそのあとの立て続けの意見にはびっくりさせられた。


「その薬を処方しなれていない医師はどうなの?知らない薬を処方する医師などむしろ信用しない。」また、「薬なしで一旦帰しても、保健所がいろいろ手を打ってくれるから大丈夫。」とか「昼に発熱外来に来てもらったらちゃんと対応してますから。」とかいろんな意見がでた。


ラゲブリオを処方するほうが患者のためによいか。とそれを処方できるか?とはまったく別の次元の議論である。もちろんよるに処方をすれば昼間の予約発熱外来で多く待たされるのが嫌なヒトが夜に来るようになり、緊急事態に対応するための当直時間帯がそうでないひとに時間をとられることになりかねない。という計算はわかる。


しかし昼の発熱のヒトが予約の電話がなかなかつながらない上に1時半半も待たされることは深く考えられていないように思える。

もちろん医療の仕事量は経済的な見返りのないものにどれだけ費やすかは患者とのシーソーゲーム的なところがある。それは認める。しかし自分の質問はただ可能かどうかだけの質問から、的がはずれで仕事を増やすな的な面の意見が矢継ぎ早にでるという体制(空気)はいかがなものだろうか。

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本当のこと [つれづれ]

日本の政治は基本的に「本当のこと」を言わないという前提で成り立っているような気がする。我々一般市民をそういう心構えで、そういう心構えなのにその言葉に右往左往している。


たとえばコロナに関して本当のことを毎日言い続けたらどうなるだろう?「今日本ではBA5が広くひろがっています。大変なのでみなさ気をつけてください。「自粛の規制が強すぎて、社会が止まってしまっているのでは?」「そのあたりは検討していきたいです」濃厚接触者は10日以上から徐々に短くしていくことにします。こんなに感染者が多いのにマンボウはしないのですか?(そのあたりは、マンボウにした方が批判が強い時期に来ているので)「検討した結果、現時点では行いません。第5類のままえよいのですか?2類に戻さないのですか?(今2類に戻すと未だ文句言うヒトがいるらしいので)「随時検討していきます」


おおまかこんな感じだろうか?

もし本当のことのに最も近い事をいうのなら。

「BA5はかなり広域に広がっており、実際の感染者数は数字で出ているよりずっと多いと思います。いまあなたの隣にも無症状の感染者がいることでしょう。気をつけていればかからない可能性は上がりますが、それでも生きていて外出する限り感染もするでしょう。しかしただマスクをしていればよいというものでもなく、マスクをしていても至近距離ではなしていればうつりますし、マスクをしていなくても2m以上離れていればもしくは、話さなければうつることはまずないでしょう。特に屋外ではその確率は非常にさがります。検査をしてPCR陽性なら感染陰性なら非感染といっておりますが、検査はそんな完璧なものではありません。かかっていても陰性になりえます。

抗原などはかかっていなくても陽性になることがあります。今コロナにかかっていないと言えるヒトはコロナに感染した直後のひとくらいでしょう。海外ではもう把握するのをやめて、インフルエンザのように対応しているので、実際の感染者はわかりません。では日本でなぜいまだ感染者数、いや検査して陽性になったヒトの数を発表しつづけているのかというと、なんらかの利権が絡んでいるのかもしれません。コロナ感染中に亡くなる人は確かにいますが、コロナウィルス自体によるものとは限りません。実際風邪を引いて亡くなる人もいますので、その数をあげつらうことは、社会にとってマイナスをその情報が産むのであれば、その損失の方が大きいところまで来ているように思います。本当に目からうつるのか?トイレの温風乾燥機は感染を広げるのか?満員電車ではうつらないのか?などまだまだわからない(エビデンスを作れない)こともたくさんあります。ですがBA5それらを飛び越えたほど感染力が強いように感じます。実際行動制限をしていないから感染が広がったのかBA5の感染力のためなのか実際にはわかりません。

間違いもあるだろうが自分の考えはこんなところだ。政府が発表していることよりは正解に近いのではないだろうか?

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