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研修医の胸ぐら [臨床]

自分は一度だけ研修医の胸ぐらをつかんだことがある。 農薬を飲んで自殺した人の挿管直後に家族に頼まれて抜管したときだ。 借金もたくさんあって死にたがっていたから、死なせてあげて欲しいということだったが、事実は,(少なくとも本人の考えを)知ることはできなかった。下手したら他殺の可能性まである。そこで抜管とはなんと安直な判断だろうか。 自分がその後家族に話しをしたとき、あの研修医がよかったと、よってたかって罵倒された。 あのときの研修医の判断は間違いなく間違っているが、事前に相談されていたら、自分はどう対応しただろうか?もちろんもう一度家族と話したと思うがあの様子では間違いなく抜管してくれの一点張りだったであろう。 死のうとした(らしい)のは本人なのだから、そして死人に口なしだから、まるく収まるということだろうか?よいはずはない。 しかしよく思い出してみれば、1900年代の自分達の医療は同様のことが多く行われていた。今でこそ癌が見つかれば必ず本人に告知するのだが、以前は家族に本人に告知すべきかうかがっていたのである。本人は知らぬが仏で治療を受け、その裏で家族の病状を共有していた。本人が亡くなったあとで、医療者を恨んだり、訴えたり、もしも問題が起きるとすればそれは家族が起こすという理由はもちろん表にはでなかったし、本人が告知を乗り越えるまでの心理的フォローが難しかったことも1つの理由であろう。考えていればこのような非倫理的なことが公然と行われていた日本の医療、もしくは日本人の死生観の未熟な時代がほんの30年前にあったのは今のヒトにとっては驚きかもしれない。

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