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研修医の胸ぐら [臨床]

自分は一度だけ研修医の胸ぐらをつかんだことがある。 農薬を飲んで自殺した人の挿管直後に家族に頼まれて抜管したときだ。 借金もたくさんあって死にたがっていたから、死なせてあげて欲しいということだったが、事実は,(少なくとも本人の考えを)知ることはできなかった。下手したら他殺の可能性まである。そこで抜管とはなんと安直な判断だろうか。 自分がその後家族に話しをしたとき、あの研修医がよかったと、よってたかって罵倒された。 あのときの研修医の判断は間違いなく間違っているが、事前に相談されていたら、自分はどう対応しただろうか?もちろんもう一度家族と話したと思うがあの様子では間違いなく抜管してくれの一点張りだったであろう。 死のうとした(らしい)のは本人なのだから、そして死人に口なしだから、まるく収まるということだろうか?よいはずはない。 しかしよく思い出してみれば、1900年代の自分達の医療は同様のことが多く行われていた。今でこそ癌が見つかれば必ず本人に告知するのだが、以前は家族に本人に告知すべきかうかがっていたのである。本人は知らぬが仏で治療を受け、その裏で家族の病状を共有していた。本人が亡くなったあとで、医療者を恨んだり、訴えたり、もしも問題が起きるとすればそれは家族が起こすという理由はもちろん表にはでなかったし、本人が告知を乗り越えるまでの心理的フォローが難しかったことも1つの理由であろう。考えていればこのような非倫理的なことが公然と行われていた日本の医療、もしくは日本人の死生観の未熟な時代がほんの30年前にあったのは今のヒトにとっては驚きかもしれない。

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どうする?オレ [臨床]

91歳コロナで入院 肺炎像なく、中等度Ⅰとしてべクルリー3日で対応当初食事が摂れていなかった。来院時CRPは4.83と少し高値であったが、コロナ+の細菌感染は起こっていないと判断した。(根拠は発熱翌日来院でコロナ陽性であり酸素低下なく、関節痛もなく、元気であるということだが、尿の一般検査くらいはしておいてもよかったかもしれない)

普段なら取らない#3の採血ではCRPは6.63と少し上昇白血球は4400だが特に当てにはしていない。Netroが76%と上昇しているから炎症高値と考えて良いと言うドクターもいるが、その根拠も知らない。

フェリチン1209はコロナ感染を支持する。と思う。

本人の受け答えはしっかりしており、そのためか看護師が騒ぐこともない。

相変わらず食事は摂れていないが、#6の採血ではCR Pが11.04さすがにこれはきつい。尿検査でも白血球が50-99G染色では大腸菌と思われるGNRが多数いる。ご本人のに重症感は全くなく普通に話をされており、加えてコロナ病棟であることから、血液培養の指示はスキップして、CTRXを2g/day 開始した。(ちなみに発熱したのは#4の夜から土日にかけてで私が気づいたのは#6の月曜だった。

食欲は#9抗生剤開始して3日目で食欲亢進解熱もして9-10割食べるようになった。、#10 CTRX#4にESBLと判明 CMZに変更したところその夜から発熱

#11には再び食欲も落ちてきた。診察に行くと以前から少し痛がっていた右膝を非常に痛がる。薬剤熱、Txfailure  偽痛風の3つの鑑別となった。外来が終わって、もう一人の患者がまたややこしくて診ていたためこの患者を診始めたのは15時をすぎており、色々アクションを起こすのは少し気が引ける時間帯になっていた。 全身状態はあまり変わっておらず、偽痛風および薬剤熱疑いでメロぺネムに変更してNSAIDsを開始するという決断となったが、メロぺネムが足らず、1gq12でないと使えないという。GFRも計算によっては30程度となるが50-100はq8であり、採血結果では110と計算上出ている。ここで中途半端かもしれない量にしたら、経過が良くならなかった時にメロぺネムを捨てることができない。(そこで量が足らなかったかもという疑惑が残るからだ)よって全身状態が良いのであれば、発熱は偽痛風としてもう少し粘り、ダメな時のメロペンをしっかり投与するという決断とした。

#12 (土曜日)膝に痛みは訴えないが看護師いわく尿がとても汚いと、、やはりTxfailureだった?しかし、だとすると排尿器官の解剖学的、機能的な異常があるということか?という疑問が生じ残尿測定などすると同時に泌尿器コンサルト(土曜にコンサルトするほど切迫していない)グラム染色見直しということになった。


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今日専攻医に話したこと [臨床]

重篤な疾患を否定するための検査は自分の基準を持つこと。
そうでないものは時系列を使うことができる、
自分の仮説が違ったかもを認める勇気とパラダイムシフトが大切
総合医は常に系統的に勉強する必要がある。MKSA P啓蒙的な要素が強いので日本での実情と合わないところがあるが、検査の選択や治療の選択においてエビデンスを知っておいてそれとずれていても大きな影響が患者に及ばない事を学ぶのも良い。
専門医のカルテを盗み見るのも良い勉強になる。
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迷惑な介入 [臨床]

85才の男性が立ち上がったときに意識消失をおこし、レベルが戻らないということで救急車で来院した。来院時はすでに会話ができて、麻痺ももともとの右不全麻痺は確認でき、また左半身は麻痺がなかった。脳内に意識障害を起こすような大きな出来事が(梗塞や出血)おこっているのであれば、来院時にすでに回復に向かうのはおかしい、時間が経つごとに軽快してきているのをみて、てんかんを第1に考えた。(目撃者は痙攣をしていなかったと言っていたがまた脳底部に大きな2cm程もある動脈瘤をもともとフォローされているので、CTで撮影して大きさに変化がないのと、出血してないことを確認して、そのまま入院とした。

翌日外来主治医が患者を訪れ、麻痺がひどくなっている!とのことで頭部MRIを撮影、「いやいや、あたらしい梗塞の経過ではないよ」と思いながらもすこしドキドキした。結局梗塞巣はなさそうであった。脳神経の専門医もMRIをみて問題ないと連絡をしてきてくれたのだが、放射線科から脳幹部の梗塞の疑いがあると連絡。そうみようと思えばそう見えなくもないが、病歴と身体の状態が合わない。しかし神経内科の先生は、「いや、呂律難がひどい、昨日はそんなことなかったと看護師が言っている。」といってMRIを2日後フォローしようという。家族にきくと、彼は調子悪いときは呂律がおかしくなり、調子よいときもなかなか聞き取りにくいとのこと。しかももうすでにリクシアナとクロピトグレルがもともと入っているから、これ以上の投薬は出来ない。本人の本質をずっとみていれば、検査に振り回されることもなく、今日からリハビリを開始できたのに、めんどくさく、迷惑な介入であった。

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パラダイムシフト [臨床]

パラダイムシフト

当直中、救急車が1時間おきに来ると言う状況で、午前3時ちょうど救急室の患者さんがはけて、一旦当直室に入って眠りに入ったところでのコール。

 

看護師の声で37歳の女性が眠剤が欲しいと言って救急室に来ています。とぶっきらぼうなものであった。どうやら患者は病院の救急室をコンビニか何かと間違えているのではないかと憤りながら、うつらうつらとしていた。医師は当日朝7時から翌日の夜7時までほとんどぶっ通しで働いて、シフト制とは違うんだよ。夜中は救急患い口調での催促があった。あなたはしょうがなく、エレベーターに乗り患者さんと対面することになる。

 

カルテを見ると、この方はいろんな時間に眠剤をもらいに来ているよう。特に夜中が多い。

果たして、このような状況で落ち着いた心で患者さんに出会い、処方がしてほしいなら昼間に外来にくるように優しく指導できるだろうか?ことができるのだろうか。

もしかしたらこの方はあちこちで眠剤を処方してもらい、貯めているかもしれないだから、簡単に処方できないし、処方できない理由を(この時間に来ているというだけで)物わかりの悪そうな患者に永遠説明して、それでも「わざわざ来たのに」などと切れられるのだろうか?などと以前の経験から引っ張り出しながら暗い気分になる。その時は最後に「なんでお金払うのか?」と暴れられたのも思い出した。

さて、あなたはどう対応するだろうか?

それともこの患者の午前3時に眠剤を処方してもらいに来るという行動を正当化するような事例を想像できるだろうか?

 

1)3日分だけ処方して夜間なのでこれだけしか処方できない。昼にまた来てくださいという。→患者は3日分で十分ですと帰宅となる。

2)眠剤のような薬剤は基本主治医が処方することに決まっていると説明。今日の分だけでよいからと食い下がる患者を説得するのに30分ほどかかった。

3)3時に眠剤を処方をしてもらいに来ることを正当化できる理由を考えながら、患者と対面した。すると、、、

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診療の決断は常にトレードオフ [臨床]

診療は常にトレードオフである。 今日の勉強会症例は 5例の同じ病名の症例。それぞれ患者や設定を変えて、それぞれの検査をどのように決断するかというもの。 ○○ならば△△などという検査施行の決断をしているとシチュエーションが変わった時に対応できない。常に自分の基準をもってリスクとベネフィットを天秤にかけそれでいて患者の意見も聞いて考えるのである。その決断に際して客観的なデーターやエビデンス、それから患者サイドの考えの割合をその症例ごとに割り当てて考えるのである。 つまり知識やデータも診療にするに際して、参考データのひとつ以上にはなり得ないということである。 もちろん知識は大切。深い知識と多くのデータがあればあるほど正しい診療に近づくのである、ただし、正しいに近づくのであって正しい診療を施行できるということではない。データがむしろ診療を混乱させることもあるし、そのために患者に害を及ぼすことも十分に考慮しなくてはならない。 そして、患者が人間で、自分も周囲の同僚も人間であることは診断や治療においても重要なファクターであり、その中で健康を目標とするからには、その目標自体すらも明確にしなければ危うく見失うのである。 そのあたり正しい診療を追い求めることをメインに頑張っている若い医師達にはぬるいように感じるかもしれないが診療とはそういうあいまいなものであることを受け入れる覚悟が医療者には必要だと思うし、そうでないと「幸せ」を与えることができないのではないだろうか。

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今日研修医に話したこと [臨床]

今日、研修に話した事は、患者さんにその検査をするときによーく考えろと言うこと。前からずっと言ってることではあるが、とりあえず私の印象はアメリカなどでは5%以下は切り捨てて良いという考え方があるように思う。つまり、その可能性が非常に低いのであればあえて検査しなくても、それは許されるというスタンダードが存在し、それによって医療者側が守られ、また医療経済も守られているという印象である。それに対して日本は逆の発想が多くを占めている。

コロナが良い例で、西洋諸国が人の行動を厳しく制限したり、病気を特別に扱うことの方が社会としては相対的損失であるという結論で、どんどんと規制を緩めてきているが、日本ではレアな事例を取り上げて、これがあるからだめだと声高らかに言う人が多く、世論的にもそちらに向いてしまい、政治もそれに従って動くということになり、いまだコロナは第5類のままである。そういう考え方は確かに良い面があり、細部まで行き届いた医療といえるのかもしれない。ただし、その反面しわ寄せが来ているのも確かだ。日本は検査大国。医者も患者も検査を基準に病気のありなしを決める。だからそれ以外の情報は軽視される。だから検査の結果が不確実であることに目を向けようとしないし、よって検査以外の情報が検査の確率をうごかすことを認めようとしない。医療経済が圧迫される中で、検査をしないと医療費が上乗せできないので、より検査を行う方向に流れる。そしてそのことがより医療費と医療の質を悪化させ、医師をヤブ化させる。

 

この話をするきっかけとなった例は

50代の男性の後頭部痛

ヤブ1)はⅠ週間もまえからの頭痛だし、元気そうだから大丈夫痛み止めで帰す。

ヤブ2)は頭痛なのでCTをとり、読影で問題ないことを確認して帰す。

ヤブ3)身体所見で神経学的所見がないが、はじめての頭痛ということなのでCTで所見がないことを確認して帰す

ヤブ4)後頭部痛と言えば、椎骨動脈解離がもっとも怖い、しかしⅠ週間前であるし今日ではなく次回MRIを予約する。

ヤブ5)頭痛はsudden onsetではなく海外出張の時起こり、帰国後は軽快してきている。夕方に強くなり入浴で軽快する。血圧も高くなく、めまいもない。身体所見も問題ない。後頭部痛は椎骨動脈解離が怖いが病歴身体所見から否定。緊張性頭痛でよいだろう。本人も納得しており対症療法で帰宅とする。

この中で最も病院に貢献しているのはヤブ4)次は2)短い診療時間で他の患者を診ることができるから。5)はもっとも診療に時間がかかりしかも検査もしないので、医療費は1)と同じである。

患者さんがCTを希望していたとして、患者にもっとも有益なのはどれだろうか?

医療がふつうのサービス業と違う点は患者の考える幸せと医療者が考える目標が違う点である。当然患者側は医療の知識もなく、特に検査の特性やそれが人体に及ぼす弊害もあまり考えないだろう。お金をだせば買えるというものではないのだ。

医師は検査をするとき必ずそれによって得られるもの(マネージの変更)とその弊害を天秤にかけるのである。当然重篤な疾患をそうていしているのであれば検査閾値は下がるし、患者の意向に多少なりとも影響を受けることもあるかもしれない。

いずれにしても頭痛→CTなどという1対1対応のようなことは特に若い医師はやってはいけないこと。十分考えているひととその時は同じようなことをしているように(むしろ考えている方がぐずぐずしているように)みえるが、ドンドン医師としての実力は開いていくだろう。


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患者中心とは? [臨床]

DKAと診断がついたヒトに血液培養をとるのは常識的な事だと考えており、severな状況だから予備力がないという意味も含めて抗生剤も使用するだろう。特にフォーカスが見当たらないのであれば、すべてのことを考えてメロペネム+バンコマイシンだろうか?しかし脱水で腎機能が悪いことが多いのでバンコマイシンは使いにくいと考えるのだろうか?それどころかメロペネムも腎機能が脱水がとけて軽快するにつれて用量を調整しないといけないので肝代謝のCTRXを選択するだろうか?それからメロペネムやバンコマイシンは使用するごとに申請が必要である。(申請異常のおとがめはないのだが、逆に正当性も評価されない)日本の医療は正解は相対的なものであることが多いので、正解はその場で形成されるのだが、間違いなくメロペンバンコなどややこしいことをするよりCTRXを2g流しておけば、大体の言い訳にもなるし、大体大丈夫なのである。もしショックなどになったらその時広域をいけばよいのかもしれない。はてさてどちらが患者のためなのだろうか?

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患者中心とは? [臨床]

脱水で入院したが家族が手続きをしてくれないために退院先が決まらない寝たきりの患者がいる。ほとんど言葉を発することなく動くことも出来ないヒトだ。施設はこれ以上みきれないということで送ってきた感あり、帰宅先を探すための入院というニュアンスの入院だった。

入院後70日程立った時、初めて不穏なので不穏指示に従ってリスパダール(液)を投与したと、記事があったが、当直の研修医をコールして自分のだした0.5包を1.0包に変更して出したらしい。0.5が効果ないということを経験した訳でもない。その後カルテのメモに「指示を1.0に変えてもよろしいか?」とあったので「直接相談してください」と答えた。少ない量で効果があるならそれにこしたことはないと考える自分とどうせ投与するならば、ちゃんと効いた方がよいという、考え方の違いなのかと思っていた。

カンファレンスの時にもその話題はでなかったのだが、その後に他の看護師からコールがあってリスパダール(液)は1.0包で出されたことなどありませんん。だから1.0包にしてください。という内容だった。少なくて効くならそれでいいのでは?といってもむしろ高圧的。0.5で出すのは間違っているという確固たる決まりでもあるかのような口ぶりだった。「そもそも本当に不穏だったのか?不眠なだけではないのか?そんなものに向精神薬を出すこと自体が問題では?」という言葉をのみこみながらよくよく話しをきくと「一度シリンジですわないといけないので大変なのです。」という意見。落ち着かずに暴れているようなヒトにタブレットなど飲めないから液体を出したという発想の自分は大体でいいよというと「それば出来ません。」と最後はけんか腰であった。

しょうがないのでリスパダールは錠剤にして半錠だめなら1Tでその後も1T、そして副作用の強い薬を避ける目的でベルソムラを定期でだすことにした。実際眠れないのは70日目で初めてだったのだが、いたしかたない。おそらく看護師軍団は私たちの仕事を守るためにお願いしますと言うわけでないという自分の個人的な感情もあるが、液のリスパダールを半包なんて完全に間違った処方であるとほとんどのヒトが意見統一しているなかで、自分の意見などとおるはずもなく、自分にできる最大限の抵抗であった。確かに自分達は自分達の仕事と患者の利益の両方を天秤にかけながら仕事をしている部分がある。自分達の利益を優先することは「戦争賛成」と高らかに叫ぶ人に似ていてキライだ。

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今日話したことまとめ MI [臨床]

新しい病院に来て、一年と少しが過ぎた。フリーターという家に帰れば無罪放免という立場はそれなりに楽しく、子供達に専念できたように思うが、実際病院で入院ももっても以前ほど自宅に引きづらずに過ごせることに気づいた。いいことなのか、わるいことでもないのか。。にしても久しぶりのひとり持ちでCVなんかもバンバンと自分で入れているし、他職種のひとたちとのいいやりとりもわるいやりとりも、ある。ソフトローテーションさせてもらい自分なりに今の病院での方法を模索するという進歩も見せた。思えば、教育教育とふんぞり返っていては、自分が正し事を主張する満足感は得られるが、それ以上の人としての成長はなかったように思う。いまいい方向でもわるい方向でも人との対話により、何かを決めることの難しさのなかでもう一人の自分を生み出そうとしているのだ。



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