SSブログ

外交的性格 [子育て日記]

2023/02/27

長女は間違いなく受け身的な人間である。ユングのいうところの外交的と言えば言葉はよいが、ほとんどのことが自分で決められず、反応のみで生きているところがある。それは子供としては当然の発達途中と考えてよいのか、もしくは女性に特有のものなのか、かなりの人間がそういうものなのか自分にはわからない。

長女は漢字が嫌いなようである。親や先生が口やかましくやらせようとしたことの反動かもしれないが、とにかく漢字の学習は効率が悪すぎで、30分で3語ぐらいをグダグダと書いた挙げ句に覚えてないということのが連続である。

やりたくないことは形式だけやるそれも時間を十分にかけて。全く時間の無駄である。

嫌いなものを食べるときも、本当にゆっくりと食べるがそれとどうも同じ感覚のようである。

ここ3週間ばかり3週間無理にでもやらせてその後は自分でやるんだよ。という前提のものとに、毎日叱りつけてやらせてみた。

ところが全然覚えていない。ということが発覚し、やはり自分の中からモチベーションを作らない限り覚えることはできないのだと悟った。

そこで「漢字に対しどうしていきたいの?」の質問の答えを待つこと、40分そのやり方は難しいのではないかな?そもそも目標はどうするの?の回答を待つのに30分、1時間過ぎにもう一つ提案がでたので、「それでは量が多すぎるからこうしたら?」の質問をまた30分まったところ「パパに言われた方法でやる。」ではそれを書いてで鉛筆をもつのにまた30分という具合で結局2時間以上待ち続けている。

漢字など、他の科目に比べたらずっと重要度は低いと思っている。しかし自分で勉強のやり方を考えて自分の力でその(いやなもの)を推し進めることができれば、それは将来的にもすごく役にたつし、本当の「かしこさ」いわゆる「自主性」とともに身につけ始めるチャンスになると考えた。だからこそこの2時間30分という時間はむだではなかったと思うのだが、結局パパの提案を受け入れただけ、それ以上の能力が今ないのであれば、無駄な時間だったかもしれない。それはこれから試されるのだ。


nice!(1)  コメント(0) 

妻とデート [今日の出来事]

今日は時間があったので嫁と山下公園のガンダムを見に行った。今まで嫁のなんともいえない理由のわからないこだわりは、緩和してきているのを感じる。しかしこれは嫁が変わったわけでははなく、自分が変わったことが相対的に作用していることを知っている。まさしくINSIDEOUTを今体験しているのだ。娘に対しての自分の思いをつらつらと言って、今まではそうだねといって結局逆のことをしていたり、出来るわけないだろ的にスルーしたりしていたのだが、今は違う気がする。本を読ませたくてずっと自分がいろんな工夫をしていることを否定的に見ていたり、「そんなこといったってねー」という感じで、自分がいないときは妻が好きな「自分なら子供のためにはならないと思うような」アニメをみせていたものだったけど。(たとえば、簡単な外国なアニメくらい英語で見させればよいのに」とか、、ところが今回はブラックジャックだとか「文豪ストレイ」なんとかで文豪の人に親しんでもらいいつか読みたいと思ってくれたら、とか、名作集もいいけどもう少し子供向けでいいんじゃないの?とか、前向きの発言が出てきている。きっと本当はそういう考えだったけど、僕がそうじゃなくてこう!みたいな言い方をしていたから、意固地な感じになっていたのだと思う。自分が認めることから始めたことがこんなに関係を変えるとは驚きである

A14984BA-3E79-40F1-A6D8-C0B15AD24AB7.jpeg
nice!(1)  コメント(0) 

オレオレ詐欺から [つれづれ]

世間ではフィリピンでの組織的な強盗が話題になっているが、かしこいのかあほなのか、とにかくお金がほしいということなのだろう。どうせ「オレオレ詐欺」がオジーおばーが賢くなってうまくいかなくなったための策なのだろうが、それにしても家にお金を置いている人がいかに多いことか。そして、その情報はどこから手に入れたのだろうか?そのあたりが一番気になるところ。
1F0E26D6-70FE-423F-8AF1-C1396FA1B137.jpeg
nice!(1)  コメント(0) 

医師-看護師関係のみょう [医療]

医師と看護師の関係は、もしかするとWin-Winとなっていないのではないだろうか?そしてそれば主治医感が強いほどその傾向があるように思われる。つまり、患者への思いが医師の方が濃い場合、圧倒的にマンパワーの少ない医師が自分が留守(オフ)の時に患者を預けて、医療及びそれ以外のことをお願いするような立場なのだ。看護は医療ではないだからわたしたちは医療の手伝いをしない。などという考えた方もあり、点滴や投薬や採血は医療なのにやってあげているという気持ちが存在したりしなかったりである。まるで、まったく子育てに関与しない父親とその妻の関係に似ているのである。それで妻はできる限り夫に自分の仕事の負担を分け与えようとする。それからイクメンなどという言葉が生まれている、実際専業主婦なのであれば、夫が育休など取れるはずもなく、夫の育児参加はそれぞれの家庭で決められることであっって、世間の風潮で絶対量が決まるわけではない。医師看護師関係も実際に医師が1人だったり、グループであったり、患者の容体によるのでその場その場で、適切に考えるべきなのであろうが、都合で考える人も中にはいて、1対1の夫婦のように考えると医師の仕事量が計り知れなくなる。実際それに似たような状態が世紀末から新世紀にかけて行われていた。常識で十分判断できるような内容や、翌日で十分間に合うような内容の確認が帰宅してからかかってくることなど日常茶飯事だったのは、今考えるとそういうことなのだろう。医師と看護師は協力して患者の健康を促進する。という考えの人もいれば、先ほどのべたように、看護師は医師の仕事を押し付けられていると考える人もいた。ということである。そいういう考え方の人が看護師トップにたつようになっていたように思う。ただ、いくつも病院を経験して感じたのは、医師看護師の仕事内容がはっきりと分断されている病院の方が関係がギスギスしているのである。グレイゾーンを譲り合ったり押しつけあったりするとこを緩和するために、少なくとも表面上、というか必要に迫られて関係をよくしているようである。これは子供のいない夫婦の方が仲が良い説(自分)と良く似ていると思う。

0178719C-FFB3-4D5E-B857-058E2545E7E3.jpeg

nice!(1)  コメント(0) 

2023-02-09 [つれづれ]

トルコ、シリアでたくさん人が死んでいる。つい最近そのあたりの情勢にこっていたこともあって、その前よりはすこし興味の度合いが強いのだが、しかし実際自分の周りの知らないヒト達も毎日亡くなっている。自分は自分の病院の他の先生が診ているヒトが亡くなったことも知らない。そんな中でたくさん人が亡くなっているというニュースをどう消化すればよいのだろうか?義援金をそれがどこ手どう使われるかなんてわからない。とか、めっちゃ取られている税金から政府が出しているからいいだろうという理由で払わないということにもなぜ少し後ろめたい気持ちにならされなければならないのだろうか?その気持ちを利用したのが義援金や募金なのではないかとさえ思う。

知ってしまったからにはお気の毒だし、やっぱり東北大震災の時のようなエンパシーは感じなくで申し訳ないとは思わなくもないけれど、今度はもっと上部な建物と作る制度にすればいいよね。なんて思う。


BDDB1825-3EB5-44B2-907B-D2F909D00CEF.jpeg
nice!(1)  コメント(0) 

刺激と反応の間 [つれづれ]

刺激と反応までのあいだにあるスペースは自分の感情でも考えでもない。

それは客観的なもう1人の別の自分ということなのか。

自分は感情こそが偽りのないそのひとを表すものだと考えていた。しかしコヴィーは人間だからそれをコントロールできるはずだと言っている。

また、アドラーは怒りは可能性と傲慢さの表現だと言っている。

いずれにしても人間は感情があるからこそ人間であり、歴史そのものでさえ感情で作られているのだ。コヴィーに言わせると多くの人間が未熟ということなのか。自分は常に3人いてそれがすべて自分なのだという訓練が成熟というのかもしれない。


E4F531F3-29E8-4148-979E-A2E8B3E8DA50.jpeg
nice!(1)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。