妻とデート [今日の出来事]
大事件 [今日の出来事]
なんとも恐ろしい事件が起こってしまった。陰謀説やマスコミに責任があるだのと大きな波紋を呼んでいる。歴史的事件であることに代わりがないし、なくなった阿部総理のご家族やご友人にはなんと申し上げてよいのかわからないが、実際もっと恐ろしい事件は一杯日本でもおきている。2年前のマリスト学園の襲撃事件や池袋や秋葉原の無差別殺人。日本がどうかなってしまったかと言えばおかしなヒトは一定数いるということだろう。
にしても、だれもが知っているヒトが公の場所で多くのひとがビデオ撮影しているなかで銃で撃たれるという事件はかなりのインパクトといろんなところに影響を及ぼすであろう。タカ派のヒトはそれみろ、平和ぼけなどしているからだ。武器を持って戦えというだろうし、民主主義は終わった。などというヒトもいる。リベラルが強いヒトはそれみたことかと言うかもしれない。何にせよすでに一人の人の死を利用し始めているヒトがいるのは阿部さんも死んでも死にきれないだろう。せめてそれが国をよい方向へ導くような影響を与えるのであれば、なんて草場の影で唇を噛んでいるかもしれない。
旧友の家 [今日の出来事]
今日父親のところに泊まりに行ったついでに、亡くなった旧友の家に行ってきた。同じく旧友を介して奥さんと連絡をとり、岡山駅から駅で3つ目の妹尾というところを初めて訪れた。つくづく、亡くなって初めてかなり近い友だったと気づく。そんな自分を変えていきたいと思ったことと、自分の中で友の死をちゃんと受け入れる必要があると思ったこと。それから残った家族に何かしらのプラスを残してあげたいと思ったこと。今振り返るとこの3つがわざわざ足を伸ばした理由であった。しかし3つ目は逆に彼の遺したものを見せつけられるに終わった。じぶんがご家族に出来たことと言えば”わざわざ”行ったことのみであり、むしろひとが死ぬということの現実と意味を学ばせてもらったように思う。奥様は2、3度しか会ったことはなかったのだが、以前からの旧友の様に話は弾んだ。これも彼のなせる技なのだろうか?つまり彼女に乗り移った彼と話しをしていたのだろうか?いや、彼だからの彼女であり、空白の30年はむしろ意味がなかったのかもしれない。いずれにしても、残されたご家族のためなどという3分の1はおこがましいのみということは了解した。
尾崎豊展 [今日の出来事]
尾崎豊展へ家族といってきた。
時期を同じくして自宅に任天堂スイッチを迎え、さらにカラオケが導入され、一週間の間子供達への導入のためオザキを歌いまくった。カラオケというものには20代のころは月1だったが、30代になって年150代になってからは10年に2.3度となっていたので自分の音程のとれなさや高音のでなさに苦労したが、それでもなぜか子供達特に下の子には受けて、「家族で尾崎展」も自分の中では成功だった。
尾崎豊と出会ったのは19の時だったが、その頃自分は浪人中で親からも距離を置かれ、その時の恋人とはどうしても通じ合えない孤独感と戦っていた。そんなときレンタルレコード屋でであった「僕が僕であるために」は衝撃的だった。自分の中の律法の外側にいる彼女のことを求める自分と拒絶する自分の葛藤のなかで、自分は彼女の事を受け入れるためには自分をおとしめなければならないのではないか?という自分の心は逃げなんだ。と言われている気がした。結局戦い切ることはできなかったし、自分なりに自分の境遇にあてはめたのだろうけど、それでもいまだに自分の心に響くものもある。
にしても初期の3枚を久々に(30年ぶり?)に聞いてみたが、この3枚で音楽的に成熟しているにもかかわらず、「いい」と思えるものは成熟度ではないことに改めて気づくものだ。
総合内科について病院で発表した。 [今日の出来事]
総合内科について病院で発表した。
自分が何を考えてここまできたか。どこでなぜどう考え方が変わってきたかを聞いてもらうことが一番の理解への早道だと考えた、。
大まかにいうならば
1)総合診療という考え方一般的に考えればそういう医者がいた方がよいことは全く自然なこと。
2)将来開業することを、前提に総合内科を学んだが、EBMの基礎を学ぶことになった。
3)救急医療を学びたくて沖縄へいった。沖縄で欧米型の医療を共有できた。
4)内地に帰り専門医を目指したが、なじまなかった。
5)理想的な病院をつくるために総合内科を立ち上げた。
6)総合内科の存在が総合的(患者中心的)に考えられない専門医を作ることに気づいた。
7)自分が矢面になって初めて伝えられるものがあることをしった。
8)総合病院でひとり総合内科の道を模索した。
9)グループ内にいないと伝えられないことがあることを知った。
10)学生にもっと実践的な教育ができる機会を得た。
11)仕事と家庭を天秤にかけてはじめて家庭が勝ち、近くの病院に勤めることになった。
まぁこんなところだ。人生なんて。。。
とりあえずそのときその時で信じたことからは逃げなかった自分には満足しているかもしれない。
当直 [今日の出来事]
100%とは [今日の出来事]
結果的に命を守る多くの力はご本人がもっている。我々はそれを補助するだけ、その補助が功を奏さなかったときにいつもそれを思い知らされる。そしてその感覚のなかにいいわけや慰めがまったくふくまれていないかといえばうそになる。そんな業のような思いはグループ診療だと薄まってくれるのだろうか?