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子供の物欲 [つれづれ]

子供のころ京阪電鉄の三条駅は私鉄っぽくないほど余裕の大きさがあったように思う。京津線の終点もそこにあったし、そんな駅で買ってもらえる楽しみにしていた、アップルパイがある日全く買わなくなってしまった。おそらく今の自分のアップルパイへの思いはあの時の喪失感が育てたものだと思う。

 

考えてみれば子供のころの物欲はすべて中途半端にかなえられ、案外それは今も自分の中に息づいているようだ。カメラはOM−1が欲しかったが、父親のお下がりだった。自転車はナショナルのエレクトロボーイがよかったのだが、類似品だった。ラジオはナショナルのクーガーのAMアンテナが回るヤツがよかったのにソニースカイセンサーICF-5900だった。GIジョーのアメリカが欲しかったのになぜかドイツ軍だった。

 

こんなにも覚えているということはどういうことなのだろう?決して恨み辛みではないし、欲しいもの何でも買ってもらえたらよかったとも思っていない。もしかすると覚えていないものは、すべて自分の希望を手に入れていたからかもしれないし、でもまったく記憶にない。中学になってからは自分ですべてのものを選んでいたし、それほど大きな買い物はなかった気がする。逆にまぁまぁな買い物を自分でできるということは、それまでは自分の望むものなど手に入らないという親の方針だったのかもしれない。

 

自分は子供達にモノについてどのように与えていけばよいのだろうか?なにが正解などないのだが、自分が根に持っているから望み通り買ってやるも違う気がするし、逆にちょっと違うものを買ってやるのもなんかわざとらしい。

今の基準は子供の役にたつものとしているが、いつまでもそれ一点張りではきかない。1つ言えることは、親しとての筋をちゃんと持っておくほうがよいということだろうか。

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