ビリーアイリッシュの歌を中流しながら [つれづれ]
ビリーアイリッシュの歌を食事中流しながら、「この人は子供だけで作った音楽が世界一になったんだよ。」みたいな話しを子供達にしていた。「どして?」の質問に「誰の真似もしなかったからじゃないかな?」と答えた。
きっと彼女たちは自分たがよいと思うものを作っただけなのだろうと思う。それが「いい」ものとして人々の心を打ったということだろうか?
音楽の世界でもなんでも認められたヒトが「よいもの」になるキライを時々目にする。例えば、1900年当初の印象波の画家はみんムーランルージュに集まっている。誰の真似でもないルソーすらもそうらしい。あのころの印象派の流行は芸術としての「よいもの」とは無関係なはずなのに?
にしてもでは何をもって「よいもの」と言えるのかを本当の答えを持っているヒトがいるのだろうか?
それこそ発信側も受信側も十人十色なのだが、それでも多くのヒトに認められるものがあり、必要なことなのだろうか?
自分のなかでは少なくとも明らかに誰かの真似をしているものに芸術性を感じないというのは五感で鑑賞していないことの表れのひとつなのだろうか?