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心筋梗塞でプライマリ医に求められる力 [今日話したこと]

心筋梗塞を勉強するにあたって最も大切なのはまずプライマリーケア医が判断を迫られるのは診断をつけるところではあるが。もっとも大切な事は実際心筋梗塞になっている人を見落とさないことで、典型的なものはもちろんなので、病歴を聞いただけでそれがそれらしいものかそれらしくないものかを判断できる力まず必要である。その中でそれらしくないものをどう引っ掛けるかと言うところも必要になってくる場合もある。

例えば総合診療外来だったりすると、看護師により典型的な病歴のものは既に除外されており、非典型的なものを見る力の方がむしろ要求されたりする。

 

もう一つの大切な能力は心筋梗塞が起こりやすいかどうかの判断である。つまり不安定狭心症となっており、入院してヘパリンを流さないといけないのかどうなのかと言う所の判断が最も難しい。どこまで確率の低そうなものまでを引っかけるかはその病院の循環器医の体制や考え方によるかもしれない。 

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確証バイアスの中で [今日話したこと]

前医の診断を信用しない。

これは前医をリスペクトしてはいけないということではない。大まかに2つの理由がある。それは、なんでも鵜呑みするのではなく自分で考える。ということと、もっともらしい情報にアンカリングされることで自分の思考が影響受けることを避けた方がよいということである。

それによってせっかくの後医は名医の優位性が相殺されてしまう危険すらある。

 

そして、前医の情報が都合のよいものである方がそれを受け入れやすいという確証バイアスも拍車をかける。

 

自分はこの年になってもOpne mind になかなか自分を広げることができない経験をする。

わかっていても渦中のヒトになると見えなくなるものがある。診療中は幾度となく枠の外にでて事態を見直すことを忘れないでおこうと思う。

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外来診療教育 [今日話したこと]

15年前に研修医や後期研修医に対して、外来教育の重要性を主張していました。当時の内科トップに鼻で笑われたが、自分の考えは変わらなかった。若いから救急と入院だけをさせるというのは労働力としての期待でありそれによって学ぶことはあるが弊害もあった。通常の外来で、no acute broblemを結論に終診にしたり、最初から矢継ぎ早にclosed questionを行ったり、最後まで患者の目みない若い医師を時折見かけるのは救急のみから診療を始める弊害であろう。そしてなにより、疾患のない人は患者として認識出来ない頭が出来上がってしまう。なので、自分は外来教育を始めるときにまず救急外来との違いは?とコミュニケーションをとる理由は?という問題をなげかけ、毎回それを質問して答えが変わっていく様を観察し、それを教育外来の成果とすることにしている。

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外来研修指導について(ブログ再開してまる一年!) [今日話したこと]

自分は、自分が外来でたくさん教えてもらったこともあって十数年前から外来教育の必要性を主張してきた。その項は外来の壁に90と大きく貼って90秒はカルテを見ないとか、左手は絶対に机の上に置かないとか、そいうことを若い医者達に”強要”してきた。外来は奥が深く臨床推論が活躍するところだが、不確定要素を受け入れないといけないところでもある。おそらく若い医師達は、教科書のいっていることなどにスポッとはなるひとや、勉強した鑑別を練習できることなどに価値をみいだすのだろうと推測するのだが、逆にいうとハッキリと答えのでない、それこそ主訴もはっきりしないような患者を診ることは労働以上ではないと考える人もいるかもしれない。

今厚労省でようやく研修医の外来研修が義務化されてきたが、自分は彼らに(10年以上変わっていないが)一生身につけておくべき型と、外来の考え方を特にコミュニケーションを中心に重視している。なぜなら一年やそこらのわずかな時間で、臨床推論などその片鱗も教えられないと考えているわけで、それは一生の課題として残しておいてもらいたいしPBLでその思考過程を学んでもらった方が効率がよいと思う。医療というサービスをどう考えるか?患者それぞれの人にとってなにが有益なのか?そしてコミュニケーションの最低限のテクニック、言われないといづかないnonverbalな部分を身につけ、その後は各自のスタイルに融合させていってもらえればよい考えている。


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学校では習わないこと。 [今日話したこと]

今日来ていた学生に、ある症例で5年前にヨーロッパに旅行したという病歴はどういう意味があるのかという質問をいじわるな意味でしてみた。

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昨日話したこと [今日話したこと]

意識障害の人が来た時、鑑別はAIUEOTIPSという有名な語呂合わせがあるが、例えばアンモニア、肝硬変のある人にアンモニアが高値であれば、肝性脳症の可能性が高まる。しかし肝硬変のある人にアンモニアが低ければ、これは否定できない。

ここまではわかるが肝硬変がない人にアンモニアが高ければどう考えるだろうか?肝内門脈と胆管のシャントを考えるのかラボエラーを考えるのかその他の原因を考えるのか?

ということになるが、大切なのはアンモニアを頭の中心において、物事を考えないということである。choosing wisely としては、肝硬変のない人にアンモニアなど測ってはならない。となるのだが、日本人の気質として、レアな疾患を理由に正当化される。その正当化が許されるいい国なのであるが、そのために膨らんだ医療費を削減するために素人が規制をしいて逆に患者に不利益なことを強制したりするのでどちらが正しいのか分からなくなってくる。

日本での今の結論は、測るのは良いけれど、偽陽性や偽陰性がわからない人はその資格がないということ。

 


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身体所見の考え方の変貌 [今日話したこと]

今日話したこと。身体所見について、自分は臨床カンファレンスなどで身体所見で脾腫がありますと言った人に「それはエコーをやる前にわかったのですか?」などと意地悪な質問をよくするが、たいてい答えは「いえ、あとです。」(笑)となります。自分も腹部エコーをしているとき必ず脾腫があるか身体所見で確かめてからみるようにしていたが、これがなかなか難しい。打診だと少し客観的で、胸郭が大きな人は横隔膜が少しせり上がっているとか、やせている人は感度が高いとか、背側まで打診をすれば特異度が高いとかいろいろやってみたが、身体所見で脾腫を断定することは決して出来なかった。エビデンス的には50%とあるが、結局超音波などで確かめる必要があるのに、身体所見をとる意味はあるのだろうか?少なくとも超音波がある環境ではないのではないだろうか?CTなど侵襲的な検査までしないとわからなかったものは別としても、侵襲ゼロの超音波が簡単にできるようになり、身体所見の意味そのものもかわってきたように思う。極端に言えば、超音波で確実にわかるものは身体所見をとる意味がない。ということになる。それよりは病歴からどの身体所見が必要か?それはみるだけでわかるのか?聞く必要があるのか、さわったり動かさないとわからないのか?超音波の方がすぐれているのか?で考える必要がある。その上、経過を追うために(毎日の回診の時など)有用なものはなにか?で考える事になる。また知っていたら気づいて入り口になるものもある。今思い出すものだと、視てわかるもの、爪のなかでも、化学療法を繰り返している人、スプーンネイル、ばち指は臨床的に意味がつよい。この前循環器の先生が首がぴくぴく動いていたからといっていたARも入り口になる身体所見ではないだろうか?また診断に特異的なものとしては心内膜炎のChaing murmur 胸膜炎の 体位変化で変化する雑音。 肺の繊維化を示すlate clackle、ホールパイク試験、神経学的所見などが挙げられる。経過をみるものとして代表的なものは頸静脈の観察と考える。今日は眠いのでこれくらいにしておく。


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厚木勉強会にて [今日話したこと]

・room airでSa97%とはいえ、呼吸数が25もあれば、低酸素の可能性を考える。

 

・サンキュー110   番

 

・なんで心房細動の人にブスコパン使っちゃいけないの?

心房細動は心房から起こる信号を心室が拾うことで心室の収縮が起こるのだが心房結節によってコントロールされていないので、ブスコパンでどれほどtachycardiaになるかが予想できない。

 

・抗生剤開始で悪化するもの

スピロヘータすぐに起こる。ヤーリッシュ・ヘルクスマイヤー

髄膜炎の時のデカドロンの投与も抗生剤投与時の細胞が壊れたことによる毒素?による障害を防ぐため。

肺炎球菌?

結核 すぐではないが増悪することがある。

関係ないがバイアスで血栓逆にできやすくなることがある。

Caブロッカーでtachycardia(ほとんどみない)(もっと関係ない)

 

peripheral sign 

心内膜炎の身体所見は昔よく国試に出ていた.それはそれぞれ名前が付いているから出しやすかったのではないだろうか?

splinter hemorrhage とかRoth spotとか,それほど意味のあることと思えないのでperipheral signs とひっくるめて言っている

 

血液培養 取り方ひとつにしてもたくさんのスタディがある.

針を変えるのか?嫌気ボトルへの入れ方,消毒の仕方.

しっかりと後輩に教えないといけない

 


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勉強会から外来指導 [今日話したこと]

肝硬変の発熱

免疫不全特に脾臓の機能の低下

非機能が亢進して溶血が起こっているのに、低下とはこれいかに?

そして溶血が起こっているから鉄過剰になるのか?

脾機能低下ではH.flu pneumococcus

などにより弱くなる。→それでSBPの時にセフォタックスか!と納得。

鉄過剰ではビブリオ、エルシニア、サルモネラにかかりやすい。

ビブリオはバルニフィカスが有名。

肝膿瘍は熱型は2峰性?単純CTでは写らないこともある。熱型で診断がつくことはないが、ヒントにはなるかもしれない。

エルシニア 盲腸に炎症を起こす

盲腸に炎症を起こすもの

結核 アメーバー エルシニア

打診の話し

shifting dullnessの話し

波動の話し

サルモネラ チフスの話し腸の症状があるわけではない。

サルモネラに引っ張られた?

日本の卵にはサルモネラいない?

 

外来にてS先生へ

若い医師は救急や、入院を診るということに以前から慣習的になっているが、どちらかというと徒弟的な意味合いが大きいように思う。

医師として仕事をしていくと、どの科に進んでも、いずれ外来診療は必須の一つのカテゴリーとなる。

現在学生時代にオスキーが始まっているのだからそれをベースにして自分のスタイルを仕事を始めたときから作り始めるべきと思う。

臨床推論など、やフォローアップの方法などは一生学んでいくものなので、まずはどのようなスタイルで外来診療を行うのか、マナーや心構えをしっかりと持つ必要があり、これは一生持って行くものと考えて欲しい。

話したことは、1)non verbal なものほど患者に伝わる。ココロで思っている事を出さないテクニックも必要→自分を客観的にみる必要がある。たとえばビデオ撮影などで気づきがあるかもしれない。

2)まずは患者本人もしくは家族の側にたって考えよう。そこを十分に検討したうえで医師としの話しや質問をしよう。

3)第一印象はとても大切。自分自身のふるまいと患者が言いたいことをまずははき出してもらうことも大切。

4)患者をひとりの人としてつきあう。ごく普通に初めて出会いと考える。

5)病気がない時ほど、医師患者関係築くことができず、それが訴訟になることさえある。

6)外来は患者がこまっていることがなくならない限り、もしくは他で診てもらった方が本人にベターでない限り終わらない。

など

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くるま綺麗

 



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厚木勉強会3) [今日話したこと]

60歳女性発熱

コモンなものとしてはUTI、胆嚢炎、胆管炎、肺炎、上気道炎などがすぐに思いつく。もともともともと胆石があったりするとより胆嚢炎の確率が上がり比較的レアな胆管炎の確立も上がる。胆管炎に関してはすぐにショックになり得るので緊急を要する場合があるが胆嚢炎はそれほどでもない。発症時には胆嚢壁はそれほど肥厚していないこともある。ただし糖尿病がある場合は壊死性胆嚢炎を想起する必要がありその場合は緊急手術の適用となる。ALP γGTPの上昇は胆管炎のヒントになるが軽度のLFT上昇は胆嚢炎の助けにはならず、200以上だったりすると肝炎の可能性が出てくる。

尿路感染症は女性に非常に多くurosepsisと言われる位に敗血症にすぐにでもなり得る。特に閉塞基点がある場合は解除しない限り救うことができないと考える。肺炎はやはり呼吸器症状、咳嗽、喀痰の排泄などがある場合が多いが、バイタルの全てが正常であることのみが肺炎否定できる唯一の手段だと考えてよい。症状が全くない時に考えるべき細菌感染の代表が心内膜炎である。身体所見として心雑音やperiphral sign ,や病態としての脳梗塞などいろいろなプレゼンテーションがあるが、この際検査前確率は低くても血培はとっておくべきであると考える。こういう疾患のことをindex diagnosisといい、IE TB PE ADのこの4つを普段からできるだけ想起することにしている。5年目のドクターが私と一緒に働くことになった時彼は5年間の経験で1度も心内膜炎を見たことがなかったことに、わたしは驚かなかったなぜなら彼には血液培養をとる習慣がなかったからだ。彼は私と働き始めた3ヶ月で3人の心内膜炎を経験した。

つまり明らかなウィルス感染症の証拠や扁桃腺炎の所見など強い対抗馬がない限り、フォーカスがはっきりしない場合は血液培養は必須と言ってよい。また血液培養が生える確率が低いとしても胆嚢炎や胆管炎など細菌が経験的な予想しかできない場合は血液培養が、治療が行き詰まったときの助けになる可能性がある。いずれにしても細菌感染症を治療する場合、最も確実な直接的な指標としてグラム染色もしくは培養つまり細菌の種類を同定することが最も確実な手段と言える。経験的な抗菌薬の選択とにくらべ、耐性菌を減らし、治療失敗時の選択肢を増やし、医療者の安心感にもつながるのである。ちなみに喀痰採取時のグラム染色は細菌を同定出来ると同時にその培養結果の信頼度も知る手だてとなる。

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