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9才になった君へ [○○才になった]

君について考える時、どうしてポジティブなことよりも心配が先に立ってしまうんだよ。

食事の時の姿勢、ものの整理ができない。よってすぐものをなくす。質問されてもすぐに答えられない。やりたいことががあると別のことが目に入らなくなる。今の学校だから、これらのことを寛容に見てくれている。

 

もちろん、確かに君の人生にとってもっと大切なことは、別のところあると思う。そして将来的に生活に困らないようになればよいのかもしれないけれど、すでにピアノのお稽古の時には石原先生の心証を悪くしているよね。そんなふうに今後いろんなところで君が知らない間に損をしないか心配、というのは親の身勝手な考えを君に押し付けているだけかもしれない?パパは君が4才の時からずっと心配してきたけど、君の幼い心の中で、「それは親のエゴだろう」という心が働いているからできないのかなぁ?そしてパパはというと、実際パパはいろんなことを親に注意されずに育った気がする。小学3年生くらいまでは「勉強しろ」が9割、箸の持ち方が1割。それ以外で怒られた記憶があまりないんだよな。とにかく勉強に関しては母も父も厳しかった。母が僕がそれ以外は言うことを聞かない人間だと思っていたのかもしれませんし、勉強さえできたらそれでいいと思っていたのかもしれない。

 

実際パパは忘れ物よくするし、姿勢もよくない。どちらかといえば「うっかり八平」なんだけど、親にはそのことを指摘されたことなかったし、実際自覚したのは、仕事を始めてからなのだだ。でもなんとか工夫してやってきているよ。その反面小学1年から3年くらいまで厳しく勉強をさせられて、つねに1番だったというプライドはその後の僕の人生を出来るヒト側に支え続けたと思う。それがいいことかキツいことかは別にして(4年生くらいから反動がでたからね)今は親に感謝している。その反面もしかすると自分の八平は躾がなってなかったからではないかと自覚しないながらも、心のどこかで思っているのかもしれない。そしてそれが今の君に対する態度にでてしまっているのかもしれないね。

 

今、君が出来ないのは逆にパパが躾にこだわりすぎたのではないかと考えた時期もあったけれど、今はこれは生まれつきもっているものでそれは逆に受け入れるべきなのではないだろうかと感じている。実際どうなんだろうね。そして君は自分の子供ができたらどうするのだろうね?今のパパに出来ることは、怒らずに注意し続けることくらいだよ。

 

そして、じゃあ君はどんなヒトになっていくのがいいのか?なんて考えるけど、そして僕たち親は何をすればよいのか、本当いうわからない。君は、何か好きなことに対しては極端にのめり込むところがあるから、いろんなことを同時に少しずつさばくような仕事より、じっくりとなにかをする仕事は向いているのだろうなんて漠然と思っていて、その芽をつむようなことはしてはいけないと思っているだけど、君が本当に本当に没頭できるものを見つけるまでは、そして見つけてからも、社会人として最低身につけておかないものを持てるようにするのも親の役目だと思っているんだ。

 

パパとママのいろいろな期待は時として、過剰に君を苦しめていたかもしれないけれど、君はもっと自由でいいとも思っているんだ

パパもママもいろいろ迷いはあるけれど、パパやママが考える子供像と違うところは違うって気づいて行きたいと思っている。

そういうわけだから、今後とも、どんどんと本当の君にに会っていきたいと思っているから、よろしくお願いするね。

 


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○○才になった我が娘へ [○○才になった]

○才になった長女へ

2022年の10月に長女に宛てる予定の内容その時生きていれば変更すればよいので今のうちに書いておくことにする。

以前「由似へ」というくらもちふさこさんだったかのマンガの真似であり、いつか見た映画では膀胱癌になった父がビデオを撮っていた。

最近ではバイオレットエバーグリーンでもこの手法を踏襲していた。

 

9才三年生といえば結構父も物心ついている頃になる。好きな子もいたし、勉強もよくできたし、クラスの代表で祝辞を読んだりもした。

小学校は普通の公立だったし、京都の公立は特にあのころは共産主義的な考えで出る杭を打つという空気が漂っていた。でも父の先生は(島崎先生といったのだが、)テストの平均点をならべて自分がどれくらいの順位にいるかを公表はせずとも各自に伝える先生だった。父は国語のみが2位で他はすべてほとんど100点だった。いつも答えが枠からはみ出していたのを覚えている。いつ勉強したとかあまり記憶にないし、家での勉強で記憶にあるのは父(じーじ)に時々隣につかれることがとても辛かったことくらいだろうか、バーバにも勉強をしないということのみ怒られたな。とにかく勉強しなさいという家だったよ。今は時代が変わって日本全体が勉強を無理強いしない方がよいという価値観になっているし、父もできれば楽しく成績がよくなればなんて思うから、よく「全集中」などといってみんなで一緒に勉強したよね。○○には勉強という意識すらなかったかもしれないけれど、そしてパパも子供のころ親に散々催促されて勉強して四年生になったころには全国で42番などという成績をとったりしていたよ。でも5年生ころになって、他の人たちにどんどん追い抜かれて、同じように勉強しているのにどうして追い抜かれたのかわからなかった。わからないまま、アマチュア無線の免許などを取ったりしていたんだよ。きっと他の家庭では5年生頃から親も子も必死になって受験というものにとりくんだんだと思う。パパは百科事典をずーっと眺めていた。小学校では一番だったけど、そんな自分が中学受験などあまり意味がなかったようだけど、いわゆるいい学校にだけは行きたくて受験したりしていたんだな。今考えて自分が公立の普通の中学に行ったことをむしろよかったと思っているし、今の自分があるのは公立に行った自分が積み重なってできたものだと思うから。後悔のようなものはないのだが、○○のことを考えるに、まだまだ、ちょっとして優越感に浸れるような学校に通うという選択肢がまだまだ残されているとしたら、1,2年の犠牲は払う価値があるかもしれないとも思う。もちろんそれは本人が決めることなのだけど、パパがあんな風に勉強を楽しんでいただけでは、望みはかなわないということだけは教えておきたいと思う。実際誰もそれを教えてくれないし、ただ勉強しろと言われてもやる意味を自分で見つけない限りはやっても力になっていかないと思う。パパとしては、世の中の中で見晴らしのよい道をあるいてほしいなんて思うからそういう少し虚栄心的な欲望も生きやすくしてくれる要素なんじゃないかと思う。

でもかといって、それこそが生きる意味や価値だとは思わないし、もっと大切なものを犠牲にするくらいなら、一般的な陽など当たらなくてよいのではと思っている。パパはラッキーなことにじーじがお金持ちだったから、私立の医学部に入れた。だから案外のんきに暮らしてきたのに、結構陽が当たる(というか楽な)道を歩くことができた。それにくらべてパパはそんなにお金があるわけではないから、そういういわゆる世間の評価を簡単に受けられるようになるためには君自身の考えと、実行にかかっていると思うわけだ。先の事はわからない。でも日本で暮らす限り、いくつもの枝分かれがあってそれを選ぶことによって通じる道があり、別れてしまったものはやはり別の世界だということだけはわかる。その先を見据えて、そのために何をしないといけないかそれをよくよく考えてほしい。

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