SSブログ

自転車通行マーク [つれづれ]

th_IMG_4156.jpg

自動車の道路の端に電車マークがある。道路の幅は自動車が通れるギリギリ位なのにそこに自転車が通って良いと言うマークをつけているが、一体どういう考えでこのマークをつけているのだろうか?そもそも自転車は歩道を走るものなのか車道を走る間なのかそれすらはっきり決められていない。(免許書き換えの時警察官がそう言ってた)そんな中で強引に車道を走ることにしたらしいが、そのためのガバナンスは全くできていない。こんなもの整備したと言えないのに、現場を見ずにただ地図上で指示しているヒトがいるのだろうか?いや、地図すら見ていないかもしれない。こんな行政のために自分達は税金を払っている。ただ、確かにバイクと呼ばれる非常に速い自転車は歩道を走ることができないだろう。でも環八のような環状道路にすらの自転車のマークがついてるのはいかがなものだろうか。人間は自然を克服したかのようにいろんな人工的なものを作ってきたがそれほど先のことを考えて計画的には決してデザインされていない。車が通る道の電柱、見通しの悪い交差点、根本的なところからやり直す作り直すことがなかなか困難なところが非常に多いのも事実である。

 

医療にも同じような事が言えて、日本ではあまり問題にされていない問題が地域医療にはたくさんある。特に都会の地域医療は発展しているようで発展しているようで棲み分けがうまくできていないのが事実だと思う。自分が考えるに高度医療と言うものは基本的なところの積み重ねの上にあるものであり、外から見えるような行動のみやっているだけでは本当の意味の高度な医療とはえないのではないかと思う。

 

我々のような基本的内容を基本的な医療をしっかりと守っている者たちにとっては高度な医療をしている方々ですらあまりよい医療してるように思えなかったりする。(たとえば感染症の扱い)もう一つは基本的な医療する人と高度な技術を要するとの人数バランスがうまく整えられてないところもある。大観でみて調節すると言う機能が医療にはなくそれが1つの原因だと思う。またそれぞれの医療施設の中で可決されているために本当に適材適所に患者さんが送られているとは限らない。このあたりのシステムの構成はいったいいつになるのだろうか?あ、もちろん人と人とのつながりで医療が行われている面もあるのではあるが。


nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。