紀伊國屋 [つれづれ]
紀伊国屋書店
たまたま紀伊國屋書店に寄ったら三浦瑠麗さんと写真家の初沢亜利さんの
対談をやっていたので聞いてから帰ることにした。
内容は自分が見てきた頃中とはまた違う視点で特に彼の写真を通してのコロナ禍。まぁこれは写真集の売り込みがメインテーマで意見が違ったとしてもそこは発展させることを避けて行われた感覚が見て取れるのだが、ツイッターなどでとても的を得た発言をしている三浦さんの実物を一度みてやろうと思い足を止めた。
自分の中に残ったことは大きく2つで、政治家たるもの1国民の日常の一つ一つをちゃんと取り入れた上で政治方針を個人のひとつひとつから紡ぎ出すべきだと言う意見それはもちろんそうなのだと思うのだが、最も大切な目標である人が死なないということを議論の中に入れないと、なんでも言えるのではないかとも思った。そして評論家が「あなたの」ことで政治を語るのか?とも言いたかった。
もうひとつはアメリカの話だと思うが、リベラルは家にこもり共和党が集まっているとして、集まっているものの方が強いのではないかと言う話。自分にはよくわからないがそうなのかもとも思う。彼女がいいたかったのは政策の正しさとか選挙のやり方とかではなく人間は本質的に集まって話をすることで強くなるそれは集団としての有り様ではなくただ本質的にヒトとはそういうものだ。と感じているようにとらえた。
そもそも自分が三浦さんに興味をもったのはつい最近のことで、北朝鮮のスパイが日本に潜んでいるといっただけでAmazonのCMをおろされたことからなのだが、とかく強い女性、論が立つと言われている彼女だが、案外女性的で、また自分の視点を強く信じているひとなのだと思った。彼女が批判ののりしろはそういうところにもあるのかもしれないとも思った。
そのほか気になった表現
コロナという実験室
かわいそうな人に手を差し伸べのが21世紀のリベラル→コロナで自分自身も対応できなくなった。
わたなべたつお氏の写真の撮り方。彼女をそう思っているからそれが写真に出る。
しっぽがいぬを振り回す。
自身があるとは自分がみたものを信頼していること
東京は無自覚なおごり
政治家は意見を変えるのはよいがそれに無自覚なのはよくない。
集団が生存自体にストレスを感じたときにいじめが起こる。
まるで戦時のように不要なものが排除されていく。はたして子供の遊び場は不要なのか?
テレビはひとを傷つける
ゼロリスク主義
強者ー弱者固定化した構造がまちがっている。
「変わった、変わっていく」と言いたいから言うヒトがいる。