当直中 [つれづれ]
猫のお寺の知恩さん [つれづれ]
どんなに良い人間でもきちんとがんばっていれば、誰かの物語の悪役になる。
なかなかの名台詞が話題になっているらしい。このセリフからは「がんばっているから」と応援の響きがある。「嫌われる勇気」じゃないけど、間違っていないと信じていれば、それが受け入れられないことにがっかりする必要などないのだよとも聞こえる。
とんがりまくって報われず、うまくいかないことは最終的に成功とは言えない経験もしたし、怒りまくってそれがヒトをセレクトしたという経験もある。
ヒトはは信じる道というのはひとりだけでは進めない。だからといってヒトに助けてもらうために、自分を演出することがどうなのだろうか?根本的な信念だけば曲げずに生きればいいと常々思うが、そのことが認められないことだってある。ということを再認識させていただく力強く優しい言葉に出逢った。
昨日話したこと [今日話したこと]
意識障害の人が来た時、鑑別はAIUEOTIPSという有名な語呂合わせがあるが、例えばアンモニア、肝硬変のある人にアンモニアが高値であれば、肝性脳症の可能性が高まる。しかし肝硬変のある人にアンモニアが低ければ、これは否定できない。
ここまではわかるが肝硬変がない人にアンモニアが高ければどう考えるだろうか?肝内門脈と胆管のシャントを考えるのかラボエラーを考えるのかその他の原因を考えるのか?
ということになるが、大切なのはアンモニアを頭の中心において、物事を考えないということである。choosing wisely としては、肝硬変のない人にアンモニアなど測ってはならない。となるのだが、日本人の気質として、レアな疾患を理由に正当化される。その正当化が許されるいい国なのであるが、そのために膨らんだ医療費を削減するために素人が規制をしいて逆に患者に不利益なことを強制したりするのでどちらが正しいのか分からなくなってくる。
日本での今の結論は、測るのは良いけれど、偽陽性や偽陰性がわからない人はその資格がないということ。