院長の助言は正しい [つれづれ]
今日の外来はかたっぱしから専門医に紹介する手法をとった。もちろんそれではこんなの自分でみてよ的に思う人もいるかもしれないのはわかっているのだが、少しおとなげなく、「そういう人のいるのにさ」的な感じで、それを証明しょうとしたのかもしれない。
ある知り合いの死 [カンファレンス]
あまりにもわかりきっていることなのに、死を受け入れるのは容易ではない。生まれたときからわかっているはずのことなのに、
突然事故死を聞いて彼との思い出があるわけでもないのに悲しい気持ちになる。それは”失う”事への悲しみなのか怖れなのか?
心が一度は通じ合ったひと、芸能人、新聞の片隅で見つけた人、家族、会ったことがあろうとなかろうと、その人のその人たる所以が自分のなかにあるかないかで失ったものの大きさが変わってくる。
小学校2年生のときの隣のクラスだった高原君会ったこともなかったけれど当時の自分はその死をなんとか受け止めようとした。
高校のとき琵琶湖で死んだ吉本くん。スイミングスクールで一緒だった田中義治、木村洋二、大学の時の森脇君後輩の女の子、三橋君。高校同窓生の坂さん、彼らの死を考えればいつも自分は彼らの死を自分の延長上にある死を結びつけることから避けようとしてきたように思う。それは、多く亡くした患者さんたちに対してもそうかもしれない。それはいつかすぐかもしれない明日にでも自分に確実に訪れるものを拒否しようとしているのかもしれない。自分の母の死ですら。
しかし今回多くを語ったこともなく、ただ同じところで働いていたという彼の死。それを自分はちゃんと考えてみようと思っている。だれの死でも自分の並列にあるはずなのだが、そのことから逃げずにいようと思う。その意味を知るとかではなく、ただ、受け止めようと思う。それがもう少し生きさせてもらっているということそのものだということなのだろう。
カロナール 血培 グラム染色 サイトテック [医療]
今やカロナールは一般の人も知るところの存在となっているが、20年前にはそんな子供用の薬を大人につかってどうする?的な空気があった。
もちろん自分の師匠の教えではあるが、多少効果が劣るとしてもロキソニンなどNSAIDsにくらべて格段に副作用の少ない薬を使うのは当然とかんがえていた。コスト的にも一石二鳥なのだが、当時は解熱にはロキソニン+セルベックスというのが主流だった。このセルベックスという薬も今やほとんど見なくなったが、当時はロキソニンの胃への副作用緩和にエビデンスがあるのはサイトテックだけであったが、それもなぜか敬遠されていた。
その時思ったのは、日本の医療は、なにか見えない力に支配されている。その方向は決して患者利益と一致するとは限らない。しかし自分はその違いがわかる教育を受けてきた。得体の知れない力に関しては自分の力が及ぶところではないが、コツコツと一人一人の考え方の方向性を導くことはできるかもしれない。
幸いといってはなんだが、自分は何らかの団体に飲み込まれるような位置にもいなかったし、じぶんの信じることを何の気兼ねもなく行える場所を自分で決めることができた。
20年もたつといつの間にかいい方向に向いており、それは決して自分が言い続けたからではないのだが、世代的には前の方にいたというちっちゃなプライドと、幾人かの人を導きけたかも知れないという自負は存在する。
マスとコ [つれづれ]
けっきょく同じ話になってしまった。 [つれづれ]
サン・テグジュペリの城砦のなかにこういう一節があるらしい。
「船を造りたいのなら、男たちに木材を集めさせたり、仕事を割り振り、命令したりする必要はない。
代わりに、彼らに広大で無限な海への憧れを説けばいい。」その言葉を考えているうちに結局総合医療の話しになってしまった。
(昨日の夕焼け)