ドライアイス事件 [子育て日記]
いよいよオリンピック開幕
今日は次女と母親がおでかけだったので長女と映画を観ていた。細田守氏の大作
これは確実にタイトルに損をしているな、でもそのタイトルにしたかった気持ちもわかり、自分はとても引き込まれた。そして長女とそれを共有しているつもりでいた。少なくとも結構たのしんでいるようであった。
ところが次女があの「ドライアイス」をひっさげて帰宅した瞬間すべては変わった。ドライアイスに水を注ぎ煙りをだすことを至上の喜びとしている長女にとってもう映画はどうでもよかったようであった。最後のシーンまでは声をかけて観させたが、エンドロールに入った瞬間、あくせくと「それ」に水をやり始めた。台所との間を終始往復しているのがテレビにうつっていたが、普段のスローとは別人のようなハキハキぶりであった。
つまり、むしろ親にとって楽しめる映画であって子供にとっては「ゲゲゲの鬼太郎」の方がよっど夢中になれるものなのだろう。
わかっていながらも、というこんなさみしさというか思うようにならないようなはがゆさを子供に感じるのだろう。
それは子供は子供別の人間だからという受け入れをいくら自分に言い聞かせても、止まらない感情のように思える。
思うようにしようとは思わない。でも思うようにならないことを受け入れられない。同じことなのに違う。シャワー後の素っ裸のびしょ濡れでこぼれそうであったことにかこつけて「それ」捨てたことで気づかされたドライアイス事件であった。
2021-07-22 19:12
nice!(0)
コメント(0)
コメント 0