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パラダイムシフト [臨床]

パラダイムシフト

当直中、救急車が1時間おきに来ると言う状況で、午前3時ちょうど救急室の患者さんがはけて、一旦当直室に入って眠りに入ったところでのコール。

 

看護師の声で37歳の女性が眠剤が欲しいと言って救急室に来ています。とぶっきらぼうなものであった。どうやら患者は病院の救急室をコンビニか何かと間違えているのではないかと憤りながら、うつらうつらとしていた。医師は当日朝7時から翌日の夜7時までほとんどぶっ通しで働いて、シフト制とは違うんだよ。夜中は救急患い口調での催促があった。あなたはしょうがなく、エレベーターに乗り患者さんと対面することになる。

 

カルテを見ると、この方はいろんな時間に眠剤をもらいに来ているよう。特に夜中が多い。

果たして、このような状況で落ち着いた心で患者さんに出会い、処方がしてほしいなら昼間に外来にくるように優しく指導できるだろうか?ことができるのだろうか。

もしかしたらこの方はあちこちで眠剤を処方してもらい、貯めているかもしれないだから、簡単に処方できないし、処方できない理由を(この時間に来ているというだけで)物わかりの悪そうな患者に永遠説明して、それでも「わざわざ来たのに」などと切れられるのだろうか?などと以前の経験から引っ張り出しながら暗い気分になる。その時は最後に「なんでお金払うのか?」と暴れられたのも思い出した。

さて、あなたはどう対応するだろうか?

それともこの患者の午前3時に眠剤を処方してもらいに来るという行動を正当化するような事例を想像できるだろうか?

 

1)3日分だけ処方して夜間なのでこれだけしか処方できない。昼にまた来てくださいという。→患者は3日分で十分ですと帰宅となる。

2)眠剤のような薬剤は基本主治医が処方することに決まっていると説明。今日の分だけでよいからと食い下がる患者を説得するのに30分ほどかかった。

3)3時に眠剤を処方をしてもらいに来ることを正当化できる理由を考えながら、患者と対面した。すると、、、

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診療の決断は常にトレードオフ [臨床]

診療は常にトレードオフである。 今日の勉強会症例は 5例の同じ病名の症例。それぞれ患者や設定を変えて、それぞれの検査をどのように決断するかというもの。 ○○ならば△△などという検査施行の決断をしているとシチュエーションが変わった時に対応できない。常に自分の基準をもってリスクとベネフィットを天秤にかけそれでいて患者の意見も聞いて考えるのである。その決断に際して客観的なデーターやエビデンス、それから患者サイドの考えの割合をその症例ごとに割り当てて考えるのである。 つまり知識やデータも診療にするに際して、参考データのひとつ以上にはなり得ないということである。 もちろん知識は大切。深い知識と多くのデータがあればあるほど正しい診療に近づくのである、ただし、正しいに近づくのであって正しい診療を施行できるということではない。データがむしろ診療を混乱させることもあるし、そのために患者に害を及ぼすことも十分に考慮しなくてはならない。 そして、患者が人間で、自分も周囲の同僚も人間であることは診断や治療においても重要なファクターであり、その中で健康を目標とするからには、その目標自体すらも明確にしなければ危うく見失うのである。 そのあたり正しい診療を追い求めることをメインに頑張っている若い医師達にはぬるいように感じるかもしれないが診療とはそういうあいまいなものであることを受け入れる覚悟が医療者には必要だと思うし、そうでないと「幸せ」を与えることができないのではないだろうか。

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悪口 [子育て日記]

子供も小学生ともなると、「悪口」の話になる。発端は長女が〇〇ちゃんたちと遊ぼうと思ったら△△の悪口を言っていたのでやめた。という話し。

しかもその悪口は○○が長女と遊びたくないためについた嘘ということらしい。

長女は△△ちゃんの悪口の件よりそんな嘘をつかれた事にそしてそうやって自分を寄せ付けなかった事に憤慨していたのだが、そんな嘘をついたら長女が寄り付いてこないと思われている事が「長女やるな」というのが俺たち親の見解なのだ。

ところで、なんで悪口はいけないの?家(うち)で誰かの悪口と友達たちの間で言う悪口はどこが違うの?という問いに

娘たちは言われた人が傷つくからという解答だったが、

父曰く、本人に言うのは悪口でなくて文句。一番悪い悪口は周りの人を巻き込んで、誰かをのけものにするための悪口。だから誰かが誰かの悪口をその人がいないところで言ったとしても、それは間に受けず、自分の考えでその人を評価するだよ。的な事を言った。

どこまで理解してくれたかはわからないが、ある人が他の人が「あいつは悪いやつで、いつも悪口を言っているらしい」「へぇそんなんだ」という会話を横で聞いていて、「今悪口を言っているのはお前だろ!」と突っ込みたかたった話はウケていた。

父の願いとして、メジャーなところでいてくれるにこしたことはないが、悪口で共通意識を高めるようなところにいるよりは言われる側の方がよいということ。自分は絶対正しいと信じることができれば、きっといつかは仲間ができるはずだと、「聲の形」を思い出しながら思った。それから「不滅のあなたへ」と同じ作者ということに最近気づいて納得した。


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寝たきり胃瘻の老人は保険適応にしないといえる政治家が必要? [医療]

寝たきり胃瘻の老人は保険適応にしないといえる政治家が必要などといってわざわざ世間をざわつかせているヒトがいるようだけど、現場にいる人間にとってはそれって政治の問題なの?と言いたい。

 

200年前半に胃瘻が簡単に行えるようになって、親の死を受容できない人たちによって、受け入れられたが2010年移行はほとんどのヒトが胃瘻は延命と考えており、拒否するヒトが多い。何かの洗脳的な宣伝効果の様に思えるほど、延命で亡いときの胃瘻にも拒否反応が見られるようになった。

 

もちろん自分は寝たきりでコミュニケーションができないヒトへの胃瘻は反対で、食事が摂れないヒトの家族とは何度も話し合って、死を受け入れてもらうようにしてきた。

 

問題は胃瘻やCVカテーテルなど目に見えるものではなく、死生観と、ACPの問題である。実際よくよく話し合うとほとんどのヒトが延命装置で生きながらえる事をやめたいと考えている、ところが、生きている間にそんなことを親に聞くのはダブーでようで、ほとんどのヒトが自分はいやだけど親に対しては決断することが難しい。そこのところを本当の望みを浮き彫りにして、促してあげるのが私たちの仕事だと思うのだが、救急病院も、施設の人たちもそれが自分達の仕事だとは考えていないようである。

 

実際胃瘻は施設の中でみることができる数は2006年から限定されており、救急病院は手っ取り早くCVを入れて療養型病院へ送るのがスタンダードとなっているようだ。というわけでいずれにしても今の現状で医療費を減ることはないだろう。

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またやってしまった。 [子育て日記]

またやってしまった。長女の生活がだらしないのは、明白なのではあるが、先週あたりから、学校の宿題を家に持って帰って来なくて、そのままになると言うのを防ぐために、メモをカバンに取り付けてそこに持って書かせるようにした。

 

例えば提出物にしても、宿題にしても娘がないと言えば、もしくは出したといえば、それは自分たちにはどうすることもできないのではだ。それでいて時々学校の先生がこれができてない。あれができてないとメールをしてくるが、それだけに頼っていても、決して前もって予防的に警告してくれるわけでもない。結局親が管理、つまり宿題だの提出物だのテストの予定を把握して指導するということである。それらをキチンとやっておいて、成績もまあまあ良ければ、そういうプライドと周りからの評価が彼女を社会的に強くするではないかと自分は考えた。実際先週は先生に驚かれ、褒められ、本人も悪い気はしなかったようである。

 

今週は誕生日週間であり、子供たちもそして親もうかれていた。日曜日の昼頃になって、今週の宿題が1つも持って帰ってこられてないことに気づいた。これから子供たちと遊ぼうなどと考えていた父は機嫌が悪くなり、それでも娘は能天気に遊んでいるという始末であった。結局ちょっと促したら友達のところに電話をして、宿題の内容聞いて、それをやり遂げたので、父も機嫌が良くなくて、めでたしめでたしと言いたいところだが、9歳の誕生日に彼女に送ったメッセージとは違う、正反対のことを自分がしていると気がついたのだ。

 

それでは、学校の宿題やテストは、娘が持って帰ってこないのであれば、それはそれでよしとするべきなのだろうか?そうやって、いわゆる世の中の中で認められない存在になっていくようで、やはり怖いのであるが、それが親の価値観の押し付けというものなのではないかという怖れもある。

 

子供は9歳にして、そこまで自分の人生に責任を負わないといけないのかというとそれも違うのではないかと思う。

しかし、あれこれやれと指示すればロボットになっていく娘を見ているとやっぱりそれもおかしいと思うのである。

もしかすると娘の中には、それを意識していようがいまいが、持って帰らなければ宿題もやらなくていよいという知恵がはたらいているのかもしれない。

 

では学校のテストや提出物は娘の責任成績も娘の責任として、学力や読書力、思考力は親の責任とするのもありかもしれない。学校は遠いので、帰ってくるのは遅い、宿題があるなら、やってもらうし手伝いもするが、なければ父が勧めるお勉強をやる。という割り切りもありかもしれない。今日からやってみようか。


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勝ち負けではないのだけれど [医療]

なかなか理解してもらえない患者や、家族は往々にしているものである。

ましてや、治療がうまくいかなかった時は大変である。

 

カルテなどをたどると、キチンと定期的に説明していて、それでも家族は理解できていないようにみえたりする。

 

しかしこういう場合医療者は患者サイドに問題があるものと思っている事がおおく、それは言葉にださなくても、医療者と患者側の距離をドンドンと広げていくものなのだ。

 

自分は向こうがおかしいと思った時点で負けと考えている。それは医学的医療の負けとは全く別の次元に存在する勝ち負けなのだ。何が起こるかわからない事象のなかでなにかが起こった時誰かを恨まないといけないのはやはり不幸なのではないだろうか。

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子供への干渉は? [子育て日記]

姉や兄の影響で何かを初めて下の子が大成するというものをよく見かけるが、それは姉は親の監視の厳しいところでそだてられ、妹はその分自由であったことでのびのびしたことが成功の理由なのだろうか?まぁ逆もあって兄はあんなに出来るのに弟は何だ!などというのもドラマなどで見かける気もする。しかしその場合。たいていその実の内容ではなくキャリアの価値観の上での(特に親の価値観との合意)話のような気もする。

学校などの環境や、親どこまで親が干渉したかはどのように子供に影響を与えるのだろう。もちろんよい影響を与えたいとすべての親は思っているわけだが、どれだけ親の価値観や子供への期待を捨てられるかがキーポイントのような気がする。

 


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9才になった君へ [○○才になった]

君について考える時、どうしてポジティブなことよりも心配が先に立ってしまうんだよ。

食事の時の姿勢、ものの整理ができない。よってすぐものをなくす。質問されてもすぐに答えられない。やりたいことががあると別のことが目に入らなくなる。今の学校だから、これらのことを寛容に見てくれている。

 

もちろん、確かに君の人生にとってもっと大切なことは、別のところあると思う。そして将来的に生活に困らないようになればよいのかもしれないけれど、すでにピアノのお稽古の時には石原先生の心証を悪くしているよね。そんなふうに今後いろんなところで君が知らない間に損をしないか心配、というのは親の身勝手な考えを君に押し付けているだけかもしれない?パパは君が4才の時からずっと心配してきたけど、君の幼い心の中で、「それは親のエゴだろう」という心が働いているからできないのかなぁ?そしてパパはというと、実際パパはいろんなことを親に注意されずに育った気がする。小学3年生くらいまでは「勉強しろ」が9割、箸の持ち方が1割。それ以外で怒られた記憶があまりないんだよな。とにかく勉強に関しては母も父も厳しかった。母が僕がそれ以外は言うことを聞かない人間だと思っていたのかもしれませんし、勉強さえできたらそれでいいと思っていたのかもしれない。

 

実際パパは忘れ物よくするし、姿勢もよくない。どちらかといえば「うっかり八平」なんだけど、親にはそのことを指摘されたことなかったし、実際自覚したのは、仕事を始めてからなのだだ。でもなんとか工夫してやってきているよ。その反面小学1年から3年くらいまで厳しく勉強をさせられて、つねに1番だったというプライドはその後の僕の人生を出来るヒト側に支え続けたと思う。それがいいことかキツいことかは別にして(4年生くらいから反動がでたからね)今は親に感謝している。その反面もしかすると自分の八平は躾がなってなかったからではないかと自覚しないながらも、心のどこかで思っているのかもしれない。そしてそれが今の君に対する態度にでてしまっているのかもしれないね。

 

今、君が出来ないのは逆にパパが躾にこだわりすぎたのではないかと考えた時期もあったけれど、今はこれは生まれつきもっているものでそれは逆に受け入れるべきなのではないだろうかと感じている。実際どうなんだろうね。そして君は自分の子供ができたらどうするのだろうね?今のパパに出来ることは、怒らずに注意し続けることくらいだよ。

 

そして、じゃあ君はどんなヒトになっていくのがいいのか?なんて考えるけど、そして僕たち親は何をすればよいのか、本当いうわからない。君は、何か好きなことに対しては極端にのめり込むところがあるから、いろんなことを同時に少しずつさばくような仕事より、じっくりとなにかをする仕事は向いているのだろうなんて漠然と思っていて、その芽をつむようなことはしてはいけないと思っているだけど、君が本当に本当に没頭できるものを見つけるまでは、そして見つけてからも、社会人として最低身につけておかないものを持てるようにするのも親の役目だと思っているんだ。

 

パパとママのいろいろな期待は時として、過剰に君を苦しめていたかもしれないけれど、君はもっと自由でいいとも思っているんだ

パパもママもいろいろ迷いはあるけれど、パパやママが考える子供像と違うところは違うって気づいて行きたいと思っている。

そういうわけだから、今後とも、どんどんと本当の君にに会っていきたいと思っているから、よろしくお願いするね。

 


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老人施設の実態 [医療]

介護保険ができて、家族の金銭的負担は優勝したかもしれないが

果たして、救急病院の負担は減少しているのだろうか?高齢者が入居している施設には、嘱託医と言うものがいるようだが、どのような仕事をしているのかといえば、基本処方をするか、紹介状を書くという程度のもののように思える。高齢者を看ていくときに最も大切なのは、残りの人生ををどのように生きるかだと自分は考えているのだが、一体施設のヒトの誰が個人個人についてよく考え、その指標を提示したり、一緒に考えたりしているいるのだろうか、基本的に熱が出るかむくんでくるか、食事が取れなければ救急病院に送ってきてそのままお願いというパターンであるある。

 

そしてもう食べれない人はうちでは受け入れられないれないとのことで、救急病院で次の行き先を探すということになる。高いお金をもらって、自宅で提供されることよりも良いものを提供できていないのではないかと思う。自分が思うに、彼らの大部分は営利主義であり、また、ボランティア精神が欠損しているようだ、法外な入所費用をとっておきながら入院中も普段と同じだけの月額入居料をとっている。それでいて、帰るときにはあれこれと文句をつけて拒否をする。

 

救急病院を利用すると事しか考えていないように思われる。もちろん、救急病院には、医師も看護師もたくさんいて、施設に入るよりも良い環境を与えることができるが、それが患者や家族の幸せにつながるとは限らない。そこのところの考察が全くないように思える。また救急病院もの医師も、看護師もボランティア、精神で成り立っていることも考慮されていない。だから、ただただ施設側の都合で日勤時間ギリギリに送ってくるのであろう。

おそらく制度上で嘱託医は1人でよくて常勤は必要なく、それは施設としてはそれほどの報酬を払わなくてよいと言うメリットがあり医師も自分の仕事の傍らで行える程度の事しかできず、それほど深く関わることができないような立場で請け負っているのだと思う。その制度が変わらない限り、本気で患者や家族の幸せを考えるような施設は今後もできてこないだろうと思う。

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我が家の決まり事 [子育て日記]

通信問題

・概念

iPhone :今はキッズ携帯だが、いずれはiPhoneになるわけだが、なにをどこまでしていいかを少なくとも中学卒業まで親がコントロールすべきと考えるが

友達との兼ね合いで、フレキシブルな面もみせないといけない。

友達が言っていた。。ではなくその親と話すのが筋だと思う。

年齢ではなく学年できめるたほうがよい。

長女と次女は学校や環境が違うので次女に押される形で莉緒子も緩和していくことになるかも

 

 問題点

※LINE SNSの導入はどうする?

ゲーム ブラウザの規制は?

通話は親とならok緊急時とは?

パスワードを変えた場合は1ヶ月使用停止とする。

勝手にダウンロードした場合は週間使用停止とする。

音楽はどうしようか。。ファミリーで共有出来るのを与えていく?

外でイヤホンは許可できるのか?

 

例)

・会話:親とはOK メールも?友達との会話メールは?禁止は難しい

よって代わりに自宅に帰ったときは充電+預ける

iphone:導入は小学校4年生 

アプリインストール 小学4年生から学年が増えるごとにひとつずつ増える。

学校が変わる時は3つ増える。親推奨以外を選べるのは中学に入ってから。増えた分だけが自分の選んだアプリとなる。(もちろん親の許可は必要)

高校

You tube キッズのみ→高校からは自由

夜間は親が預かる→中学卒業まで。

・ブラウザ検索:とりあえず電子辞書がいいと思うのだが、、

iPad

使えるのは土日祝日の6時から19

平日は15時から19時 

アプリインストールはiphoneと同じ

LINE は周囲の状況に合わせて

目安は 小学5年生から

 

安全

・概念

なにかの親の都合で突然解除はしない。

普段から準備評価、訓練しておくべきと考える。それを両親で共有する。

ひとりでどこまでできるか、それは定期的に訓練すべき。

そして一人で歩かせるテストをしてクリアできなければ、外出はできない。

一人で自由に電車に乗るようになるのはいつから?

・方法

自転車は原則禁止(マンションの庭内ならありかも)

次女の送り迎えは前を歩かせて観察する。どこがよかった?わるかった?と聞く

長女も週一くらいでテストしたい。

できれば免許証をつくりたい。

1)駅までひとりで行ける免許 2)ひとりで買い物免許(マイバスケット)3)ひとりでセブン免許4)ひとりでピアノ免許5)ひとりで祖母の家6)ひとりで二子玉

などそしてそれが出来るためにはなにができないわかっていないといけないかを考える。

過保護かなー?

 例

目的なしにまったくひとりで外を歩けるのは中学にはいってから?

それとも4年生?5年生?

保護者のもとへひとりで行くのは3年生からOK

チトフナテストで10回連続道路で立ち止まったらOKとか、、

 

ひとりでマイバスケット抜き打ちテスト 1年生で5OKならマイバスケットOK

しかし買うものがない。

ひとりでキッチンコートまで抜き打ちテスト2年生で5回合格なら駅までOK

莉緒子はチトフナテストで10回連続合格ならいひとりで出歩くのOK?出歩く理由がないかも。

 

 

 

 

礼儀/作法/お手伝い

・概念

子供は親をみて育つ。親が楽しんでいるもの親がいやがっているもの、よく見ていると思う。おやがいやがっているものをためになるからと進めてもそれは押しつけにしかならない。

ヒトからみて不快な思いをさせるような振る舞いこそ正すべきと考えるが、、

マナーについては言い続けるしかないと思っている。

怒るのだけはやめる。

服を汚したり、地面にすわったりはやさしく注意でよい

美しい字もマナーの1つと考える。
掃除などと手伝いは親ができているところからやらせるのが筋と考えるようになった。親がやりたくないところを子供に強制しても納得しないだろう。

たとえば玄関のくつそろえ、根気がないから出来なくなったのではなく、やったら褒められるけどやらなくてもだれもこまらないし特に楽しい仕事でもない。からやらなくなった。

親が居間に私物をおいているのに子供はダメ。はもうそろそろ通らない。

食卓下の掃除、親がやらないので子供も必要ないと思っている。

子供部屋。ちらかっているのが嫌なのは親であって自分ではない。

・方法

毎日マナーのビデオを観させる。

毎回なぜこの姿勢がよくないかを穏やかに話し続ける

字を必ず褒める。なぜその字が好きかも添える

ビデオや写真で客観的な自分の姿を見させる。

お手伝いは皿洗いがよいと思うのだが、

子供部屋は一緒に掃除しか無理と思う。

教養/娯楽

・概念

勉強は親と一緒にたのしくやる限り子供はついてくる。しかしいずれ一人で孤独に頑張れるようになっていかないといけないわけで、勉強の楽しさを教えつつ、少しずつ自分だけで集中する習慣をのばしていけたらと思う。

子供は親をみて育つ。親が楽しんでいるもの親がいやがっているもの、よく見ていると思う。おやがいやがっているものをためになるからと進めてもそれは押しつけにしかならない。

子供に限らず人間は楽な方楽しい方に流れる傾向がある。楽で楽しいものが本人に+になる方がよいと考える。ところが、本人のためになる度合いがひくいものの方が楽度楽しい度が高いように思われる。

そしてそれは相対的なものだから、できるだけ楽なものを与えないというのが自分の考え。

少なくとも友達との交流か然外からの情報が入ってくるまで、そこは守りたいし、どんなものに心ひかれるかをできるだけ知っておきたい。

子供にあたえる娯楽は親が一度みて、これは有害 中性 有益と判断する必要があると考える。

できるだけ本を読むのが好きになるように仕向けたい。

そのためには親がよんで楽しんでいることが大切か?

本の内容は小2までは文字になれるでよいのでは?(きらいにならないように)

3からは、俗物、と教養に分けて考えるべきと考える。

・アニメ アニメでもいい物はたくさんある。できればこれも子供が何かの才能を発見する手助けになればと考えている。また感動を呼ぶもの、なにか心に残るもがが自分の考えだがよいものと考える。

これまでの パパ推しアニメ ピアノの森(ピアノ上手になりたいという動機づけになれば)不滅のあなた(命を何に使うか、子供に理解できたかは不明)ブルーピリオド(下手したら絵を描くのを逆につらいものと思わせたしまっただろうか?しかしいずれにしてもプロになろうとでもするときには通る道となる、ちょっと早かったかもしれないけど安易に絵描きになる。とは言えなくしたことはむしろいいことだろうか)アオアシ(目標にむかって努力することが何を生み出すのか?スポーツをする限り、体がうごけばいいというものではない。とてもよく考えてその考えをからだにすりこませていくそんな概念がなんとなくわかるのではないだろうか)

・方法

マンガは月一パパセレクトで買っている。4年生からは本人セレクト+パパセレクトで二冊とする。家にあると例えば高校性になってからでも読むかも、そして影響受けるかもというのを選んでいるつもり。またマンガを特別楽しいものでなく他の娯楽(特に本)と同等とみてほしい。よって結衣子にはどんな本ででも(絵本も含む)かってやる。

長女は、本が好きであたえれば読むので、教養的なやつを買い与えつつ、俗物的なものはマンガ枠にいれようかと考えている。

アニメはなんとなくみせるではなくてかならずその時は種類とする。がよいと思う。

テレビ日曜朝起きたとき 長女はダーウィン(ふつうに動物のことを知るのはよいと思う)次女はピタゴラスイッチ(思考力をそだてる気がする)そのほかミミクリーズ、カガクノミカタ

などがよいと思うのだが。

ピアノは日曜の家に先生に言われたことは徹底して伝え、親も認識しておく。

子犬のワルツ選抜 エリーゼのめに選択 おもしろいと思うのだが、、もう少し発展させて、それぞれの好きなやつごとに分類してもよいかも。クラッシックを好きになるきっかけにならないだろうか?

またピアノも弾くヒトによってこんなに違うというところから、じゃあ自分は?という心が芽生えてくると思う。



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