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2022-02-08 [つれづれ]

高梨さんかわいそうだったな。ワールドカップでめっちゃ勝っているところをむしろ知らない自分達はオリンピックでも勝って当然なのではと期待してしまう。でもどうやら水泳や陸上のようにはいかないようである。競技のことはよくわからないが肉体のみならず、来ているもの使っているもので大きく競技に影響するのだから、昔からそこのところとても敏感に微調整されてきたようである。


 


ギリギリを狙って少しでも有意な条件で競技に臨むのだがそこが規制とのせめぎ合いのようになっていたのかもしれない。まるで自動車レースのように。だから僕らが感じる「そんなバカな」という単純な出来事ではないのだろう。


 


ただ、2回目1番に飛んだのなら自分の競技が終わって泣き崩れるのは志気的にいかがなものかと思った。それでも他の人たちがモチベーションを落とさずに頑張ったのは彼らの強さなのか彼女のひとがらなのか。


 


あ、ちなみに女性が自分を綺麗にみせたくて何が悪い?


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※ここで転倒!


 


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2022-02-07 [つれづれ]

中国がまたやらかしているらしい。わざとらしくウィグルのヒトを聖火ランナーにしているが、決してふざけているわけではないだろう、つまり、国の外にいる自分達の認識と国内に住んでいる人たちとの認識がまったく違うということなのだろう。外向けというよりうち向けだから外から見たら滑稽に見えるほどのことでもしれっとできて、それにうなずいているヒトも結構たくさんいるのだろう。逆に普段そんなことはしていないと言っている手前もあって、それを貫くのが当然ということだろう。しかしこのネット社会でどこまで通用するのだろうか、いずれ爆発する人たちもでてくるのではないだろうか?ネット前と後では同じことはできないのではないだろうか?


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新記録


 


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人間の限界 [つれづれ]

冬期オリンピックが始まっている。フィギアスケールを見ているがちょっと前まで4回転飛べるヒトはいなかったのに、今やいきなり4回とか連続でやってくる。下手したら軽々飛んでいる。

 

同じ人間のやることであり、人間が進化しているわけではないだろうになぜ、進歩していくのだろうか?技術の問題だろうか?それとも、それができるヒトが勝ち残るようになってくるからだろうか?おそらくどちらとも違って、できることを発見したからできる。ということなのだろう?認めたくないような気もするが、認めたいような気もする。

 

つまり人間。自分の能力をかなり頭で抑えているということだろうか?その解放どこまでできるか?というところで進歩がなされるのだろうか。だとすれば、オリンピック選手になれる可能性を本当誰でもはもっているということになる。

 

例えば水泳の100m自由形。いまや小学生が1分を切る時代だが、ワイズミウラーに時代にタイムワープしてなにも知らずに一人で泳いだら大騒ぎになるけれど、同じ彼がその時代に生まれていても絶対に1分を割ることなどできない。ということだろうか?100m走に関してはそういうことも言えず、これが真の人間の限界の境界のようで、靴とか土とかの進歩のみの話しになるのかもしれないが、だとしても水泳が技術だけの進歩ともどうしても思えないのだ。

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実験結果ではないが [子育て日記]

最近自分は朝走るために長女の朝の送りを嫁に頼んでいる。それのことが綺麗な実験のような結果を生み出している。


 


自分が送っているときはできるかぎり父が自主的に準備をせずに娘がむしろ父をせかさないと動かないように演技をし続けていた。あの長女が、起きたらさっさと着替えて、何分に行きますと自分に告げて、リュックを背負って玄関で父を待つという光景が見られたのだが、交代してからは怒られまくり、それが早く早くと言われるほどにトイレひとつマスクひとつにしても必要以上に時間をかけるので嫁がめっちゃいらだっているのだ。


 


以前糖尿病の行動変容の講習で、患者が自主的に計画しないとなかなか変わらない。というのがあったが、大人も子供も言われたからやるは思考静止をつくることにはかわりないようだ。


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※帰宅時明るくなってきた


 


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みなし診断 [医療]

どうやら、オミクロンは(リスクの低いヒトは)「みなし診断」でよいのでは?などという意見がでているらしいが、賛成である。

 

検査で陽性でないと診断できないということ自体がうそであることは本当は医療者はみんな知っている。

 

今の状況を大きな目で見れば、PCRなどしてもしなくても同じではないかと思う。検査をして診断がついたと同時に、感染しているのに陰性になってしまったマイナス面が必ず存在する。それよりも重症化する可能性を考慮して手をうつとか、その危険を察知して対応するというのが現実的だと思う。

 

広がらないようになにかするのは大切だが、隔離や入院はそのマイナス面が拡大を止める+に勝てないように思う。

 

患者側は検査が診断をすると思っているひとが多いように思うが、それは診断に医者がいらないと言っているのと同じ、検査に対する幻想である。

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検査など幻想? [医療]

どうやら、オミクロンは「みなし診断」でよいのでは?などという意見がでているらしいが、

検査で陽性でないと診断できないというのもうそである。

 

ハッキリ言うと、大きな目で見れば、PCRなどしてもしなくても同じではないかと思う。つまり検査をして診断がついたと同時に、感染しているのに陰性になってしまったマイナス面が必ず存在する。それよりも重症化する可能性を考慮して手をうつとか、その危険を察知して対応するというのが現実的だと思う。

 

広がらないようになにかするのは大切だが、隔離や入院はそのマイナス面が拡大を止める+に勝てないように思う。

 

患者側は検査が診断をすると思っているひとが多いように思うが、それは診断に医者がいらないと言っているのと同じ、検査に対する幻想である。

 

 

 

 


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しあわせって [医療]

90歳の男性施設入所中の方が浮腫で嘱託医からコンサルト浮腫は1年ほど前からで、ここ最近元気がなくなってむくみも悪化して食欲している低下しているいるということで紹介。心不全、甲状腺、腎不全などを疑ったらがそれほど悪くなっておらず、ご本人はほとんど会話もできずずっと車椅子に座っている状況が何年もつづいている。


 


 


本人は天涯孤独で結婚をしておらず子供もいない1時間ほど離れたところに住んでいる姪が付き添っている。施設の職員は非常に要領よくまた理解力も良い。


 


果たしてこの方をどこまで検査などするべきなのか?悩むところ。例えば消化管に癌などあるかもしれないしそれはどうしても発見しないといけないものであろうか?というような話しを、姪と施設の職員に話した。彼女は病院に来ることもできず、あまり侵襲の大きい検査は望んでいないと言った。


 


私たちの仕事は病気を見つけてそれを鬼の首を取ったように患者や家族に伝えるだけが能ではない。このままもしかすると何か最期に彼を持って行く何かを持っているかもしれないが、大まかには感染心臓腎臓は問題ないのであればここは後は本人の命に任しても良いのではないかと自分は考えたがそれは必ずしも家族や施設や嘱託医の考えと一致するとは限らない。基本的に嘱託医はそこの専属ではなく形式上を超えないことが多いのは事実であり、家族と患者の着地地点を探したりしているのを自分は見たことがない。


 


見たことがないのはそういう患者が病院に来ないからかもしれない。


 


また、反面話ができなくなってコミニケーションが取れなくても生きている命を尊重すべきなのかもしれない。そしてそれをギリギリまでなんとかしようとしない事は、コストや家族の負担があるからという理由であるという罪を背負うのも辛いかもしれない。ではだからといって年金に依存しながら


介護をしているヒトは介護に専念したために職を失っているわけでそこから抜け出すことができないがための生命維持であったりすることもあるかもしれない。医師がこの方がこれ以上生きていることが本人や家族のためでないと判断する事はあまりにおこがましいように思えるが、果たしてだから全く健康な人と同じように全力を尽くすと言うのも正しいとも思えない。命とか医療とか言う前に幸せというものを考えたい。


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※開かずの踏切


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消しゴム事件 [子育て日記]

消しゴム事件

長女が学校で男の子達に消しゴムを捨てられたという。真偽のほどを確認というよりもそんなことを子供が言うのは初めてのことだった。

状況的に彼らがとったらしく、彼らは否定しているようなのだが、父としては容認するわけにはいかない事件である。刑事的な事件ではあるが子供のけんかである。

しかし一方的という意味ではいじめに近い、しかも手口が姑息である。かといって事を大きくすることで、長女とその子達の間が悪くなったり、クラスでの立ち位置が危ぶまれるようなころにならないか?そちらの方がむしろ心配である。あといって刑事事件である。泣き寝入りでいいものだろうか?最初に父が言った言葉は

「パパ先生にメール書くね。」だったが思い直して、「その子達に返してくれないとパパが先生にメールするっていってた。といいなさい。」なお思い直して、「わたしはそうは思わないのだけどパパが君たちがとったんじゃないかって言うの。すごいおこっていて、わたしはわからないっていったんだけど、先生から君たちのお母さんに伝えてもらうっていうの、どうしたらいい?」と言いなさい。うーんこれで言い方向に進むのだろうか?子供なのに技巧に走りすぎではないだろうか?などと考えているが、こういうことは教育のプロである先生に相談するのが一番いい。というのが一番正解に近い気がする。

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患者中心などと [医療]

患者中心などと一言で言っても問題はそれほど単純ではない。ただ、いくつかのカテゴリーに分けて考えることはできる。その一つとしておそらく自分に特徴的なジレンマがある。それは、「今やるか経過みるか問題」である。

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診療をしていて一番簡単なのは、思いついたことを全部できるだけ早くやってしまうことである。しかし全てをすぐやることはいろいろな問題を起こしうるし、それが患者にとって、そして一緒に働くヒトにとってプラスばかりに働くとは限らない。マイナスになるひとのどちらに重きを置くか問題はまた別の問題であるが、やはりなんといってもそのための仕事だから患者にマイナスを与えるようではいけない。

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例えばCT検査を行うことによて発生しうる癌の発生率の上昇は常に見逃されている。それなのに痛い以外に大きなマイナスのない血液培養などは容易に省略される。もし、病院に血液培養採取専門のヒトがいればおそらく省略されることはないだろう。実際医師が血液培養を採取する決まりの病院と、看護師がそれを行う病院ではあきらかに血液培養の省略率が違うのである。

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抗菌薬に関してもそうである。80%風邪と思っている時に抗菌薬を出さずに20%のリスクを採るという行為をためらう医師が時々あるようだが、実際はよくわからないものに適当に抗菌薬をあてがうことはよりリスクを増やしているのである。

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本当に今やるべきことが何かを見極めることはむずかしい。それは+とのどちらをも考えて、患者にとって良い方法を選ぶということであるが、専門的な検査疾患の価値観と救急医療から入る若い医師たちはそのジレンマを考えることから遠ざけられるような環境で働いているように思える。

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