これがわたしのすてきな、、、 [つれづれ]
よく夢を追いかけろなどという歌詞がでてくるが、それはヒトより秀でたものでないといけないのだろうか?オリンピックで金メダルをとったりエフワンドライバーになるのが夢みたいなことをよく言うが、そんな夢はほんの一握りのヒトが手に入れるもので、目指したヒトの99%は”敗者”といういことになってしまう。
そうすると人類のほとんどは敗者でできていることにになってしまうのではないだろうか?
不思議なことに、その一握りの人たちを僕たち敗者は見ていることを気持ちよく感じる。自分と競っていたヒトならばネガティブな感情になるかもしれないが、オリンピックなどで金メダルを取ったヒトをたたえたい気持ちはナショナリズムだけでなく多くの人が持っているのだ。
多くの敗者を作ってしまうようなもの追いかけることが人類の本能的価値観なのだろうか?もしかすると長年疑問だった睡眠中に見る夢と将来の夢が多くの言語で共通であるところにその答えはあるのかもしれない。