メメントモリとコロナ騒動 [つれづれ]
飛行機に乗るときに、「この飛行機は落ちることがあります、」と言われも平気だろうか?また、どこか身近で大きな航空事故が起こったときに東京大阪間はとりあえず新幹線に変えたりしないだろうか?
病院の外来に来る方々にかぎらず、全ての人が癌を持っている可能性もある。口にすると怖くなるもので、目をそらしていれば案外平気というのが一般的な感情ではないだろうか?確率が小さくでも口にすれば怖くなる。確率がわからなければなおさら怖くなる。その心理がぐるぐるまわされているのが今のコロナ世界なのではないだろうか。そしてそれをうごかしているのは主にマスコミである。恐怖を使えば人々の心理何らかの一色に塗りそろえるのは簡単な事なのだろう。日本の特色はそんな風な振り回しを専門科も政治家も巻き込まれているところのように見える。
外国ではどうか知らないが、全ての人がメメントモリを普段から目の前において生きているわけではない。もう少し自分達は普段から明日死ぬかもしれないことを感じていていいように思うが、そうすればマスコミのあおりにもすこしは強くいられるのではないだろうか。
今日聞いた話だが、死ぬのは怖くなくてもコロナは嫌というヒトが多いらしい。それは死に方があまりに孤独だから、たしかにそれは賛同できる。