SSブログ

俺たち平和ボケ [つれづれ]

ウクライナでは大変なことが起こっているようだ。

日本人の多くが平和ボケと揶揄されているようだが、それは現実的な国が作った人工的なものでそれはファンタジーかもしれない。でもそういう前提で考え直しても自分はむしろ平和ボケを誇りに思っている。それどころか世界中が平和ボケすればよいのにとさえ思っている。これこそが平和ボケという非現実的ものであるのはわかっている。でもそういう平和ボケ的な国が1つくらいあってもいいし、非難せずむしろたたえることが、世の中を少しでもイマジンの世界に近づけることにはならないだろうか?そして声高らかに日本の核武装をなどというヒトは少なくともそれが悲しいことであることくらいは認識して欲しい。

 

 

では現実問題はどうなのだろう?ウクライナはもともとソビエト社会主義共和国連邦の一員。この国は14世紀ころからすでにロシアだったのではないか。ソ連が崩壊した時に独立したようだが、そのソビエト崩壊のきっかけをつくったのもウクライナだった。たしかウクライナが核を持たないことを約束しさせた代償として侵略しない約束をしたのではなかったろうか?人間というものはこの「怒らないから言ってごらん。」的なずるさが、力があれば人殺しまでも許されるという未成熟な生き物なのだろうか?そしてまた世界的な見方はウクライナがNATO 加入を望んでいたとしてもそれは全員ではなくロシア派の人もいて、結局加入は先送りされていた。そしてもともとソビエトだったこともあり、むしろ内線的にとらえられているのではないだろうか?もしくはそうとらえたいのだろうか?だから「許されない」と声にだすけれど自分の国民の命をかけるまでには決意できないし、また下手すると世界大戦のように広がっていくことを避けるという逃げ口も用意しているのだろう。

しかしこの心理が本当であれば、中国台湾もそう見られるのではないだろうか?台湾にもっとも心理的に近いのは日本である。中国が台湾進出したときに世界が内戦ととらえたとしても日本人にはとてもそうは映らないだろう。アメリカが今回と同様の動きをしたとききっと日本も同様に経過をみることになりそうだが、それでいいのか?とも思えるし、勢いづいて80年前のお返しとばかりに沖縄辺りに攻め込んできたら大変である。逆にアメリカが見過ごせないと兵をだしたら、日本は指をくわえて見ているわけにもいかなくなる。なんとも現実をみれば、この世はきな臭い世界である。

th_IMG_9198.jpg


nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。