臨床推論事始め [つれづれ]
臨床推論には幾種類かあるのだが、実際にはいろいろな方法を織り交ぜながら、診断をつけていっている。
できれば医学生の間に、国家試験でよくある典型的な症例を覚えるような勉強ではなく、年齢性別主訴から鑑別を考え始め、どのようにしてその鑑別をrule in rule outしていくのかを学んでほしい。臨床はかつて流行ったチャート式参考書のように、覚えたパターンを駆使して渡り歩いていけないほど複雑な世界なのだ。その患者は後にも先にも一例しかない。そして自分達の最終目標は診断をつけるではなく、患者や家族の幸せなのであり、そのために診断するのである。
若い医者もしくは研修医は疾患の概念。その時必要な検査、治療を覚えるが、その疾患名にたどり着くために現場で必要なことは、その疾患に罹患しているときにどんな症状がどれほど出やすくて、どんな症状がどれほど出にくいか。身体所見や検査も同じことでその情報が診断にどう貢献するかを知らなければ、混沌とした情報の中から診断に結びつく情報を選び出す事はできない。
まとめると医師として診断力をつけるにあたり、基本的に必要なことは1)仮定演繹法の思考の流れを身につける2)それぞれの主訴における疾患の鑑別と頻度、重症度3)必要な情報とそのパワー4)治療 これらが基本となるが2)の鑑別は 年齢性別セッティングで変わってくる。それらをそれぞれ丸暗記はできない。よって何度も何度も症例に対面して、そのたびに自分の思考を明確化し、知識としてたらない部分をおぎないしているうちにたいていの症例には対応できるようになってくる。そして5)主訴からは想像が難しい鑑別6)主訴がひっかけになりうる鑑別なども覚えておくとよい。
進撃の巨人(ネタバレはしていない) [感想]
トロッコ理論的な公と私優先順位としての公と私。力とそれに対するもの。善と悪 信頼とうらぎりなどこの世に多く存在する2面性のジレンマと矛盾を多分に織り交ぜながら、伏線をていねいにわからないように敷いてしっかりと回収する繰り返し。以前つまみ食いしていた時は、作者は大きな理論の基盤なしに刹那的に話しを進めたために収拾がつかなくなっているのでは?などと勝手なことを言っていたが、ちゃんとみると、その時理解できなかった出来事の意味がちゃんと以前から続いた出来事の延長線上に描かれている。それぞれのキャラクターの考え方や性格にも一貫性がありその変化までもがその出来事に呼応するものとして描かれている。恐るべしである。エヴァのような私的欲望の垂れ流しとは違う。
最近の夢 [つれづれ]
ごまかし [子育て日記]
車の中を掃除していたら、丸虫の大きな模型が出てきたので、子供達に投げつけてやったら、次女が泣き出してしまった。なので「いじわるしてごめんね、でも車の中掃除していた時はパパもびっくりしたんだよ。」というと、「掃除するのが悪い!」という。パパの車なのだから掃除して何がが悪いの?というと「掃除したなんて言うのが悪い。」などという、もう感情的になどなっていない様子なのだが、どうも理屈では説明出来ないほどの正当化が行われる。姉にもそういう面が最近目立つが、言い逃れをどれだけでもすれば負けない。みたいな感じになっているのはどうなのだろう?そしてどう対応すればよいのだろうか?「よーく考えて、なんかおかしいでしょ?」「おかしなことをいうねぇ」「はいはい、そうですね・」「うまいことごまかせたね」「いろいろ上手に説明できるようになったね」どれもちとしっくりこない。問い詰めないというのが正解だろうか?少なくとも「いいわけをするな!」ではないような気がするが、ある程度固めておかないと、つい感情的になってしまう。ごまかし、嫌いだから。
今日は妻とデートだった。
Netflixでガンダム実写版をやるという [つれづれ]
Netflixでガンダム実写版をやるという。以前にもハリウッドでそんな話があったような気がするが、監督は当然のように富野さんではなくて外国人がやるようである。ガンダムと一言で言っても定義は非常に広く自分たち日本人にもそれだけでは伝わらないものがある。ただその判断と言う言葉に込められた根底にあるものをなんとなく自分たちは感じているのだと思う。そしてそれは決してただのロボットSFアニメではない。ファーストガンダムの頃自分は高校生であったが大学生の人も映画館に並ぶという状況であった。それは、16歳の少年が非現実的にもモビルスーツなるものを操って戦い成長していくという物語にとどまらずベースにしっかり理論付けられた背景が存在していることが理由だったと個人的には考えている。なのでGHOST IN THE SHELLのようにただ表面的なところだけをとって映画化されると非常にがっかりしたものになってしまうことだろう。
厚木で新一年生の最初の最初の勉強会. [今日話したこと]
無症状の人に対してアトランダムにPCR検査をしたところ5%の有病率であったとして(そこの偽陰性は考えないこととして) 20代男性の全く無症状の人、70歳のリスクのある人、無症状だけれども会社で検査を受けて来いと命令された人などに対し、どのように検査の閾値を決め、またその閾値が何に影響されるかということを話しました。
同族グループでないとわかりあえないのか [医療]
総合診療というものをやっていると、同じようなことをやっている人とは、初めて会った時でもわかりあえたような気がする。特に総合診療科は色々とネガティブな問題が多くてその部分が同調し合う部分があるのだろう。自分は総合診療というのがいうものがマンパワー的にメジャーなものにならない限りはなかなかうまくいかないと考えているが、ではマイナーのままでメジャーな専門家たちとどのようにうまくやっていけるかとうところが当面の総合診療科の課題ではないかと思っている。
気が合うもの、同じ考えを持つ者が集まり、グループを形成することも大事大切だし、楽しいとは思うが、今の情勢でそれがなかなか叶わない、自分の力でそれができないとなれば、うまく専門医の人たちと指向が違うところをどううまく折り合いをつけwin winに持ち込めるかという所がカギになる。これからは自分の正念場かもしれない.
語彙力とは [つれづれ]
語彙力とは頻度の少ない言葉をたくさん知っていることだけではない。
むしろ。よく使う単語の氷山の下をどれだけ知っているかということである。
多義性というものがある。例えば、外国語の意味を知ることにより同じ日本語はいくつかの意味に分けることが出来たり、その逆もある事で本当の意味を知ったりすることもあるのだが、疲れると飽きるが英語では一つであったり、許すが英語にはたくさんあったり、それに似た言葉を知ることによりよりその言葉の意味、定義が狭く明確になるということは初めて意識させられた。
その他その場その場の頻度。フォーマリティ。作る構文。同時に使われやすい言葉などその単語の見えない深い部分をしっていることも語彙力なのだ。