変えるとは? [つれづれ]
22時くらいのいっちゃん眠たい1時間の間に4人ほど入院になりそうな人が来たとき、そして当直が一人の時、どう対応できるだろうか?病歴もそぞろ身体所見もそぞろで一通りの採血と点滴必要なら心電図までならすぐに行える。そして超音波が必要な人にはすぐに行える。(めっちゃみにくいヤツだけど)さて全くの一人で当直をしているときに、やっていることは、若いドクターと当直しているときに、それではいかんといっていたやり方であることに気づく。もっと丁寧に病歴をとって喀痰が今ひとつならとりなおしてグラム染色までする。そして決めたらすぐにその場で抗生剤を落とす。なのだが、実際一人であるだけでなく、そんな余裕がないだけでなくそんな習慣のもともとないところでそんなことできない。つっぱって「このやり方が正しい!」といっても面倒を増やすだけなら批判され、ドンドンやりづらくなっていく。少しずつ。少しずつである。年単位ではすまされない。大きな流れのなかで自分に何ができるのか?それを年単位で考えていく。そのためには知識のみならず心の準備も必要なのだろうと思う。
おかえりモネ [感想]
人はそれぞれの考え方感じ方があり、それは各個人でもそれぞれ、そしてグループごとに色が違ったりする。時にそれが対立したりすることもあるが、たいていは交わらないままになっているのだろう。そんな現代の世にそんなことないよ、人はみな同じような価値観や感情を共有できるのだよ。とでも言っているようなドラマ。だけど自分にとってはファンタジーである。朝のドラマのわりにはシリアスな場面が多く、夜中に見ていた自分はよいとしても、どうだろうなんて思いながらでも清原さんの演技ひとつだけでも見る価値があり、周りの人も彼女の入り込みに影響されているかのようであった。
今週最終回で、毎日の楽しみがなくなる寂しさがあったが、今日10月28日の回ではじめてこのドラマの本質がわかった気がした。そう。これは震災で傷ついた人たちへの応援なのだ。その人たちが、大切な人を受け入れられないりゅうちん親子。受け入れたモネの家族達。そばいなかった後ろめたさ。そして最もタブーでありだれも口にだせなかったみーちゃんの罪。それらに対して、人はやさしいのだよ。だから生きていけるのだと、何度も語りかけてくる。震災10年がたって初めて、そしてさりげなく、公にした物語なのかなんて自分なりに解釈した。このドラマで救われた人がもしいたのならば、毎日の朝に国民的な感じで送り出した意味があるというものだろう。
いろいろあるさ [子育て日記]
自分は子供を通勤前に駅まで送っているのだが,自分の通勤時間よ
その上子供は7時6分で間に合うところを55分なら友達と会える
よって親として6分には間に合うようにするから55分は自分の責
砂遊びのどこがわるい?
2021-10-20 [子育て日記]
めずらしく、時間ができて次女とふたりでお散歩をした。家で結構小難しいこと言ったり。たとえば「言葉は悪いけど、、、」みたいないい回ししたり、プリントができなくて泣いてしまったり、なんともそんな少し学童っぽい感じになってきたととらえていたのだが、ふたりで公園など行くと、遊ぶ遊ぶ、赤い実をひろってみっちゃんと名付けるし、銀杏の葉っぱはいっちゃん。砂場で兎を作ってお団子を食べさせるとか、おそらくこれが年齢相応というヤツなんだろうと思いつつ、普段へんなところに閉じ込めていないか心配になった。内にもともと宿っているものを解放してやろうと心に決めた今日であった。
(有名なザッハトルテこのあと食します)
単純だからむずかしい [子育て日記]
子供というのも単純なもので、「子供部屋の掃除は気持ちいいからパパがやる!、だから早く寝ろ。」とかやってると「パパにはぜったいやらせない。」といってガツガツ掃除してから寝てやがる。自分達が子供のころはいやなことを頑張ってやる人が偉いみたいな価値観があって、それはそれで努力した人が成功していることも事実ではある。しかし自分も周りの人もさんざん怒られたけれど身の回りの整理できるようになったのは結婚してからという人が多い。(未来の未来のおかあさんもそう言ってた)では躾はどうだろう。食事のときに背筋を伸ばす、お茶碗は左手でもつ。肘はつかないなどなど、考えてみれば注意されたのは肘くらいかもしれない。それも一人暮らしのころは守っていなかったかもしれない。
しかし勉強を楽しくなんてできるのだろうか、むしろ同調圧力の方がずっとモチベーションになりうるような気がする。自分はといえば、自分のためになると思えることしかやらなかっったし、そのなれの果てなのだが、子供にはそんな流れににはしてくない。
子供はパーフェクト [子育て日記]
以前、医療者が上級医は補完しあって、相手を立て、意見が違う場合も口裏あわせるゆ
に非難しあわない(少なくとも人前では)それでいて、研修医に対しては揚げ足をとるかのように、注意して下手するとつるし上げ。というのがとても気になっていたことがあったが、親子の間でも少なからずあるような気がする。
大人は完璧ではない、もしかすると完璧であろうとさえしない。そうかいう意味では赤ちゃんは完璧な存在で、年を取るにつれて、不完全なものに落ちていくような気さえする。
子供に完璧を求めてはいけないと、あらためて思う。それは自分が完璧でないことへのリベンジでしかないかもしれない。こどもにおとなとしての完璧さを求めてはいけない。それはただ便利というだけの理由だから。
そんなことふと考えてみたら、子供がよりいとおしくなってきた。
結構センスいいのではないだろうか?うちの長女
怖ろしい解答 [子育て日記]
人間は感情の動物だとはいったものだが、確かに自分も父にはネガティブが感情が母にはポジティブな感情の蓄積が残っているように思う。
お
定期的決断 [子育て日記]
ここ最近は子供の部屋を整理して何をどこにしまうかを決め、その通りにさせ、学校の準備をキチンとさせて、登校前にはチェックさせるということをしっかりと遂行してきた。そのため毎日部屋はわりとととのっていた。中途半端に自分にさせると、上手くできなくて、つい起こってしまったりがあったが、毎日は滞りなく過ぎていっているように思えた。こんなことが習慣化すれば、「あれやってなにの?これやってないの?」も言わなくて済むようになってくるのかなぁ。などという夢をいだきながら。
しかしかんがえてみると、ここ2年同じことをしているが、結局自分でできるようになっていない。そして親が注目しているものにかぎって、できないきがする。それはできていないから注目するのかもしれないし、だからこそできていないと感じるのかもしれないが、へたをするとうるさく指導するからこそ余計にできなくしているのではなんていう不安もうまれてくる。
部屋のかたずけとか、物をなくさないとか、結局自分達が自分達でできるようになるまで年単位で待つということになるのであろうか?それぐらいの気持ちでできるまではただ、やっていなければ親がやるくらいの心持ちで、ひたすらちいさなことでもできたときに褒めちぎらないと、身構えておくのがよいのか、なんていう決断をこうやって時々やってはわすれての繰り返し。結局できていない自分をしるのだ。