自分は子供を通勤前に駅まで送っているのだが,自分の通勤時間より1時間ほど早く出ないといけない.
その上子供は7時6分で間に合うところを55分なら友達と会えるからそこにして欲しいと言っている.
よって親として6分には間に合うようにするから55分は自分の責任で,ちゃんと親を伝えること,ということにした. つまりこの状況を自主性の育成に役立てようというわけだ.自分だけ準備してもちゃんと父に早いうちから30分に出ると行っておかないと父は40分ごろを念頭に準備するからね.と毎日のように言ってある.
砂遊びのどこがわるい?
よって娘が起きたと同時にいつ言うかいつ言うかと待ち受けている.これを促しては自主性は芽生えないので知らんぷりしながらもずっと注目しているのだ.
今朝は娘の起きるのが遅く,なかなか言い出さなかった.昨日はバッチリだったのに,,結局もう間に合わないと諦めているのだろうとおもったが,母親の手伝いもあって31分には準備ができたようで,玄関で私に声かけなしに待っていたようである.自分はあと10分あるので妹とテレビ体操を始めたところだったが,
母親が今日は30分に出るとすでに言ったらしいよと言ってきたのだ.
多分母は娘に今日早いって言ったの?と聞いたのでそうだと答えたのだろう.出発ギリギリに言ったら怒られることにたいする防御機構が働いたのだと思うが,
自分を守り,人をおとしめる嘘というもっとも私の琴線に触れる行為である.
子供だからとおおらかに許し智して待つべきなのだろうか?
例えば子供が万引きをしてきたとしたなら,ついやってしまったのだと,一緒に謝りに行く自信はあるが,自分の身近な人を犠牲にしてまで自分を肯定するという行為は意識していなかったしても正さなけれいけないというのが自分の考えである.
人として大切なことを破った時ですら,それに対して親は怒っては逆効果になってしまうことを恐れなければならないのだろうか?
以下は妻とのやりとり
もし本当に言ったと思っているなら,自分が正しい前提で考えるていることが問題.
もし嘘をついたという自覚があるなら,そんなひと言で自分の責任が人の手にわたると考えていることを何とかしないと,と思う.
いずれにしても言った言わないの問題ではなく,55分に行くということすらまだ自己責任になっていないということ.ここだけは成功していると思っていたからショックだった.
怒りは,自分を守るため,そして自覚しないまでもそれが人を陥れる嘘であることに対して.
自分のことで手一杯で,人を動かせないならば,55分はあきめるしかないと思う.
本当の自主性とは,そういうもので,まだまだということになる.
実際,出発直前で忘れていた時点で自分の責任だから55分は諦めるしかない.という思考にはまだいたれないのだろうか?
今30分出発と言ったら(忘れていたから)怒られる.だからそれを回避すること方向でしか考えられなかったということか.
そしてそれが責任転嫁ということもわかっていないのだろう.
妻の返事
言いたいことはよくわかるが、今日は嘘ついたというより単純に伝えたつもりだったんだとは思う。
彼女が相手の反応をちゃんと確認しなかったのが最大の問題だったなという認識。
パパの「40分でいいんだよね」っていうのが30分に出ないと間に合わないけどいいんだね、という意味で言ってるか理解できてなかったのかなというのも思った。(私自身が40分で良いんだよねの話の時に、40分で55分って間に合うんだとボンヤリ思っていたのもあるが)
要はコミュニケーションが足りてなかった気はする。
今日に関しては、の話だけど。
失敗を責めるとどんどんできなくなるタイプの人間だから、引き続き声かけしてって行こうかなとは思っている。
言った言わないとか、嘘とかの問題ではなく、自分の責任になっていないということです。
だからできるだけ、促さず、自分から父を急き立てるのを待っているのです。「言ったもん」のひと言で済ませてはいけないということを教えたいと思っています。
言ったつもりという、ウソの記憶がうまれるのもそういう思考からきているのだと思います。
あれ?知らないよ、言わないから今日は6分でよいと思ってたよ。というところから明日から少しずつ自覚が始まっていくと思っています。
今日は「言ったもん」で自己防衛機構がはたらいてしまったようです。
そして,自分は悪くない。と記憶として残る限り改善されないと思います。
妻の返事
つまり、私からは声かけ必要ないってことでいいのかな。ちなみにさっきのは彼女自身の責任になってないってのは分かった上での発言ね。
怒ったことで,自己防衛を強めてしまった.後で大分フォローしたつもりだが,..30分には間に合うように,フォローしていただけるとありがたいと思うのだが,,ただ今日は僕の怒りに反論したことで,より彼女の責任転嫁を助けてしまったように思う.そういう意味でも怒るべき,否定すべきではなかったのだが...
また,今日は間に合いそうもないところで,あれせよこれせよになっていたので,りおこは完全に待ち受け状態になっていたように思う.それで思考静止となり父のことをフォローできなかった.
彼女の場合怒ってもダメ,命令してもダメ.ただ55分に間に合いたいという気持ちが強いのでそれを自主性の芽生えに利用できるのではないかと思っている.だから自分の責任でまにあわなかったという経験が必要だと思っている.鉛筆なくしても何とも思わないのとは逆にね.
なかなか対応が難しいよね。朝の時間がない時となると尚更
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