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最後の作文 [子育て日記]

かなり本音に近くなった。きっと本当にこの学校に入れたいとおもっているのだろう。自分は。。

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娘は友達を作ることに長けており、特にコロナ禍前にはどこへ行っても、ちょっと親が目を離しているうちに友達を作っておりました。相手は同年代からその親、外国からの観光客のことも多いです。ご迷惑をおかけしていないか、といつも気になるですが、帰ってくることばはいつも「癒やされました。」でした。

 

私どもが子供の頃といえば、学校は楽しい反面勉強は机に向かって耐えるものでした。

それは教育という名の枠組みのなかにとじめられるような感覚だったように思います。

貴校のパンフレットを拝読すると、カリキュラムに代表される従来の枠組みで考えるのではなく、こどもが成長するとはどういうことか、という命題を出発点として教育を構成されているようにおもわれるのです。

それはたとえば、自然との触れあい、上級生が下級生を教えること、仲間と何かひとつのことを協力してやり遂げること、など多彩にわたり、そんな事例を通し、だからこそ、子供ひとりひとりの個性を見いだすことができるのではないかと想像しました。

そしてだからこそ、コロナ禍という事態になってもその出発点が揺るぎない物でもともと形のあるものではなく概念からはじまっているので、あらたな発想がが子供たちのために生まれてきたのだと思いました。

子供とは面白いもので、世界は自分だけのものとまだまだ感じているかと思えば、次の人のために牛乳を残したりします。蚊が大嫌いかと思えば、カマキリが死んでいるのをみて泣いていたりします。そんな娘の中に私どもは私どもが知り得ないような可能性を感じるのです。

 

 

もしかすると私たちは自宅で、算数や国語を教えられるかもしれません。しかしそれは自分達が大昔にならったテストで点をとるようなもので、子供の能力を伸ばすものではないような気がします。

貴校とのご縁があるのであれば、子供は自由に飛び回るような感覚のもとに、知らないうちに貴校の魔法のような術中にはまり、私どもの思いもよらないような成長を遂げるのではないでしょうか?

子供は何かを押しつけられるより自ら何かを解決していくことで学んでいくことは、私どもも学びましたし、そういうことがますます認められる時代になってきたことを感じております。

以上、子供達を一律も押し上げるのではなく、ひとりひとり、つまりは私どもかけがいのない結衣子の個性を、その豊かな経験をもとに見つけていただき、のばしていただけるのではないかと思い、志望致しました。

また、世界は自分だけのものとまだまだ感じているかと思えば、次の人のために牛乳を残したりします。蚊が大嫌いかと思えば、カマキリが死んでいるのをみて泣いていたりします。



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