アフガニスタン [つれづれ]
アフガニスタンでクーデターが起こり、アメリカが撤退するらしい。
ベトナムの陥落を思い出すとか、日本も我が身と言う人もいる。
あそこは中村医師が命をかけて救おうとした地。
歴史を作るの感情なのか、そして残るのも感情のみなのか。
(買って置いているのだが、、)
True Children’s growth start when they realise to be beyond there Fathers. [つれづれ]
子供というものはたとえ勘違いでも親を超えたなんて思うときが本当に成長する時なのだろうか?自分は恥ずかしながら,父親と言い争いになった時,父が感情のあまりか論理が破綻した時に感じた.超えるとか超えないとかの問題ではないのに,超えたと思ったことが自分がある意味での成長を感じた時であったし,父にとってはなんとも言えない疎外感のような距離感をかんじたことだろう.それとは少し違うが若い医師達もどんどん自分を越えていって欲しい。
場渡り [つれづれ]
ドラえもん [つれづれ]
ドラえもんは日本人の多くの人の心の中に人間の種類のデフォルメのように収められているように思うのだが,どうだろうか?
多くの人がその行為や性格をドラえもんの登場人物になぞって比喩的に表現したりしている.よくあるのは「あいつはジャイアンだからな」とかである.
しかし今の世の中に純粋なジャイアンはいないし,ジャイ子もいない.ましてや,さやかちゃんもいない.それなのに,さやかちゃんはサザエさんにも大空かおりとして存在する.どうしてだろうか?
要はダメな善人と理想的な女友達の結びつきは,多くの男子の憧れなで,多くの男子がさやかちゃんを探し続けるのかもしれない.なんとも悲惨な話だが,自分もまたその一人だったのであろう.
太平洋戦争開戦中英米の戦略 [つれづれ]
NHKがというか人類が必ずしも歴史を正しく評価できるとは限らないが、今回のNHKスペシャルは今までの自分達の見解をさらに広げてくれるものであった。このように歴史に関しては、知識(資料)を持つ人の見解を受けていくしかないのかもしれないし、事実上自分にそれを評価する力はないように思う。
NHKの調査によると、日本がアメリカと戦うように仕向けることが蒋介石の日中戦争開戦当初からの目的であったと、戦いそのものではなく、そのことに尽力をつくしてきたのだと。そして日本は日中戦争をやめることで、それを回避できたはずだと。
またチャーチルもドイツの対抗するためにアメリカの参戦を強く望んでいたので蒋介石の政策に荷担したのだと。結局大局とその先をみることができたかどうかということ、なのであるが、蒋介石は戦後追放されたことから考えると、彼もまたそこまでは読み切れなかったということか。
自分たちは戦後の狭い了見の世界の中に押し込められたように育っており、ある一定の解釈を押しつけられようとしてきた。そろそろそれも解放され、戦前からの日本人の心の中までも共感していくべきなのかと思う。ただし、戦争は悪であるという確固たる事実だけはうけつけられておいてよいと思う。そのうえで、何が間違っていたか。それは敗戦国だけではなくすべての戦争をした国が反省をすべきことを考え、未来につなげなければ、勝ったもの勝ちにまた中国がなろうとしているきがしてならない。
目に見えない物には目をつぶる? [つれづれ]
大昔は川が触れるような所には人は住んでいなかった。その後日本でも人口が増えて.川が氾濫したらそれはそれで受け入れた時代もあったかもしれない。そして現在は多分安全な場所は土地代が高くそうでないところにもたくさん人が住んでいるという状況なんだろう。世の中が少しずつ進んで緊急時にはスマートフォンにほぼ全員にそれが知らされたりする。それが次善の策と言う所なのだろうが、とかく考えたらわかることでも起こらないと対応できないという事実はずっと繰り広げられているように思う。今のようなゲリラ豪雨が想像できなかったとしても、毎年台風が来ていたわけだから、川が氾濫したら浸水してしまうような場所は国が買い取って人が住まないにするとか必ず1階1階には人が住まないようなシステムにするとかような家の形状にするとか頭の中ではいくらでも対策ができる。しかしそれを実現させるの妨害するものがたくさんのだろう。1つは民主主義国が国民に対して強い強制力を持っていないこと。そしてもう一つは資本主義とりあえずの利益を追求するような考え方ではないか?
もうひとつは目に見えない物には目をつぶる主義だろうか?
どうして連携できない? [医療]
多様性?日本人にはきびしい? [カンファレンス]
今回のオリンピックのテーマは多様性だったらしい。自分は開会式で「あれ?並ばないの?」と思ったあとに「まぁいまの時代こんなもんか。」と思い直した。こういう意識の変換が必要になってくるのだろう。
(1年半ぶり、、)