SSブログ

主体的であること [子育て日記]

長女の選択、決定が他人の誘導によって行われるものだといつも感じる。それにくらべて次女の決定は自から出ている。とはいえ、ふたりとも基本感情が決定の根本になってることには変わりないないのだろう。そう考えることで自分に何ができるか考えてみた。

意識していようといまいと、ふたりを比べるている自分たちがどこかにいるわけで、それはよいことでないのはわかっている。つまり自主性と言う意味で次女の方が優性と思ってしまっているとところをまずリセットすることができる。これはとても大事なことなのではないかと思う。

次に彼女たちの決意と言うものは、一体どういうところから生まれたものなのか、常に自分の中でも施行をめぐらせることができる。「どうせ、、、」と言ってはいけないんだ。どうせ感情的なものから生まれたものだろうと思っている限り、もしかすると自分の中にあるそういう部分も含めて批判的にしか見られないかもしれないし、つまりはなんらかの娘達からの刺激に対して、それがひとときの感情から生まれものだとしても、それに対しての反応を準備することができるのだ、そのことからはじめないと、逆にいつまでも感情に振り回される人間になってしまうのではないか?つまりそこから積み上げていけば、論理と感情を行き来することが出来る人間に育ってくれるのでは?なんて希望を抱いたりしている。

th_IMG_2213.jpg


nice!(1)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。