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私の意見 [医療]

第3波が発生した時、「医療崩壊」と騒いでいたのを覚えていいますか?看護師が何日も家に帰れず、過酷な状況に耐えているドキュメンタリーが放送されたりしていました。医師会会長も声を上げて「医療提供が立ち行かなくなる」と発言していたようですが、果たして医療者のどれくらいの人がコロナに直接携わっているのだろうかというとかなり疑問があります。おそらく「お前んとこみたいに大きなところや公的なところは、さすがにやらんといかんやろ。」というところのみだと思います。

それ以外の白羽の矢が当たらなかった医療施設はホッと胸をなでおろし、発熱というだけで最初からみないという方針を打ち出しているところも多いです。もし一般の人がそれを聞いたら「えっ?なんのための医療?それにコロナを診ると悪い噂がたってそのクリニックの患者さんが減って潰れるっていうけど、どのクリニックも病院も受け入れていたら、そうはならないんじゃないの?みない方が得するというシステムがおかしいのでは?」と疑問に思うのではないでしょうか?

自分もまったく同感です。でも自分は今の状況や医師会の言動に全く驚くことはありません。

なぜなら医療界はずーっとそういうスタンスでやってきたからです。

例えば、地域で夜の救急診療を輪番制をしいて守るといシステムがどこの地域にもあるのですが、実際輪番にあったっていても補助金だけを受け取り救急患者を断り続けている病院も多々あります。断り続けているので、救急隊ももう問い合わせもしないのです。私はこの20年間患者を絶対に断らないというポリシーでそのポリシーにあった病院を選んで働いてきました。以前SARSが流行りそうになったときその準備のために地域で準備を進めていたのですが、はっきりと「うちらはやりません。オタクはpatient fastですよね!」などと皮肉めいて言われたものでした。わたしはもちろん「もちろんやります。」と答えたものです。結局SARSは日本に来る前に息たえたのですが。

私がこの20年でみてきた経験から言えることは、「医療者は医療者のために患者を犠牲に出来る。」という驚愕の事実です。これは言い方を変えると、「なんでも断らずに受け取って満足な診療ができないのはむしろ罪です。」となります。断った患者が何処へ行こうが知ったこっちゃありません。そのことは、それらをすべて受け取ってきた自分が一番知っています。なぜそんなことが起こるのか?大きく2つの理由は確実に存在します。

そのひとつとして、医療は医師の良心に頼って成立しているという部分が大きいと思いというのがあります。自分は週120時間以上の労働を40代後半まで行っていましたが、その半分はボランティアでした。私がいつも言っていたのは「病気質を取られているからしょうがない、労働分の報酬をもらっていないことが自分たちの強みだ。」そしてそれが自分たちのプライドでもありました。ただ、自分はそういう環境で育ってきたからそう考えるようになっただけで自分と一緒に働いてきた人たちはみな同じスピリッツでいると信じています。ただそういう人たちが守るようなシステムになっておらず、自分の身は自分で守らないといけないのです、際限なく患者を受け入れてたら、あの頃のじぶんのように週120時間、200日連続労働などというようになってしまいます。だからそこは国が分け合えば余る的なシステムを構築すべきど自分は考えるのですがそういったものは決して生まれないのです。今回のコロナ騒動でも発熱患者を断ってもだれにも咎められないのです。これが第一の理由です。

 

第二の理由は医療全体に流れる価値観だと考えています。どうやら私たちは日本に医療の中では異質な存在でなければならないようです。そして今、コロナ関連というひとめに晒されるところで診療している施設の多くは、ひとめに晒されないところで患者を断って選んできた人たちが、それができなくなっているのです。実際自分が元々働いてた病院は、粛々と今までと同じようにコロナを請け負い、診ています。今非常勤の自分は崩壊しそうになったら自分も泊まりがけで診療にあたると約束していましたが、結局声はかけられませんでした。

専門医は大切で、難しい治療をする人が必要ですが、多くの疾患を抱える高齢者や、とりあえず初めの段階を診る医師はかならず必要ですし、欧米はそういう医師を50%60%必要と考え育てています。ところが日本では専門を自由に選べることと、学会が大きくなること、大学の医局では研究が第一であることなどの理由から色んな疾患を見ることができる能力の価値はみとめられていませんし、ジェネラリストになろうという医師はほんの1%しか生まれません。つまり日本の医師は「その患者自分の科じゃないから。」という感覚に慣れているのです。それが今忙しいから、とか自分たちの施設ではみられないから、などに用意に発展するのです。

自分は、少なくとも自分の周りだけでもジェネラリズムをもった専門医を育てたいと決意してまだ道半ばです。これから自分が今まで働いたことのないような(病院内でも同様のことが日常茶飯事に起こっている)病院に勤めることになり、身を引き締めているところです。



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