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2022-06-02 [臨床]

「君は石橋を叩いて渡らないのだね。」と批判的に言われたことがある。熟考した上でアクションを起こさないという選択は当然あるわけで、それが正しいかの基準はすべて患者の利益にかかっている。アクションがマイナスに働く可能性を加味すれば当然のことなのであるが、もしただその行為のパターンのみをみてネガティブな評価をする基準は1つは”雰囲気”そしてもうひとつは”利益”であろう。

そんなことを今日CVを入れるのにガイドワイヤーが奥まで入らず、浅いところからカテーテルをいれるかどうか、まよったために挿入に時間をかけながらそんなことを思った。

 

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意識障害そこはかとなく [臨床]

 

意識障害で来院したけれど、原因がわかりません。に対して、まず意識障害とは?

自分達が意識と呼んでいるものは実はかなり大雑把なものであることを認識しておくべきである。意識障害だからGCSとJCSで評価すればいいという単純なものでもない。

人間はまず感覚すなわち(みる聞く触られる)が機能しているかが問題となるが、JCSでいう300になった場合はこれが機能しているかoutputが欠落しているかどちらかわからないということである。

また聴覚が低下しているヒトであれば10と20で沢内ということである。また感覚を認知し、それを認識するところすなわち認知力と呼ばれているところに問題があるかどうかは大切なところである。実際は覚醒度がはっきりしていれば認知力に問題があってもこれは意識障害とはよんでおらず、認知症もしくは不穏もしくはせん妄ということになる。このあたりの区別はむずかしく大抵認知症のあるひとが不穏になったとして、リスパダールなどで対応される。

しかし、定義的にはフラシスは急性発症で変動があり、注意障害があり意識レベルの混乱または混乱した思考のいずれかを特徴とする意識障害とある。これまた複雑なようで実は大雑把な定義ということになるが、

おもしろいことにエッセンシャルでは意識障害の欄にせん妄の言葉がでてこない。

誰もが、このあたりを曖昧にしたままでいるような気がする。

そのため、せん妄には致死的な疾患が隠れている。という教えがあるにもかかわらず、入院直後などは特に不穏として対症的に対応されしかもそのほとんどが上手くいっているようだ。

前々回のCPCでは入院、そして手術後しばらくしてから不穏になったひとが肺塞栓であったことがあったが、こういうときはいわゆる”違和感”をもって対応すべきなのかもしれない。

ところで意識障害というからには呪文のようにAIUEOTIPSと唱えながら鑑別していくことが多いが、杓子定規に鑑別するのではなく、病歴を周囲の人からとれるのなら出来る限りとることでカミソリ的に診断に行き着くこともあるし、それさえないときは外傷がないかとか、服装、臭い、瞳孔などからヒントをつかむしかないかもしれない。もちろん既往歴は参考になるだろう。

原因がわかりません。と言われたときはたいていCBC 電解質 Bun Cre 血糖、頭部CT 心電図くらいまではすませていて特に問題がなかったということであろうが、たとえば、アシドーシスはなかったのか?(痙攣のあとアシドーシスになったり、腎不全だったり、ショックだったり)アンモニアを考慮するような病歴はあるだろうか?とか、アルコールを初めとする投薬などはどうであろうか?までは初心者がぬけている部分であろう。

もうすこしレベルがあがるとすれば、だれも見ていなかったはじめての痙攣とか。敗血症とか血糖がほぼ正常のDKAとかだろうか?

また落とせないのが髄膜脳炎だろう。ウェルニッケもそうだが感染は見落とすわけにはいかない。脳卒中でも範囲が広ければ意識障害で来院するということそこまでだと神経学的所見がとれないことも注意。

肺の疾患では肺塞栓やCO2ナルコーシスも大切。

火事の時に限らずCO中毒も考えるべきだろう。

しかし高齢のUTIがありそうな尿の所見で意識障害があるとき、LPをするかどうかは悩ましいところである。すると決めた後で入らなかったときどうするかもまた悩ましい。

慢性硬膜下血腫もわすれてはならないがまずCTはとるだろう。

SAHも意識障害で来院する。頭痛というワードは出てこないこともある。

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アンカリングと逆アンカリング [臨床]

時々、いかにもバッチリある疾患にはまる病歴がある。忙しければいそがしいほどアンカリングされてしまうので注意すべきだろう。例えば、時々右季肋部か心窩部の痛みが食後に起こり、右背部の痛みも時々伴う。などとくると胆石一辺倒になりかねない。ましてや健診で胆石をしてきされていたらなおさらだ。胸膜痛とまさしく胸膜炎を想定させるような主訴であるとむしろこれがじゃまになったりもするが、肺塞栓や、外傷、心膜炎なども鑑別になることを忘れてはいけないし、死ぬ胸痛のことは忘れてはいけない。狭心症は80%病歴で診断がつくわけだがいずれ死に関与する疾患であるからこちらは逆で病歴がそれらしかったら、検査で陰性でもけっしてここに逆アンカリングしておかなければならない。

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検査前確率 [臨床]

ずっと以前だが、結構高齢の結構大きながたいの白人が間欠的典型的狭心痛で来院。当直明け寸前だったので、外来循環器医に紹介した。負荷心電図を施行して正常だったからとそのまま帰されたことを後から知った。

 

今日全くそっくりの症例問題をみんなで考察した。52才の男性が階段を上ると胸部が絞られるようになり安静5分で軽快する。糖尿病、高血圧がある。トレッドミルと負荷SPECTで陰性であった。どう考えるか?という問題。この問題集の最後に書かれていた言葉は以下の通りであった。

 

Before ordering a stress test, ask yourself why you are doing it: Are you trying to diagnose CHD or determine the severity of the disease? Always consider pretest probability when interpreting the results of a test.

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自己エビデンス [臨床]

医療には先人や、現代の人たちがデータとして示してくれるものと、自分や身近な人経験の両方が必要となる。どちらが書けても医療は成立しないと言えよう。そんななかでも自分のような怠け者には、まただんだんと年をとってくると自分の頭の中の経験に頼ろうとする、それはそれで、大きくはずれることはないのだが、時としてバイアスにはまることがある。最もはまりやすいのは確証バイアスであるとても印象に残った事例が頭にのころその出来事がまれなことであっても頻度の高いことのように感じてしまう。そうならないように自分エビデンスというものを作るのはどうであろうか?例えば、甲状腺検査だがその日のうちにできるし、非常に感度も特異度も高い検査であるし、甲状腺疾患というなんともファジーな症状を示す疾患の場合どうしても検査閾値が低下してしまうものだ。そのことを全く問題ないと思えるのならそれでよいのかもしれないが、自分のNNTE(number need to examinatio) が自分の臨床能力と考え、それを高めようと思うのであれば、自分自身の統計をとるくせをつけるというのはどうだろうか?最初は多めにとっておいてもよい。たとえば100例までは閾値をかなりさげ、すこしずつあるパラメーターを厳しくして、また100例とそうして人生のなかでどうなっていくのかをみることで、検査の基準を意識するようになるし、スタディとの比較から自分の基準を変更することも出来る。甲状腺に限らずCTなどでも行ってみるとよい幸い日本は過剰検査に寛容な国なので特に若いうちはやりやすいのではないだろうか。


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教科書的 [臨床]

自分達は患者さんに当たったとき、教科書通りだととてもすっきりした気持ちになり、満足感を得られる。それがないときはなんだかモヤモヤする。それゆえ、主訴から教科書にないような人だと最初からモヤモヤするし、あたかも診断がつきそうにない人にもモチベーションをなかなか持てないものである。実際そういうヒトたちが総合内科外来に回ってくるのも理解できる。ではなぜそうなのか?労力に見合った結果が得られないというだけではなく学生時代の教育そのものが教科書のみだからではないだろうか?国家試験も典型的なものを当てるゲームのようなものである。「どのように思考を働かせて、どのように解決を導くか」それはフワフワしていてテストできない。よって教科として完全でないので学校では教えにくいようである。しかし仕事を始めてもっとも必要とされる技術なのである。その技術があれば、教科書にないような人ばかりの世界でも物怖じせずに体当たりしていけるのに、と思う。そんなに知識が大切なのだろうか?

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もう一つのバランス [臨床]

もう一つのバランスといえば、エビデンス、医師の技量、患者の志向の3つのバランスがあり、これもシチュエーション 疾患の質によって変わってくる。その辺りを理解していないと、常に杓子定規に正しいと思われる治療を施すことになり、本来の医療の目的である、患者もしくは家族の幸せ。にはたどり着けないことになりかねない。

では正しい医療ではない医療をするのか?い言われると、もちろんそうではなく、多くの場合”やり過ぎ”が幸せを遠ざけることを意識すべきである。また医師の技量を把握し、エビデンスの限界を技量で埋めることで医療を行っている。それはエビデンスの限界を知る努力をつねに怠らないことにほぼ同義である。

また医師の技量は必ずしも一定なものでなく、いわゆる常に最高の医療を患者が受けられるか?という疑問には残念ながらYesとは言えない。そしてそれができるようなシステムが作られているかというとそれは全くもって違う。医師同士の役割分担は決して空からの視線で見られることはなく、それぞれのグループや個人がおそれぞれの近眼的な視点で活動しているというのが事実である。

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診断のバランス [臨床]

以前自分は診断をつける過程として基本的に大風呂敷を広げてその中から有力なものを病歴で絞り込んで検査によって解答を出すというのが基本だと考えていた。もちろんSnapShotDiagnosisといわれるように、いっぱつで診断がつくようなものもあるだろうし、いわゆるパターン認識的な見方もある。また、どうして無難しい急を要さないものとしては、鑑別を各カテゴリーで考え、一つ一つ潰していく方法も存在する。

 

ところで、エビデンスというものは数字で表されることが多いが、実際は計算したりする事はないし、診断のエビデンスが直接診断に寄与しているような感覚は実はない。

 

最近の総合医と呼ばれるものは声高らかに病歴身体検査大切と言うが、実は想定する疾患とのバランスが違うのであって、そこをしっかりと意識する必要がある。例えば狭心症は病歴でしか診断できない。また、命に関わるような病気は、ある閾値を超えれば後は検査だよりとなる。th_IMG_9341.jpg


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このくだりいる? [臨床]

今日、ある薬を朝夕2Tずつの処方をした。昼頃処方したので、「昼に2T、夕に2T飲ませてください。明日夜朝夕でのませてください」と指示を出した。しばらくして電話がかかってきて、「昼も飲ませるのですか?」「はいそう書きました。」「昼飲ますと夕なくなりますが」「え?そんなはずないでしょ、朝夕で処方したのだから。」「いえ、夕からの処方になっています。」「え?そうなの?」「はい。」でも飲ませておいて「わかりました。」このくだりいる?なんとこの病院は本日から処方しても朝を過ぎていたら夕からの処方になるらしいと初めて知ったわけだが、「先生、くすり1T足りなくなります。」「え?そうなの?なんで_」でよいのではないだろうか?わざわざそんな回りくどい質問をするのかが、理解できない。何にも考えず、昼夕で飲ませろと指示には書いてあるけど、今日の分1Tしかない。いったいどうしろということなんだろうか?きいてみよう!なんだろうか?1Tたらなく処方してやがるぜ、ちょっとねちっこくいってとっちめてやろうではないと思う。理解出来ない人を理解しようとする。これが働くということか。。。

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低ナトリウム血症を5分で説明できるか? [臨床]

低ナトリウム血症を5分で説明できるか?

まずは身体の水分の分布を知っておくこと。血液は6Lだから血漿は3L間質液はその3倍9L

12Lの倍が細胞内液というわけで全部が36Lこれは身体の60%

よって3倍2倍と覚えておけばだいたいわかる。日常で最もそうぐうするイメージは血清が6Lという事実ではないだろうからそれは絶対忘れない。

それから、浸透圧と有効浸透圧それから膠質浸透圧の違いを 細胞膜と血管壁細胞内と間質、血管内 それからナトリウム、カリウム、尿素窒素、糖、アルコール、アルブミン、で理解する。

それからRAA系 とバゾプレッシン(水再吸収ホルモン)のそれぞれの働きとセンサー理解する。

ボリュームが減ったとき、RAA系が活性化してNaの再吸収とKの排泄が促され、Naに付いてきた水が血管内にはいるのでボリュームを保とうとするのだがそれ以上に脱水が進むとバゾプレッシンが大量にで水を再吸収させるので低Na血症になる。

またなんらかの原因でバゾプレッシンがでるとボリュームは増えるのっでRAA系は低下してNaの再吸収は抑制される。よって水の再吸収にあいまって低Naが進むのである。

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上野毛駅、安藤忠雄さん作



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