受験勉強と医療の関係 [医療]
- ●英語に限らないかもしれないが、テストを作る場合、特に入学試験などの場合ヒトによって差がつくような問題を選ぶことになる。そう言うわけで英語は言語であるが、出題は例外が多くなる。例えば、「事件についてのエビデンスをかきあつめました。」を訳せよ。という問題は少なからずWe have scraped together evidences about the incident.と答えるヒトがいるかもしれない。間違いではあるが、実際の会話の中では大きな誤解は起きないであろう。このように例外を集めた「試験に出る」系の参考書を一生懸命勉強したひとはテストでも良い点が取れるのではないだろうか?そしてそのような勉強法しかやっていなかったひとは英語で会話が流暢にできるようになるだろうか?言語とは特に会話は考えなくても発生するほどまでに体に染み込ませることで初めて上達したと言えるものである。しかしその最も大切な能力をテストで測定することが出来ないということである。では医療に関してはどうだろうか?いつも思うのだが、専門的な技術に秀でたヒトも含めて、一番基本的なマニュアルを完全に体の中に染みつけるように自分のものにしているヒトがどれほどいるだろうか?そして基本的なマニュアルは「そんなものは初歩のもので研修医が手にするもの。」ように言われるのだ。そして普段から医療者が遭遇するような疾患をいかに診断治療することより、珍しい症例つまり例外が重宝され、学会などで発表されている。珍しければ珍しいほど価値があるかのような空気をこの仕事をしながらずっと感じて来たし、自分も確かに、心おどるところはある。しかしながらその“文化”が少し極端すぎるのではないかとずっと考えてきた。それは総合医のなかでも同じように存在し、臨床カンファレンスやドクターGなどというものに表出されているのである。ではどうしたらよいのか?各施設はもっともっと日頃の診療をシェアした方がよいと思う。実際現在、他施設との交流は間違いなく“めずらし症例”でないとなりたたないのであるが。特に日常診療の他施設とのシェアは評価をうみ、日常診療が改善されていくのではないだろうか?
上級医同士は否定し合わないの法律 [医療]
上級医同士は否定し合わないの法律
日本の医療は西洋医学をベースにに発達して来たわけだが、必ずしもグローバルスタンダードにのっとって行使されているとは限らない。むしろ、職人的な個人の経験に基づく医療が優先され、そして対する異論からも守られている様に思える。
そもそも日本人はディスカッションというものが苦手という定説があるが、そのディスカッションの拠り所にするものを相対する人と人の間に置くか、それとも外に置くかであるが、儒教的もしくは、キャリア至上主義的な力関係で物事が決定される場面を多く見てきた。
最悪「鶴の一声」的な序列によって決められる事柄などはディスカッションで生まれたものとは言えないであろう。
これはやはり日本の医療が大学医局という単位をベースに成り立っていることが原因ではないだろうか?わたしが見てきた医局はすくなくとも表面上教授の言うことが絶対であり、また教授のみならず、下級医は上級医の言っていることにさからなったりしない。
自分は一時期大学の医局というものに属していたことがあったが、その時もう異質な存在となっており、上級医の言うことと別のことをすると、「もう教えない」と言われた。土曜日に患者を受け入れたことでそんなことをする必要はないと諭されたり、他科のヒトに意見をしたら酷く叱られたこともあった。また、学会での発表は何度も書き直しを要求された挙句、最後はまったく自分の意見は入っていないものが完成した。
つまり、意志決定に公平なディスカッションで決まらない中で、その意見のよりどころが自分自身にしかないのであれば、同じ立場の人通しの意見の食い違いが表にでることは致命的となりうる。ということは用意に想像がつく。
自分も毎朝前夜入院の患者を話し合うERカンファレンスの中で自分が尊敬する泌尿器科の先生が尿管結石について全例CTを撮れと研修医たちに言ったのを、否定したらそれいらい二度とカンファレンスに来てくれなかったという経験もある。また、同じ理由で、総合医を自分の下の立場と思っている専門医が総合医とディスカッションする訳がないのも理解できるであろう。ましてはエビデンスをベースにしなくても、医局の方法さえ踏襲することによりやっていけている専門医とは全く議論する土俵も方法もない訳なのだ。
病院にわざわざ付属のクリニックがあったのはなぜ? [医療]
病院にわざわざ付属のクリニックがあるのはなぜ?
厚労省と医療者の間はまさに人参を与えるヒトと馬の関係が存在する。お役人は医療者を動かすのにお金を使う方法がもっとも効果的と思っているようであるし(実際そうなのであるが)医療者は医療者でそれにまんまと振り回されている。そのよい例が紹介料ボーナスである(資料)
国はドンドンと膨れ上がる日本の医療費をなんとか抑えるという命題がある。(そもそも高齢化を防げなかったところに端を発しているのではあるが)医療者は医療者で以前は薬価差益で左うちわだったものが規制され、生き残りに必死である。そして開業医は医師会の力が強いためか勤務医の異常なほどの勤務体系と開業医の裕福さが対照的になり対照的になるほど勤務医が開業していき、より勤務医の仕事が過酷になっていた。国はそういったバランスを補正するとともに、医療財政を切り詰めるという目的で、総合病院に直接患者がかかれない仕組みを模索した。
ひとつは資格をとった病院には紹介状なしでかかれなくしたが、それは失敗に終わり( 理由 )また、( )年頃にクリニックから紹介された場合に補助金を出すというものだった、それは後ほど廃止されるため紹介状ボーナスと呼ばれたが、施設によっては、付属のクリニックをつくり勤務医をそこで働かせて、手続き上別の施設の実質は自施設からの紹介という形をとる病院が多発した。結局ボーナスは一時的なものであるからクリニックを別にした施設は再び統合して使いにくいままに使用せざるを得なくなったり、取り壊さざるを得なくなったり、結局は長い目でみることができなかったもののの典型的な結末となったのである。
余談ではあるが、いまは総合病院に初診で来院したひとは初診料とは別に7000円(選定療養費2016年より)などという保険外(自費)の料金が発生する。これも逆を言えばお金さえはらえば診てくれるってことになり、裕福なものが教育だけでなく健康獲得すらも優位となるということになり(自分が想像する)日本の保健医療の(概念)に反するのではないかと思う。そしてそのまま通えば、その後はその金額は必要なし、緊急時に断られる確率も減るということである。それを総合病院の医師は拒否することはできないし、する気もない。(このあたりは患者はなぜ大病院にかかりたがるのか?の問に通じる。)
大病院はむずかしい患者をしっかり診るところ、開業医はそうでもないひとを日常診るところなのではあるが、もちろんその中間の病院もあり、選定療養費の金額やそれをいただく基準がそのレベルを反映しているようである。ではその大病院を開業医は同じコンセンサスで動いているのだろうか?そのコンセンサスの基盤となるスタンダードはあるのだろうか?医師たちはそのスタンダードを学んでいるのだろうか?開業医は開業するためのトレーニングを受けているのだろうか?開業医の武器はおのずと病歴や身体所見となるのだが、それらのトレーニングを受けているのだろうか?そして勤務はその価値を理解しているのだろうか?そのつながりが患者から見えない限り、患者は施設の整っている病院でかかりたいと思うのは当然であろう。スタンダードの構築、教育。資格、協調そのあたりがしっかりしない限り、日本は病院のみの診療しか支持されないのではないだろうか?
外交的性格 [子育て日記]
2023/02/27
長女は間違いなく受け身的な人間である。ユングのいうところの外交的と言えば言葉はよいが、ほとんどのことが自分で決められず、反応のみで生きているところがある。それは子供としては当然の発達途中と考えてよいのか、もしくは女性に特有のものなのか、かなりの人間がそういうものなのか自分にはわからない。
長女は漢字が嫌いなようである。親や先生が口やかましくやらせようとしたことの反動かもしれないが、とにかく漢字の学習は効率が悪すぎで、30分で3語ぐらいをグダグダと書いた挙げ句に覚えてないということのが連続である。
やりたくないことは形式だけやるそれも時間を十分にかけて。全く時間の無駄である。
嫌いなものを食べるときも、本当にゆっくりと食べるがそれとどうも同じ感覚のようである。
ここ3週間ばかり3週間無理にでもやらせてその後は自分でやるんだよ。という前提のものとに、毎日叱りつけてやらせてみた。
ところが全然覚えていない。ということが発覚し、やはり自分の中からモチベーションを作らない限り覚えることはできないのだと悟った。
そこで「漢字に対しどうしていきたいの?」の質問の答えを待つこと、40分そのやり方は難しいのではないかな?そもそも目標はどうするの?の回答を待つのに30分、1時間過ぎにもう一つ提案がでたので、「それでは量が多すぎるからこうしたら?」の質問をまた30分まったところ「パパに言われた方法でやる。」ではそれを書いてで鉛筆をもつのにまた30分という具合で結局2時間以上待ち続けている。
漢字など、他の科目に比べたらずっと重要度は低いと思っている。しかし自分で勉強のやり方を考えて自分の力でその(いやなもの)を推し進めることができれば、それは将来的にもすごく役にたつし、本当の「かしこさ」いわゆる「自主性」とともに身につけ始めるチャンスになると考えた。だからこそこの2時間30分という時間はむだではなかったと思うのだが、結局パパの提案を受け入れただけ、それ以上の能力が今ないのであれば、無駄な時間だったかもしれない。それはこれから試されるのだ。
妻とデート [今日の出来事]
オレオレ詐欺から [つれづれ]
医師-看護師関係のみょう [医療]
2023-02-09 [つれづれ]
トルコ、シリアでたくさん人が死んでいる。つい最近そのあたりの情勢にこっていたこともあって、その前よりはすこし興味の度合いが強いのだが、しかし実際自分の周りの知らないヒト達も毎日亡くなっている。自分は自分の病院の他の先生が診ているヒトが亡くなったことも知らない。そんな中でたくさん人が亡くなっているというニュースをどう消化すればよいのだろうか?義援金をそれがどこ手どう使われるかなんてわからない。とか、めっちゃ取られている税金から政府が出しているからいいだろうという理由で払わないということにもなぜ少し後ろめたい気持ちにならされなければならないのだろうか?その気持ちを利用したのが義援金や募金なのではないかとさえ思う。
知ってしまったからにはお気の毒だし、やっぱり東北大震災の時のようなエンパシーは感じなくで申し訳ないとは思わなくもないけれど、今度はもっと上部な建物と作る制度にすればいいよね。なんて思う。
刺激と反応の間 [つれづれ]
どうする?オレ [臨床]
91歳コロナで入院 肺炎像なく、中等度Ⅰとしてべクルリー3日で対応当初食事が摂れていなかった。来院時CRPは4.83と少し高値であったが、コロナ+の細菌感染は起こっていないと判断した。(根拠は発熱翌日来院でコロナ陽性であり酸素低下なく、関節痛もなく、元気であるということだが、尿の一般検査くらいはしておいてもよかったかもしれない)
普段なら取らない#3の採血ではCRPは6.63と少し上昇白血球は4400だが特に当てにはしていない。Netroが76%と上昇しているから炎症高値と考えて良いと言うドクターもいるが、その根拠も知らない。
フェリチン1209はコロナ感染を支持する。と思う。
本人の受け答えはしっかりしており、そのためか看護師が騒ぐこともない。
相変わらず食事は摂れていないが、#6の採血ではCR Pが11.04さすがにこれはきつい。尿検査でも白血球が50-99G染色では大腸菌と思われるGNRが多数いる。ご本人のに重症感は全くなく普通に話をされており、加えてコロナ病棟であることから、血液培養の指示はスキップして、CTRXを2g/day 開始した。(ちなみに発熱したのは#4の夜から土日にかけてで私が気づいたのは#6の月曜だった。
食欲は#9抗生剤開始して3日目で食欲亢進解熱もして9-10割食べるようになった。、#10 CTRX#4にESBLと判明 CMZに変更したところその夜から発熱
#11には再び食欲も落ちてきた。診察に行くと以前から少し痛がっていた右膝を非常に痛がる。薬剤熱、Txfailure 偽痛風の3つの鑑別となった。外来が終わって、もう一人の患者がまたややこしくて診ていたためこの患者を診始めたのは15時をすぎており、色々アクションを起こすのは少し気が引ける時間帯になっていた。 全身状態はあまり変わっておらず、偽痛風および薬剤熱疑いでメロぺネムに変更してNSAIDsを開始するという決断となったが、メロぺネムが足らず、1gq12でないと使えないという。GFRも計算によっては30程度となるが50-100はq8であり、採血結果では110と計算上出ている。ここで中途半端かもしれない量にしたら、経過が良くならなかった時にメロぺネムを捨てることができない。(そこで量が足らなかったかもという疑惑が残るからだ)よって全身状態が良いのであれば、発熱は偽痛風としてもう少し粘り、ダメな時のメロペンをしっかり投与するという決断とした。
#12 (土曜日)膝に痛みは訴えないが看護師いわく尿がとても汚いと、、やはりTxfailureだった?しかし、だとすると排尿器官の解剖学的、機能的な異常があるということか?という疑問が生じ残尿測定などすると同時に泌尿器コンサルト(土曜にコンサルトするほど切迫していない)グラム染色見直しということになった。