我が家の決まり事 [子育て日記]
○通信問題
・概念
iPhone :今はキッズ携帯だが、いずれはiPhoneになるわけだが、なにをどこまでしていいかを少なくとも中学卒業まで親がコントロールすべきと考えるが
友達との兼ね合いで、フレキシブルな面もみせないといけない。
友達が言っていた。。ではなくその親と話すのが筋だと思う。
年齢ではなく学年できめるたほうがよい。
長女と次女は学校や環境が違うので次女に押される形で莉緒子も緩和していくことになるかも
● 問題点
※LINE SNSの導入はどうする?
※ゲーム ブラウザの規制は?
※通話は親とならok緊急時とは?
※パスワードを変えた場合は1ヶ月使用停止とする。
※勝手にダウンロードした場合はⅠ週間使用停止とする。
※音楽はどうしようか。。ファミリーで共有出来るのを与えていく?
※外でイヤホンは許可できるのか?
例)
・会話:親とはOK メールも?友達との会話メールは?禁止は難しい
よって代わりに自宅に帰ったときは充電+預ける
・iphone:導入は小学校4年生
アプリインストール 小学4年生から学年が増えるごとにひとつずつ増える。
学校が変わる時は3つ増える。親推奨以外を選べるのは中学に入ってから。増えた分だけが自分の選んだアプリとなる。(もちろん親の許可は必要)
高校
・You tube キッズのみ→高校からは自由
夜間は親が預かる→中学卒業まで。
・ブラウザ検索:とりあえず電子辞書がいいと思うのだが、、
・iPad
使えるのは土日祝日の6時から19時
平日は15時から19時
アプリインストールはiphoneと同じ
LINE は周囲の状況に合わせて
目安は 小学5年生から
○安全
・概念
なにかの親の都合で突然解除はしない。
普段から準備評価、訓練しておくべきと考える。それを両親で共有する。
ひとりでどこまでできるか、それは定期的に訓練すべき。
そして一人で歩かせるテストをしてクリアできなければ、外出はできない。
一人で自由に電車に乗るようになるのはいつから?
・方法
自転車は原則禁止(マンションの庭内ならありかも)
次女の送り迎えは前を歩かせて観察する。どこがよかった?わるかった?と聞く
長女も週一くらいでテストしたい。
できれば免許証をつくりたい。
1)駅までひとりで行ける免許 2)ひとりで買い物免許(マイバスケット)3)ひとりでセブン免許4)ひとりでピアノ免許5)ひとりで祖母の家6)ひとりで二子玉
などそしてそれが出来るためにはなにができないわかっていないといけないかを考える。
過保護かなー?
● 例
目的なしにまったくひとりで外を歩けるのは中学にはいってから?
それとも4年生?5年生?
保護者のもとへひとりで行くのは3年生からOK
チトフナテストで10回連続道路で立ち止まったらOKとか、、
ひとりでマイバスケット抜き打ちテスト 1年生で5回OKならマイバスケットOK
しかし買うものがない。
ひとりでキッチンコートまで抜き打ちテスト2年生で5回合格なら駅までOK
莉緒子はチトフナテストで10回連続合格ならいひとりで出歩くのOK?出歩く理由がないかも。
○礼儀/作法/お手伝い
・概念
子供は親をみて育つ。親が楽しんでいるもの親がいやがっているもの、よく見ていると思う。おやがいやがっているものをためになるからと進めてもそれは押しつけにしかならない。
ヒトからみて不快な思いをさせるような振る舞いこそ正すべきと考えるが、、
マナーについては言い続けるしかないと思っている。
怒るのだけはやめる。
服を汚したり、地面にすわったりはやさしく注意でよい
美しい字もマナーの1つと考える。
掃除などと手伝いは親ができているところからやらせるのが筋と考えるようになった。親がやりたくないところを子供に強制しても納得しないだろう。
たとえば玄関のくつそろえ、根気がないから出来なくなったのではなく、やったら褒められるけどやらなくてもだれもこまらないし特に楽しい仕事でもない。からやらなくなった。
親が居間に私物をおいているのに子供はダメ。はもうそろそろ通らない。
食卓下の掃除、親がやらないので子供も必要ないと思っている。
子供部屋。ちらかっているのが嫌なのは親であって自分ではない。
・方法
毎日マナーのビデオを観させる。
毎回なぜこの姿勢がよくないかを穏やかに話し続ける
字を必ず褒める。なぜその字が好きかも添える
ビデオや写真で客観的な自分の姿を見させる。
お手伝いは皿洗いがよいと思うのだが、
子供部屋は一緒に掃除しか無理と思う。
○教養/娯楽
・概念
勉強は親と一緒にたのしくやる限り子供はついてくる。しかしいずれ一人で孤独に頑張れるようになっていかないといけないわけで、勉強の楽しさを教えつつ、少しずつ自分だけで集中する習慣をのばしていけたらと思う。
子供は親をみて育つ。親が楽しんでいるもの親がいやがっているもの、よく見ていると思う。おやがいやがっているものをためになるからと進めてもそれは押しつけにしかならない。
子供に限らず人間は楽な方楽しい方に流れる傾向がある。楽で楽しいものが本人に+になる方がよいと考える。ところが、本人のためになる度合いがひくいものの方が楽度楽しい度が高いように思われる。
そしてそれは相対的なものだから、できるだけ楽なものを与えないというのが自分の考え。
少なくとも友達との交流か然外からの情報が入ってくるまで、そこは守りたいし、どんなものに心ひかれるかをできるだけ知っておきたい。
子供にあたえる娯楽は親が一度みて、これは有害 中性 有益と判断する必要があると考える。
できるだけ本を読むのが好きになるように仕向けたい。
そのためには親がよんで楽しんでいることが大切か?
本の内容は小2までは文字になれるでよいのでは?(きらいにならないように)
小3からは、俗物、と教養に分けて考えるべきと考える。
・アニメ アニメでもいい物はたくさんある。できればこれも子供が何かの才能を発見する手助けになればと考えている。また感動を呼ぶもの、なにか心に残るもがが自分の考えだがよいものと考える。
これまでの パパ推しアニメ ピアノの森(ピアノ上手になりたいという動機づけになれば)不滅のあなた(命を何に使うか、子供に理解できたかは不明)ブルーピリオド(下手したら絵を描くのを逆につらいものと思わせたしまっただろうか?しかしいずれにしてもプロになろうとでもするときには通る道となる、ちょっと早かったかもしれないけど安易に絵描きになる。とは言えなくしたことはむしろいいことだろうか)アオアシ(目標にむかって努力することが何を生み出すのか?スポーツをする限り、体がうごけばいいというものではない。とてもよく考えてその考えをからだにすりこませていくそんな概念がなんとなくわかるのではないだろうか)
・方法
マンガは月一パパセレクトで買っている。4年生からは本人セレクト+パパセレクトで二冊とする。家にあると例えば高校性になってからでも読むかも、そして影響受けるかもというのを選んでいるつもり。またマンガを特別楽しいものでなく他の娯楽(特に本)と同等とみてほしい。よって結衣子にはどんな本ででも(絵本も含む)かってやる。
長女は、本が好きであたえれば読むので、教養的なやつを買い与えつつ、俗物的なものはマンガ枠にいれようかと考えている。
アニメはなんとなくみせるではなくてかならずその時はⅠ種類とする。がよいと思う。
テレビ日曜朝起きたとき 長女はダーウィン(ふつうに動物のことを知るのはよいと思う)次女はピタゴラスイッチ(思考力をそだてる気がする)そのほかミミクリーズ、カガクノミカタ
などがよいと思うのだが。
ピアノは日曜の家に先生に言われたことは徹底して伝え、親も認識しておく。
子犬のワルツ選抜 エリーゼのめに選択 おもしろいと思うのだが、、もう少し発展させて、それぞれの好きなやつごとに分類してもよいかも。クラッシックを好きになるきっかけにならないだろうか?
またピアノも弾くヒトによってこんなに違うというところから、じゃあ自分は?という心が芽生えてくると思う。
我が家の習慣 [子育て日記]
我が家では毎月誕生日がある。当たり前の話しだが、ヒトは年に1回年をとるわけではないし、年に1回自分のやってきた事を振り返るわけではない。
メメントモリまではいかないが、日々時間は流れ、その中で成長あり、思い直しあり、ふり返りありであることを感じと欲しいと考えて始めた。
以前は毎月月誕生日にケーキを買っていたが、日曜の大河タイムにもおやつが出るので結構な頻度になってしまう。ここ半年は月誕生日のヒトに手紙を書くことにしている。大変なようでそうでもない。毎日日記をつけているのだからその時間が使える。手紙を書くという習慣が今後のこるかどうかは別として、もらった方は結構うれしいものである。できれば、ずっと続けて欲しいなんて思う。
コロナ明けて [子育て日記]
aha体験? [子育て日記]
長女のピアノ熱が落ちてきた。「練習しないの?」と聞けば、するのだけど、先生に言われたことや自分のできなかったことは忘れていて、また怒られるというをここ2週間続けている。目的意識を持って練習していないのはわかっていたので、そうなるだろうとは思っていたが、本人に任せるという放置だったかもしれない。ことピアノに限ってはいわゆる自主性というのが芽生えてきたかと期待していたのだが、どうやら思っていたほど楽しいばかりではなく飽きてきたようだ。で、父親としてはやっと自主性というものが芽生え始めていたところを積んでしまいたくないので、今日の食事の時間、「どう思っている?」と問いかけてみた、5分10分だんまりだったけど、辛抱強く待ってみた。いつもならここで母親のチャチャがはいりそこに子供が逃げ込むのだが、その隙を与えないように自分の考えを待つことにした。しまいに泣き出し、怒っているー怒られている関係のようになってしまっていたが、辛抱づよく「おまえがどう思っているか?感じているかを知りたい。」としたら、最後にはどじこもった殻をやぶいて。「もっと簡単だと思っていたのに、めんどくさくなってきた。」と泣いた。初めて怒られるかもしれない壁を越えたような気がした。親も「そうかめんどくさくなっていたか、なのに一人での練習はつらかったね。これからは一緒についててあげようね。」となった。いつもは思考静止したまま時間が経つのをまって、終わったとたん鼻歌というパターンだったが、ちょっと違う感触を今日は持つことが出来た。これですべてがうまくいくわけではない。こんなふうな距離を意識することを忘れないようにしようと心に決めた日であった。
やはり,まちがっている [子育て日記]
やはり 自分はまちがっていたようだ.子供にとって,身の回りの整理整頓も,命令されたら自分のことではなくなってしまうのだ.それは親が望むことであって自分がしなければならないことではない。How many times do I have to tell you.などと英語で言えば和んでましかな?なんて思っていた昨日の自分を恥じたい。自分のなかでは躾だけは理屈抜きで親が子供にたたき込むものだと定義していたけれど、いつのまにか勉強も躾のひとつに分類していたようで、それは成績というちいさな固定概念の価値観にとらわれすぎていたように思う。子供が子供自身で決めていく。それは、促したからといって出来るわけでもなく、掘っておいてできるものでもない。はいっていくことで一緒にみつけてあげればよいのだ。
きょうはそんな風に思えた日であった。
なかなか無理 [子育て日記]
娘達も成長し、少しずつ自分の思い描くような良妻賢母的大人とは全く違う方向へ進んでいっているような気がする。嫌なことは出来る限り時間稼ぎする。すきなことすきなことがあればさっきの約束を忘れる。子供だからこんなものかとも思うが、自分の子供時代のことは全然思い出せないし、思い出してもそんなんじゃなかった子としてしか思い出せないし、たまたま紛れ込んだ他の子の字の整ったのをみたりしてしまうと、なかなか今のあの子らのそのままを受け入れることができない。教科書的にはありのままを受け入れ、よいところを見つけてそこを伸ばして、というところなのだろが、するべき約束や忘れ物整理整頓、なにひとつまともに出来ていない様子を受け入れるのは非常に難しい。せめて学校の小テストの点だけでもよい点をと思っても、もしくはよい点を取れなくても、復習をちゃんとやらせようと思っても、そのテストの範囲も結果も学校に忘れてくる始末なのだ。いちおう常に優秀側にいた自分としては、なぜ自分がそうだったかが思い出せないし、自分の親が自分にしたこと以上のことを子供に注いでいるつもりなのだが、にしても形になるものが基準になってくるのはおかしいのかもしれないが、だとしたら結果として残ってくるもの以外はなにをどう評価できるのであろうか?利己主義で、エンパシーがなく、刹那的なやつらを。。。そういう意味では自分もそうだったが、、
ピアノ発表会ならぬ [子育て日記]
昨日は子供のピアノの先生主催の生徒達の発表会。長女は始めたばかりなので歌だけだったのだが、こともあろうに自分達までかり出された。みんなのなかに隠れた中で自己満足的に歌えばいいのだが、大した問題でもないのだが、先生の生徒達のうまさにはほとほと感心させられた。
なかでも年中?あたりのこどもが半年でABCの自分の知らない曲を堂々と弾いていたのには驚かされた。自分もABCをやっていたはずなのだが、そこまで進んでいなかったということなのだ。
音楽は技術習得だけではなく、ヒトの和も作る。などという使い古された言い回しをしたくなるような会であった。
学校の成績 [子育て日記]
子供に特にいい成績をとってほしいとは思わないが、教養は身につけてほしいと思う。知らなくても生きていけるような歴史に興味を持ち、ロックンロールは聞いても美術館にも興味を持ってほしいと思う。学校でちょくちょく行われるテストがいつも満点というよりは復習をがっちりして、自分の身につけておいてほしい。
にしても自分自身は小学4年生までは抜群に成績がよかった。なぜそうなったかわからないが、自分がそうなることでそちら側の人間という自意識を持つようになったことも確かだ。途中で自分の中に生まれた別の価値観に従って生きたわけだが、小学校のころのプライドは、ずっと自分の中に残っていた気がする。それがよいことなのかどうなのかはわからないが、レベルの低い私立を出ても国立出身の人たちに気後れせずに付き合えるのそれが理由かもしれない。で、子供たちに自然とテストでいい点を取らせることができたなら、もしかするといいポジティブなイメージを本人に与えることができて、それがモチベーションに繋がるかも知れないなんて最近思うのだ。
3日ぶりの新記録!FB投函効果か?
教育論 [子育て日記]
昨日長女が毎週のテストの元になるテキストをずっと忘れ続けているのでしまいに、駅から学校まで妻が取りに行かせるという事件があった。宿題の重要さを学んでほしい。ということだったが、自分はそんな方法ではまったく学ばないことを知っている。でも妻が今日こそ持って帰るよう言ったにもかかわらず、メールをすると「もうおそい!」強気の返事に反応したのもよくわかる。
先生から妻に電話があり、もっと長い目で見ましょうよ。などと説教されたらしいが、その方がよいことなどわかっているし、教科書に書いてあることなどやっちまった後に聞いても後の祭りなのだ。それよりも、今の時点の長女の、びっくりするくらい忘れたり、なくしたりすることが成長の過程として正常なのかそれが最も知りたいことであるし、多くの事例ではこのような状態がどうなっていくのかをを教えて頂けるとありがたい。抽象的な教育論はその時の反省をうながすのみでその後の生産には寄与しないのではないか?そんな風に思った。そしてそんな人にかぎって父親がもう一度電話をかけたりしたら、いいこと言ってやったのに、negativeにとられたのかな?なんて思われないか心配で電話できなかった。
策に溺れる [子育て日記]
朝長女を送るとき、自主性を養うという盲目で、子供に親をコントロールさせてるようにしている。つまり子供が学校に行くために親が必要より早く出ないといけないので、頼んでもらうのだ。少なくとも何分に出ないといけないかは申請してもらうことにしている。
昨日30分にでることを31分に申請、そのため遅れて友達との待ち合わせに遅れそうになったが、終始むっつりしてた。以前には本気で怒っていたこともあった。どう考えていたかはわからないが、問いかけに返事もしないのは非常に不愉快である。もちろん「のに」もついての不愉快さなのだが。その翌日である今日はこともあろうに何時にでるかを促すと「ママに言った!」と強気発言。いままでの策が成功しているというのが自分のみたてちがいであったことと、子供が思考静止していることに怒り心頭となってしまった。「ママに言ったということはママに送ってもらうつもりだっったのだな。」と言い放ち、「いえパパおねがい」というのを出ないといけないらしい29分から15分待ち続けたが、泣くばかりで何もいわない。結局ロボットさんにこう言いなさいで送り出したが、終始無言「もう一度ゆっくり説明したが、とても理解したとは思えない。」夜になると、もう吹っ切っている。おそらくこの2年やってきたことは「何々分に出ます」と言えば自動的の送ってもらえるということのみで自主性とはほど遠いものであった上に今日叱ったことで、そのことにすら汚点がついてしまったということで振り出しにもどった今日であった。