指導より評価か? [子育て日記]
今日の朝のラジオで ビリギャルの坪田氏があまり子供を褒めない.ただ評価する.という話をしていた.逆に言えば怒らないということであろうが,
感情の問題は別として,確かに出来るだけ評価をしようとしてきたように思う.
あ.これは良くなったね.とか100ます計算は全部解くのではなく5分間でどこまで出来るか,それが少しずつ伸びていく様を体験させようとしている.また,後片付けに関しては,自分で整頓されているか散らかっているかを評価するところから始めた.そのため四角いもの(本など)服,鞄類,小さいものを分けて考えさせた.結局毎晩それを繰り返して紙に記していけば後片付けが出来るかと思ったのだが,子供にとっては複雑だったようで,今は鞄と服だけは常に気をつけて床に散らばっていないように大人も常に気をつけて他は寝る前ににいっしょに片付けるというようにしている.鉛筆に関しては,もうなくすことを克服するのはやめて何本なくしたかをカウントのみすることにして,いくらでも買ってあげる覚悟とした.ただ,短くなるまで使ったら,綺麗な鉛筆を進呈することにした.
ただ,感情の問題はどうにもならない小学生なので水筒を無くされたり,テストであまりに悪い点数もいかがなものかと思うし将来的にもへんなレッテルを自分で貼ってしまわないだろうか.自分は成績の良い子と思っておいた方がよいのではないかなんてどうしても横槍が入ってしまう,どんな横槍かというと「君ができなくて点数が取れなくてもパパにはなんの関係もないからね」「君がそれでいいなら,それでよし」的な感じ.
これは結局圧力かけているといえるかもしれない.
壷井先生が言っているのはもっと平坦な,感情や私欲の入らない評価なのだろうと思う.,それが誉め言葉になったり,逆になったりするかもしれないけれど,親の欲がはいるとよくないことだけはわかるのでそれはやっていきたい.
ただし感情が入ってしまった場合はそれはそれで,自分であれ子供であれそれを愛だと勘違いするほどに(子供に向き合っていけばなんとかなるようにも思ったりしているのだ.
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