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自己愛型? [つれづれ]

長女が小学校へ登下校の安全を管理するシステムがあるのだが、電車に乗るために通った改札の報告はあるのだが降りたときに通った改札と学校に付いたときの報告のメールが送られてこない。

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以前同じようなことが起こった時(このときは学校のみだった)妻はあまり問題視していなかったように感じたのだが、今回なんど妻に電話してもメールしても返事がない。挙げ句の果て義母に電話をしたが、最初いたずら電話かと思って切られてしまった。しょうがないので小学校に連絡をして、長女が登校しているのを確認してほっとしたのだが、どうやら妻は義母の実家で寝ていたらしい。自分は次女の幼稚園を送りにいっていると思っていたから電話が通じないのはおかしいとダブル心配になってしまったのが、じつはまだ次女は春休み。そして妻は義母にすごい怒られたらしい。その理由が自分にとっては不思議な怒られ方で、義母のスマホに妻が僕の電話番号を登録していなかったから、いたずらと思ったではないか!という怒りであったらしい。自分は思わず笑ってしまった。娘が学校に着くまで心配しているのが親でしょう!とおこられたのだと思ったからだ。思えば大晦日の日義母、妻子供達、姉で過ごしたもらったが、自分はひとりで紅白を見ていた。妻が一緒にそばを食べようと家まできていたのだが、ものの二時間ほどで、義母がもう子供達面倒見れないから、すぐ帰ってこい!という、妻も慌てて帰って行ったのだ。考えてみると、僕は自分が正しい事が自分の中でもっとも優先順位にあるのかもしれない。だから徳とか損とかよりも名誉よりもお金よりも自分が正しいことが優先される。だから明らかに正しくない人と結婚したのかもしれない。それによって常に自分が正しい事を確認できる。自分の間違っていることも指摘されることはない。無意識のうちのそういう人生を選んだのかもしれない。仕事のうえでも同じようなことが言える。正しくないと思える人がいるからこそ、(たとえば患者より自分の立場を優先する人など)しかしそれらの善悪の線引きが各々がもっているものでそれぞれの線引きの閾値ははっきりとした基準が存在するわけでもない。程度問題なのである。それを自分の線引きが正しいと主張するのはなんとも奇異にうつるだろう。ではこれからの仕事は妥協すること?それを妥協と呼ぶことこそが自分のみが正しいというところから抜け出せないことなのだ。「まず理解すること、それから理解してもらう」そんな原則をどこまで実践できるか?それが今の自分の大きな課題である。

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