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事実は小説よりも? [つれづれ]

今日患者さんのある名字で思い出したことがあった。18のころ自分は2才上の女性に恋をした。その女性は自分とはまったく違った感性をもち、全く違った生き方をしていた。例えば昨日と今日と別の人になっているように自分には思えた。


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ホワイトデー

彼女は半年前に彼氏を山でなくしており、その美しい悲しみの中で生きていた。若く、美意識過剰(矢野健太郎先生より)であった自分は明日には失いそうになるその人を追い、それでいて真実は2つ以上存在しないという美しさを追い求めた。人間の中には一生を貫かれるほどの強い物があると信じたい自分と、2つ目以上が同じ真実と認めたくない自分との葛藤に苦しむ毎日であった。そしてその苦しむ自分を結構気に入っていたのかもしれないながらも、明後日もどってくるとしても、明日失う恐怖に震えていた。簡単に言ってしまえば、理屈などが全く通用しない、自分とは違う生き物に強烈に惹かれつつ、認めることができなかったのだ。それ以降自分は人を自分の理屈にはめることにはあきらめることになり、彼女への仕返しのように、相手に求めることをやめるようになった。そして自分の美意識も追うことをやめたのだった。彼女に会わなくなってから、10年近く経った時だろうか、私は医学部を卒業し、いっぱしの医師として後輩も出来るようになっていた。そしてある日新しい研修医を自分たちのグループに迎えることにになり、一緒に飲みに行くことになった。おざなりの質問として「どうして医者になったの?」の質問に「兄が医学部在学中に山でなくなったので。」「新聞とかに出てました知りませんか?」と答えた。ちょっとまてこの名字は知っているぞ。10年前のあのころのの悲しさ、見たこともない彼を思う自分が帰ってきた。」君があの、かわいそうなちっちゃな弟か!名古屋出身で、鳥取の大学をでて、よくぞこの京都の病院を選んでくれたものだ。わたした持っていたグラスを落としそうになりながら、世の中の奇をすこし楽しんだ。自分の持っている数少ない「事実は小説より奇なり。」シリーズ2つのひとつである。

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