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水泳人生 [つれづれ]

自分の水泳人生について、いま50を過ぎて、中学の時の自分の泳ぎについて考えてみたりしている。

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それは、思い残したのもがあるからなのか?これからマスターズなどを挑戦してみようなどとくわだてているのか?自分の中でハッキリと決まったわけではないが、あの頃のことを考えると、楽しむなんて余地はまったくなく、チームメートとの関係を深く考えることもなかったし、とにかく(思い描くほどの進歩に到達しないという)悲壮感が常に自分を支配していたように思う。自分の可能性をつねに上へ上は設定しすぎて、練習の中でそのモチベーションやイメージを保てなかったように思う。

 

その当時の日本で1位のヒトとも練習していたが、キックは自分の方がむしろ強く、プルでは少し遅い程度であったのに、コンビになると全くついて行けず、周回遅れになることも多々あった。また自分より年下の身体の小さな子に練習では負け続け、その割に試合では上回るというチーム内でも矛盾した存在でもあった。決して練習をサボっているわけでもなかく、試合の時の集中力が違うのだろうか?などと考えていた。今考えると、彼らは小学校低学年からずっと泳ぎ続けており、効率のよい泳ぎが身についていたのだろうし、自分は中学から初めて、短距離まではなんとかなる非効率な泳ぎだったのかもしれない。実際市民プールなどへ泳ぎにいっても、自分ならそんなにゆっくり泳げないという速度で信じられないくらい長く泳いでいるひとなどもいるから、スピードを出す泳ぎと力を温存する泳ぎはそのバランスが大切なのだろう。

 

というわけで、自分は50mが最も得意、距離が長くなるほど遅くなる程度がはげしかった。そう考えるとあのころ50mは正式種目ではなかったのだが、50専門として他の人とはまったく違うメニューで行っていたら、また違った結果になっていたかもしれないなんて考えることもある。特にキャッチの時につかう広背筋などの筋力強化がもっと必要だったかもなどとも考える。そういえば、長距離が専門の先輩が大学へ入ってなかなか1分が切れないということがあった。長距離のレベルとしては、100で1分を切るなどというレベルよりずっと上だったにも関わらずである。練習量が多いほど(距離たくさん泳ぐほど)強くなるというイメージが常識であったこともあり、そういう選手がたくさん育っていたのだろう。

 

そういうわけで自分は白筋が多いのだろうと勝手に思っていたのだが、中学3年間学校のマラソンで1位であり10kmを37分で走れたことから考えると、水泳の結果ほど白筋ガチガチではないかもしれない。また、最近は体幹の重要性が強調されているが、自分は泳ぎの型ばかりを気にしていたし、どうすれば早く進むかではなくどうすれば理想の形でおよげるかをつねに意識していたように思うし(いつも自分のビデオ映像が見たいと思っていた)体幹を意識したこともなかった。最近体幹を鍛えてみたりして、それらをつかった泳法はより耐久的なのではないかなどと考えてみている。水泳に復帰するかランニングを楽しむかまだ決めてはいないが、この自粛期間にできることをコツコツと悲壮感なくやってみたいと思っている。


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