マルチモビディティその3 [医療]
複雑性の判断とゴールの設定
この内容はそれこそ、家庭医もしくは開業医の先生たちが抱える問題の指標になるかもしれない。
果たして、多くの開業医は私の父を見てもわかるように、机上での診療と,とってつけたような訪問がメインの方々が多いのではないだろうか?
(お世話になったことがある2つの診療所は別であるが)
自分はこの項に触れたとき、中村医師のことを思い出した。人々nの健康のためには一番必要なものが診療そのものではなかった。という信念はつよく賛同するし、尊敬に値するものだが、それはそれを行うヒトがいなかったから彼がやらざるを得なかったわけで、医師の仕事とは従来そういうものではない。
以前の日本はそういう足らない部分を誰か志の高いヒトが埋めていた。いや今でもそうかもしれない。
つまり、問題に即した役割を持ったヒトが必要ということで、看護師、ケアマネなど、そういう方々がクリニックでどのように活動されているかぼくは知らない。
病院においては、複雑な問題がからんでくると、声を掛ければいろいろなヒトが集まり、自分が知らない情報をくれて、自分ができない配慮を行ってくれる。そういう環境にいたときは非常な満足感を覚えた。
正直自分には評価方法などの必要性がまだピンとこない、「あの人の現状、本人家族の立場、経済、感情の問題」を具体的に話し合うことしか思いつかない。ある規則に従って評価することで、客観的に表に出すことは、確かに必要なのかもしれないが、自分が他の医師の患者のそういう部分まで請け負う余裕はないだろうし、システムとしてもっと育っていかないといけないし、そのためには主治医感というものそのものも考え直さないといけないのかもしれない。
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