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マルチモビディティ [医療]

 

そんな特別なことではないと思っていたので(だいたい高齢者はたくさん病気持っているし、その時々で関連性を考えながら、何を優先しながら対応するのだろうくらいに思っていたから)あまり気にも留めなかったし、啓蒙的な意味合いの方が強いのか?くらいに思っていた。またこのほんの3pにあるようなコモビディティでよいのではないかと考えていた。

今回知り合いの先生が編集されて、メールのやりとりで読んでみます!なんて言ってしまったところ「感想を」を言われてしまったので仕方なく(笑)読み始めた。

 


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まずはマルチモビディティ(非常に打ちにくい登録したいくらい)とコモビディティの違いの定義だが、本当に区別しないといけないのか?専門医からすれば区別自体が不可能ではないか?というところが自分の中でのこの本を読む中心になってくるだろう。つまりマルチと考えるときにとるアプローチがコモの時とどう違うのか?という点である。

まず、ポリドクターmake ポリマネージポリファーマシーの問題。自分としては問題だと思いながらも、他のドクターのすることに口出しというタブーをイニシャライズされているので、実際なにもしていないというのが正直なことろ、逆に超高齢者になったひとが歴史として引き継がれてきた薬が医師ひとり対応になった時にガンガン整理はしてきたが。

何でも研究時代は、いろんなことをスタンダライズできる。マルチモビディティも研究が行われているというのはおどろきだが、それはやはり啓蒙的に必要なことなのだろうと感じた。

それは疾患数が多いという単純なことではないらしい。

要はマルチであることが患者自身に弊害をもたらしている場合ということか。。

病院勤務医として時々感じるのは、

寝たきり意思疎通出来ないヒトが主治医(嘱託医)がいるにもかかわらず、ちょっと熱があると運ばれてくる。しかし彼の残りの人生をどう考えるかということは全く話し合われてはいない。

これも一種のマルチモビディティ的弊害でこれは病院や引いては医療経済にもネガティブに働くのではないだろうか?もっともこの本が伝えようとしていることとはずれるとは思うが、自分たちが最もがっかりすることの一つで、大きく患者に影響を及ぼしていることの一つと日頃の診療から感じる。

また、このように足し算で考えるのではないという考え方は臨床推論の考え方に似ている気もする。

またよく心不全?腎不全?とか。肺炎?心不全?とかいう(無駄な)争いが繰り広げられるが、もし専門医マルチで考えることが当然という当たり前でみんなが知っていることを認めれば、入院時にどちらが診るの?なんて話にならないかも知れない。もっともカテゴリー間の垣根の問題が前提にあるがために事態を複雑にしているのだが、となると医局制度事態の問題まで考えないといけないことになる。患者全てを総合医が診るなんてことはパワーとして不可能なわけで、これから専門医となる医師の思考がどう変わっていくかということがいちばん重要な問題なのだと自分が考える。でもなにもできない自分もいる。


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