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おもいやりと勇気の間で [つれづれ]

ある人は、成熟とは思いやりと言う事をのバランスを取れることであると言ったらしい。

そういう意味で、自分は看護師たちに対してバランスではなく、勇気のみ挑むか、もしくは思いやりというか自分が負けになることで対抗していたように思う。つまり、自分は間違っていない彼女達は間違っているという前提の中で、自分がそれを主張してもそれはマイナスにしかならず、自分の評判を落とすことがひいては患者さんへの悪い影響を与えるという結論の上に自分は負けるしかないと考えたのである。

 

団体の集団心理には勝てない。どんなふうに説明しても、彼らにとってマイナスである事は、たとえ患者さんにとってプラスでもマイナスに落とし込めてしまうという性質があると考えていた。だから、自分の抵抗はあまり意味のないもので、負けたふりをしてあとはじっくり観察し、自分がそれを変えられる立場になるまで耐えるしかない、そんなふうに考えていたように思う。

 

10年以上前のことであるが、こんなことがあった。看護師たちがありとあらゆる患者さんの手足をしばりつけているのを見て、「自分の親でもこのようにするのか!?」と強く言い続け、患者さんの抑制を解いて回ったことがあった。自分は悪い医師のレッテルを貼られ。それは患者にも波及し、おそらく私の主張とは違うところを批判され看護師たちからは総スカンと言うやつを食ったことがある・その時にその時は本気でわかってもらえると思っていたのだが、結果的には彼らの仕事内容をおかすようなことはいくら患者優先に考えたことでも理解されないということを知り、自分と同僚との関係の悪化は結果的に患者にマイナスの影響を与えるという結果に落ち着いた。もちろん、自分が仕事がやりにくくなるということ自体も嫌であったし、それを通しての患者さんへの不利益なのであるが。

 

しかし今考えてみると、本当にこの人達に抑制が必要なのであるかなどという話し合いをじっくりと、彼女らのリスクを充分考慮しつつ話し合うべきだったんだと思う。それも1回や2回でなく、何度も重ねて話し合う機会を持つべきだったのだ。それが思いやりと勇気のバランスというもので、言い換えれば成熟というものと考えて良いのだろう。

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