今日の作文 [子育て日記]
戦後の昭和は協調の時代であったと考えます.そんななかでも異端児はおり,自分も妻もそのひとりでありました.国やGHQは工場でもしくは商社で黙々と働く人材を国民に求め,そういう教育をしてきたと考えております.
よって大多数のの国民が一般市民であり,政治家や企業のトップもしくは芸能人などは特別な存在であったように思います.ところが90年代頃からそれまで一般市民を言われてきた人がTVにでるようになり,インタ-ネットの出現は全てに人に自分の存在をアピールする機会が与えられるようになりました.
世界はますます狭くなり,日本人も国内だけで生きていくという時代ではなくなってきました.
また,昭和の人口増加の最中にオートメーション化が進み工場で
働く人が失業するのではないかという危惧がありましたが,IT事業や,三次産業への回帰など新しい道は常に作られていくように思えます.今後AIが発達して同様の危惧もあるようですが,人類はその時その時臨機応変に働く場を工夫していくでしょう.
ただ私が考えるのは日本の良いところある協調性は残しつつもみんなが異端児となりその個性が,必要とされるようになってくるのではないかということです.そして異端児がややもするとこれまで排除されてきたましたが,これからは寛容されていくのではないかと考えております.
いろんなことが出来きたり,テストの点数がよいこともそれは大切なことだと考えますが,学校で習ったことをいかに自分の中に生きた知識として身につけてそれを応用できる事の方が大切だと考えます.それはもしかすると小学校も高学年くらいからなにかの得意分野に活かされていってくれればいいなどと考えております.その得意分野を見つけ,サポートすることが私たちの役割ではないかと考えております.
また,得意分野に秀でるだけではなく,コミュニケーションも非常に大切と考えております.幸い日本には他民族,他人種が少ないので,ある意味,差別というものに日常触れる機会が少ないかもしれませんが,世界がこれだけ狭くなった,海外で活躍する機会もあるかもしれませんし,多くのアジア人や南米からの移民もあり難民も受け入れるようになるかもしれません.そしてそれは日本人同士や身体の不自由な方との間にも起こりうる問題であり, そんな中で自分は日本人でというより,地球人という視点にたち,異種のものを受け入れられる人間になってほしいと考えております.そのためには常に自分以外に人の頭の中を想像する訓練をさせ,また肌に色の違いにも慣れるように,幼少時のうちにインターナショナルの幼稚園に通わせました.
また,重複する内容かも知れませんが,自分の信念をしっかりと持って洗脳的な同調圧力には決して巻き込まれない人になって欲しいと考えております.
そのことととコミュニケーションを両立させることは難しいのかもしれませんが,問題が起こるようであれば全力で支えようと考えています.
もしかすると,今の若者は例え大人たちの都合で洗脳的にあたえられた嫌韓的意識やその逆に決して影響を受けず自分たちが認めるものは認めていっているように見えます.そういう日本がすくそこまで来ているのかも知れません.
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